第56話 おまじない

 満月だ。赤い、満月だ。

 今日は小梅の…肆の巫女の門出の日だ。それなのにこんな赤い月。

 不吉な月だ。

 「御言。準備ができました」

 「…はい」

 茂平の静かな呼びかけに俺は短く返事をし、巫女を呼ぶために小梅の元へと向かった。

 

 「小梅ちゃん」 

 そう呼びかけて襖を開くと部屋の中央で正座をしている小梅と目があった。

 月光のせいで白い着物は赤く染まり、白く柔らかな肌も血塗られたように赤く染められている。

 「御言お兄ちゃん、月、赤いね」

 あやとりの紐みたい、と小梅は手に持った赤い紐をじっと見つめた。幼いその顔に黒い影が覆い被さる。

 適度な距離を保ってきたつもりだったが、いざこの日が来るとギュッと胸を締め上げられるような心地がした。だがこの辛さは俺の背負った業への罰なのだ。

 「…小梅ちゃん……いや、肆の巫女様。準備が整いましたので――」

 「御言お兄ちゃん」

 小梅の声に俺は口を閉じ、彼女の側へ寄る。

 「お兄ちゃん、私の最後のお願い、聞いてくれる?」

 子犬のような瞳に見つめられ、俺は小さく頷いた。

 「俺にできることなら」

 「よかった!なら、お兄ちゃん。この紐、切って欲しいんだ」

 「紐を?いいけど…」

 俺は小梅から渡されたあやとりの紐を短刀で二つに切ってその小さな手に乗せた。

 「これでいいの?」

 「うん!それでね、えっと…」

 小梅はもじもじとしながらその紐の一本を俺の手の上に乗せ

 「この紐を私の小指に結んでほしいんだ…。それと…お兄ちゃんの小指にも」

 「小指に?どうして?」

 「え!?えっと…お、お母様から教えてもらったの!お約束のおまじない!」

 「お約束のおまじない?」

 聞いたことのないまじないに俺は首を傾げた。

 「それって、どんなおまじないなの?」

 「え、えっと…」

 小梅は視線を泳がせると

 「御言お兄ちゃんがきちんと私を山の神様の所に連れて行ってくれるっていうお約束をしたくて…だめ?儀式が終わったら紐は捨てていいから……お願い、だめ?」

 「い いいけど…」

 そんなよく分からないおまじないをかけられるのは嫌だったが儀式が終わるまでのほんの僅かな時間だけ、しかも巫女の最期の願いとなれば首を縦に振るしかないだろう。俺は手に乗せられた赤い紐を小梅の右手の小指にしっかりと結んだ。そして俺の右手の小指にも同じように赤い紐が結ばれる。

 小指に結ばれた紐を見てみるがそれは何の変哲もないただの赤い紐だった。おまじないと言っても所詮は子供のおまじないか、とほっとした俺は小梅の方を見た。

 「やった!やった!」と無邪気に喜ぶ小梅を見て俺は少しだけ頬を緩ませる。こんなことだけで喜んでくれるなんてな。

 「ありがとう、御言お兄ちゃん!私、頑張るね!行こっ!」

 はしゃぐ小梅に手を引かれ、俺たちは外に出た。

 月の浮かぶ夜空の下で小梅は他の巫女たちと同じように男たちが用意した輿にぴょんと飛び乗ると、きょろきょろとあたりを見まわし、そして一人の男に向かって右手を振った。

 彼女の視線の先を追ってみるとそこには小梅の父親である三郎太がいた。列の後ろの方にいた彼が小梅のもとに駆け寄り、口を薄く開いて、それから口を閉じて項垂れて、目元を押さえて、それからやっと小さな声で一言、二言、小梅に何かを言って元の場所へ戻った。

 別れの涙を浮かべる三郎太に声をかけることのできる者は誰もいない。

 赤く照らされた行列は深い闇の中をゆっくり、ゆっくりと進んでいった。

 

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