※※※

 ……もしかしたらこれは、そんなことをしてしまった自分に天罰が降った結果なのかもしれない。


「へへっ、まさか柏木かしわぎ御本家の人間がこんなに簡単に捕まるとはよぉ」


 周囲はすでに薄暗い。半日会社を欠勤したことになる。明日は業務に忙殺されることになるだろう。


 もっとも、ここから無事に帰れたら、だが。


 後頭部に走る痛みに目をすがめながら、高人たかとは目の前に立つ男達を観察する。


 どこかの倉庫のような場所だった。高人は椅子に座らされた状態で後ろ手を縛られている。


 人数は二人。どちらもくたびれた労働階級者の服を着ている。その姿からどこの家の手先なのかを推測することはできなかった。


 ――人通りが少ない路地に入った途端に襲いかかってきた手際の良さと、連携が取れた動き。……襲われた瞬間、前に二人と、後ろに三人はいた。


 荒事に慣れた、少なくとも五人以上の集団。


 相手の目的は分からないが、己が危機的な状況に置かれているということは理解できる。


「……最近徒党を組むようになった輩の、下っ端というところか?」


 状況を推察した高人は、あえて自分から口を開いた。


「俺なんか質にとっても、柏木の家は動かないぞ」

「その答えはそろそろ分かる。さっき書状を投げ込んでおいたからな」


 案の定、目の前にいた男から手掛かりヒントが零れ落ちてきた。


流石さすがに柏木の当主も実の息子の命が懸れば動くだろ。みんな自分の息子は可愛いもんだからな。商談はいただきだ」

「商談?」

「そーさ! お前の命と引き換えにした、とっておきの商談だよ!」


 あっさり高人を拉致できたせいか、男の口は軽かった。もう一人の男もそんな仲間をたしめようとはしない。


「俺の命と引換に、柏木に手を引いて欲しい商談でもあるのか?」


 これならば何か引き出せるかと、高人はあえて男の口車に乗る。


「実の息子の命を懸けようっていうんだ。随分大きな商談なんだろうな?」

「いやいや、そんな大層な取引じゃねぇさ。柏木にとっちゃこれひとつが潰れようとも大した痛手じゃねぇ。だが」

「おい!」


 ――流石に直接家名を口にするほど馬鹿じゃないか。


 だが今のやり取りで存外こいつらが上の思惑を知っていることは分かった。案外破落戸ゴロツキに身をやつしているだけで、正体は下っ端などではないのかもしれない。


 ――捨石すていしである俺にできることは、なるべく情報を引き出すこと。


 そしてそれを、死ぬ前に柏木の家に伝えることだ。この際、その情報を伝えることさえできれば、最悪高人の生死は問わない。


 高人にとっては、ごく当然の判断であったはずだ。


 だがそんなことを思った瞬間、意識を失う前に聞いた声がふとよみがえる。


『なぜ、そのように御自身を無下に扱われるのです?』


 その声に感情など宿っていなかったはずなのに、なぜか蘇った声は今にも泣き出しそうな響きを帯びているように聞こえた。


 ――どうして、今、こんなこと……


 なぜ今その声をこんな風に思い出すのか、と自問自答した瞬間、部屋の外から気忙しい足音が聞こえてきた。思わず高人が音がする方へ顔を向けた瞬間、視線の先にあった扉が手荒く開かれる。


「息子は無事かっ!?」


 その人物が誰であるかを理解した瞬間、高人は無防備に目を見開いていた。


「指示された通りに、わしが一人で来た。息子を返して貰おうか」

「父上っ!?」


 そこにいたのは、間違いなく高人の父である柏木かしわぎ伯爵だった。男二人も父の顔を知っているのか、互いに頷き合い、下卑た笑みを浮かべている。


 ――でも、変じゃないか?


 いくら敵の指示であろうとも、こんな場所に柏木の当主である父が一人で来るはずがない。ましてや拉致されたのは捨石とされている三男の高人だ。たとえ父が行くと言っても側近達が止めただろう。良くて来たとしても、父の代理が関の山だ。


 それに、表には少なからず見張りが置かれていたはずだ。その案内もなしに父が一人で扉を開いて姿を現すというのは不自然ではないだろうか。少なくとも高人が敵の立場であったら、下手なことをされないように一人は傍に監視をつける。


「ようこそ、柏木の御当主様。お招きする先がこんな辺鄙へんぴな場所で申し訳ない」

「息子は無事なのか」

「こちらにいらっしゃいますよ」


 厳めしい顔立ちにキッチリと撫で付けた髪。低く良く通る声。


 見慣れた父の姿に間違いない。だが高人は違和感とともに父を見る。


 状況に違和感を抱いたのは敵側も同じであったらしい。男達は現れた男を柏木伯爵だと認識していながらも拭い去れない違和感に首を傾げている。


 だが男達が何か動きを取るよりも、柏木伯爵が息も上がったまま高人に駆け寄る方が早かった。


「ああ、確かに……!」


 同時に、上がっていた柏木伯爵の息がピタリと止まる。


「ならばもう、この面は必要ありませんね」


 次に口を開いた時、柏木伯爵の声はガラリと変わっていた。


 呆気に取られる高人の前でバサリと布地が翻る。その下から出てきたのは、袖と裾がバッサリと切り落とされた和装……忍装束だった。


 同時に、目の前に立つ人物の背が縮んでいた。しわが刻まれていた顔が若返り、撫で付けられていた髪が伸び、フワリと毛先が闇に拡がる。


「ナナ!」


 瞬きひとつの間に、柏木伯爵は仮初かりそめの花嫁へ姿を変えていた。


「だ、誰だテメェはっ!!」


 中の騒ぎを聞き取ったのか、ようやく仲間と見られる男達が雪崩なだれ込んでくる。


 そんな男達を無表情に眺めたナナは、帯に吊るすように後ろ腰に下げていた物へ片手を伸ばした。


 だがナナが何をしているのか気にしていられるような余裕は高人にはない。


「ナナ、どうして……!」

「わたくし、ひとつ高人様に御説明を忘れたことがございました」


 高人の声をナナが無視したのは初めてだった。


 高人の言葉に構うことなく歩を進めたナナが、高人の視界を塞ぐように高人の前に立ちはだかる。


「わたくしが忠義を尽くす相手は、もはや藤堂とうどうの家ではございません。高人様御一人でございます」

「結婚したからだって言うのかっ!! こんな馬鹿げた、形だけの……!!」

「いいえ」


 高人を庇うように立つナナの手に握られていたのは、能楽で使う面だった。目をカッと見開き、額から角を生やした鬼女の面だ。


「高人様は、わたくしに名前をくださいました」


 ナナの声は、常と変わらず淡々としていた。


 だが今の高人には、その声の中に微かな感情の機微が見える。


「ナナと、呼んでくださいました」


 今までは見えなかった、決意。今までもナナを動かしていたものなのだろうが、高人には見えていなかったもの。


 それが、今のナナの声には見える。


「わたくしには、その恩義がございます」


 その面を己の顔にあてがいながら、ナナはチラリと高人に視線を走らせた。


 その瞳が、わずかに寂しさを宿して笑う。


「柏木という家名も、何番目の産まれであろうとも関係ない。わたくしを『ヒト』にしてくださった貴方様が、わたくしにはこの上もなく大切なのです」


 その言葉に、瞳に、高人は息を詰めて目を見開いた。


「ですから、貴方様に御自身を無下に扱われたくはございません。こんな輩に傷付けられるなど、論外でございます」


 ナナの言葉に、今まで心の片隅を凍てつかせていた何かがジワリと溶けていく。


 そんな高人の前で、ナナは鬼女の面を顔に掛けた。小さな手がキュッと後ろで面の紐を結ぶ。


 その瞬間、ナナが纏う空気が変わった。


「高人様、どうかわたくしの顔を見ないでくださいませ」


 チャキッと小さな金属音とともに、ナナの手の中に短刀が姿を現す。婚儀の夜、高人の命を奪おうとした、あの短刀だ。


「今のわたくしはきっと、すこぶる醜い顔をしているでしょうから」


 男達が構える暇もなかった。


 音もなく弾けた肢体が一条の光と化した短刀を振るう。その動きはまさに鬼女と呼ぶに相応しい。悲鳴が上がるよりも不逞ふていの輩がくずおれていく方が圧倒的に速かった。


 高人の目でも、ナナの技量が卓抜したものだと分かる。婚儀の夜、暗殺に失敗して目をしばたたかせていた少女は、そこに微塵も存在していない。


「まっ、まさかあんた『藤堂とうどう妖鬼ようき』!?」


 悲鳴に混ぜて拳銃の引き金を引いた男も、次の瞬間には地を舐めている。倉庫に雪崩れ込んできた男達が、たった数秒で全滅に追い込まれようとしていた。


 その様と聞こえた悲鳴に、高人はポツリと声を零す。


「藤堂の、妖鬼」


 高人も、その名を知っている。


 藤堂には、『鬼』の名を冠する凄腕の忍が四人いる。


 その内の一人である『妖鬼』は、顔と声を人から奪う忍であると言われていた。


 あやかしのように相手に化けるから、『妖の鬼』と書いて『妖鬼』。


 面をまとうことで面の主の能力までをも纏う、人ならざる忍。


「まさか……ナナが?」


 落ち零れで、名さえ主に貰えなかったと言っていたナナが『妖鬼』だと言われても、高人にはピンと来なかった。


 だがピンと来なくても敵は撃滅されていく。高人が呆然としている間に最後の一人が倒され、倉庫の中は静寂で満たされた。


 敵の抹殺が完了したことを確認したナナが、高人に背を向けたまま鬼女の面を外す。


 一息ののち、高人を振り返ったナナは、高人が知っている藤堂果琳かりんの顔になっていた。その瞳が、これだけ離れていても分かるくらいに揺れている。


 ナナは、何も言わない。だがそれは、ある意味いつも通りだった。


 いつでも声を掛けるのは高人の方で、ナナはそれに必ず答えてくれる。


 ――そういえば……


 そんな風に高人の声に律儀に反応してくれる人間も、ナナが初めてだった。


「……ナナ」


 吐息に溶かすようにして呼ぶと、ナナの肩がビクリと跳ねた。遠く離れた場所から高人を見つめるナナは、何かに怯えているようにも見える。


 ――あぁ、そう言えば俺は、ナナが無力で何も成せない存在であると判断したから、傍にいることを許したんだったか。


 あんなにも鮮やかに敵勢力を壊滅させたナナが、怯えている。


 何に、なのか。


 悩まずとも、今の高人には、その答えが分かる。それだけの心を、ナナは高人に示してくれた。


 だから高人は、ぎこちなくナナに笑いかけながら口を開く。


「『内助の功』が、役に立ったな」


 その言葉に、ナナはハッと我に返ったようだった。


 ユラリと、もう一度大きくナナの瞳が揺れる。


「ナナ、そんな所に突っ立ってないで、早くこの腕の縄を解いてくれ。結構痛いんだ、これ」

「あ……」


 あえて素っ気なく言い放つと、ナナはかすれた声を上げた。だが声のぎこちなさに対して動きは至極俊敏で、視界からナナの姿が消えたと思った瞬間には高人の腕が自由になっている。


「なぁナナ」


 こういう時に何と声を掛けるべきなのか、高人にはよく分からなかった。


 柏木の捨石であろうと心に決めた時から、高人は『去るものは追わない』と心掛けてきたから。


 だから、誰かを自分の元に引き留めたい時に何をどう口にすればいいのか、高人には分からない。


「……いつか俺は、ナナの素顔と声を、暴いてみせるからな」


 少し迷って、結局口にできたのは、そんな素直じゃない……いや、本心ではあるのだが、なぜか挑むような口調になってしまった言葉だった。


「だから、それまで、俺の傍にいろ」


 椅子に腰掛けたまま、手首をさすりながら、ぶっきらぼうに命じる。


 そんな高人の声に、ナナはなぜか返事をしてこない。微かに息を呑む声が聞こえてきただけだ。


「〜〜〜っ! ナナ!! 分かったら返事を……っ!!」


 結局、ジレた高人が背後を振り返る方が早かった。


 だがその声は途中で止まってしまう。


「……はい」


 あるかなしかの笑み。


 だがそれは、確かにナナが初めて高人に向けてくれた微笑みだった。


「はい、高人様」


 その微笑みに、言葉に。


 自分の心臓が確かにねたことを、高人は自覚する。


 だがそれをナナには覚らせたくなかった高人は、フィッと顔を元に戻すと早口に別の言葉を口にした。


「帰るぞ。さすがに車を呼びたいが……」

「手配はしてあります。それよりも高人様、まずは傷の手当てを」

「それよりも先に、その短刀を仕舞え。危ない」

「あ」


 あたふたとナナが短刀を後ろ腰に片付けるのを気配で察しながら、高人は人知れず苦笑を口の端に乗せた。『藤堂果琳』に戻ったナナは、そんな高人の様子には気付いていない。


 ――まぁ、偽りから始まる結婚も、悪くはないか。


 高人は内心でひとりごちると、倉庫の高窓から夜空を見上げた。




 これはのちに『柏木の秘刀夫婦』と呼ばれるようになる、とある夫婦の、馴れめのお話。



【了】

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