※※

「……というわけなんだが、結婚ってこんなもんなのか?」

「んなわけねーだろっ!!」


 海を臨む西洋料理店レストランの一室に旧友の絶叫が響き渡った。


「影武者ってのもねーけど、その影武者がそんな天然ってのもねーよ! つか名前なんか聞いてどうすんだよ? もちろん藤堂とうどう家に叩き返したんだろうな?」

「いや、無害だって分かったし、家に置きっ放しにしているが?」

「んなーっ!?」


 再び響いた絶叫に高人たかとは思わず両耳をふさいだ。


「何でだよっ!? 藤堂から送り込まれてきた刺客なんだろそいつ!! よりにもよって、藤堂なんだぞっ!? 遠慮なくネタにして藤堂家に叩き返しゃいいじゃねーか!!」


 藤堂家は、御維新前から名を馳せる武道の名門だ。


 士族に類される家でありながらこの御時世でものさばっていられるのは、武芸だけではなく商才にも恵まれていたからだ。だから藤堂家は武芸よりも商売、爵位と金が物を言う御時世になっても衰退してはいかない。


 その商才を支えているのが藤堂の飼っている忍衆であるという噂は、社交界に出入りする者ならば誰もが知っている話だ。


 藤堂家の要人には、必ず一人に対して数名の忍が付けられているらしい。藤堂は己付の忍を利用することで取引に有利な情報を優先的に集めているという。


 その噂が本当ならば、藤堂家の令嬢である果琳かりんが複数人の影武者……忍を使っていてもおかしくはない。


「この結婚は、簡単に破断にできるものじゃない。両家の命運がかかってる」


 高人は小さく溜め息をつきながら弘和ひろかずに答えた。


 高人の旧友にして側近でもある弘和は、柏木かしわぎの内情を知っている。高人の短い言葉で状況を思い起こしたのか、弘和は『んぐっ』と変な声を立てながら口をつぐんだ。


 ――そう、で破断にしては、逆に敵に隙を衝かれることになる。


 藤堂家と柏木家が対立するようになったのは、御維新後、同じ貿易業に参入してすぐの頃からだ。そして今やこの二家は大日本帝国の貿易業を二分するほどの力を持っている。


 双方ともが相手に潰れてもらえれば業界の覇権を手に入れられるのにと苦い思いを噛みしめ、事あるごとに相手の弱みを突こうと躍起になってきた。


 そんな間柄だというのに、柏木家の三男である高人が藤堂家の四子である果琳を娶ることになったのには、ちょっとしたわけがある。


「今回の結婚は、何が何でも成さなきゃならなかったものだ。柏木にとっても、藤堂にとっても」


 一時停戦協定。その証が、この婚姻だ。


 両家の男女で夫婦という形を作り出すことに意味があるのであって、当人達の意思はそこに関係ない。


 さらに言うならば、それが誰と誰の間で形作られようとも構わない。


「でも、よぉ……」


 高人はそのことを承知でこの婚儀を受けた。


 そこまで知っていながらも、弘和はおずおずと口を開く。


「何も高人だけが、家の犠牲になるこたぁねぇだろ」


 柏木には敵が多い。だが本来ならば柏木にとって藤堂以下の烏合の衆など、放置していても大した問題にはならない存在だった。


 その烏合の衆に変化が出てきたのは、ここ最近のこと。


「仕方がないだろ。柏木家が潰れれば多くの人間が路頭に迷うんだ」


 烏合の衆を陰で操り、ひとつの強大な敵に仕立て上げようとしている影が見える。その影が狙っているのは、柏木と藤堂、その両方だ。


 だから藤堂は、先んじて柏木へ協定を持ちかけてきた。


「兄上達は、柏木の大切な跡取りとその補佐役だ。しかるべき家からきちんとした嫁を娶ってもらわなくてはならない。こんな同盟のための結婚なんて、三男の俺がやっておけばいいだろ」

「でも……っ!!」

「お前に話して、少しスッキリした」


 弘和がこれから何を言うかは分かっている。弘和がそう言ってくれると分かっているからこそ、高人はいつも愚痴を零す相手に弘和を選んでしまう。


 だが本題は愚痴の前に伝えた商談のことであり、その本題はうの昔に終わっている。


「じゃあ、商談の件、よろしく頼むな」


 この話はここまで、という意味の言葉とともに椅子を引く。高人が話を打ち切る姿勢を見せた以上引き止めても無駄だと分かっている旧友は、舌打ちをしながら高人の動きにならった。


 家の車を待たせていた弘和と別れ、高人はゆったりと散歩気分で会社に向かって足を進める。


 その時、ふと思い立って高人は唇を開いた。


「ナナ」

「はい、ここに」

「っ!?」


 自分で呼んでおきながら登場されると驚くという、ここ最近お決まりとなりつつある流れを今日も繰り返しながら、高人はどこからともなく登場した己の花嫁に対して非難の声を上げた。


「どうやってここまでついてきたんだっ!」


 呼んでおきながら現れたことをなじるという高人の理不尽な仕打ちに文句も言わず、仮初かりそめの花嫁は従順に高人の問いに答えた。


「わたくし、走るのは得意でして」

「目立って仕方がないだろうが……!」


 登場したのは、もちろん藤堂果琳の影武者だった。


『名無し』から取って『ナナ』と呼ぶことにしたのだが、それが自分の呼び名だと認識したのか、当初の宣言通りに彼女は名を呼べば忠実に反応を示してくる。高人がどこへ行っても、何をしていても、だ。


「まさかお前、あの場にいたんじゃないだろうな?」


 その彼女が先ほどまで高人達がいた西洋料理店レストラン給仕ボーイの制服に身を包んでいることに気付いた高人は、ヒクリと顔を引きらせながら問いを向けた。


 その問いにもナナは素直に頷く。


「はい、わたくし、御義母様おかあさまに日夜『内助の功』の大切さを説かれておりまして。いつでも高人様をお助けできるように、こうして耳目を張り巡らせているところでございます」

「内助の功というのは家の中で発揮されるから『内助の功』なのであって、外まで出てきたら全然『内助』じゃないだろ」


 実は暗殺の機会をうかがっているのではないのかと高人は一瞬勘繰るが、そうであるならば高人の呼び声に素直に姿を現すはずもない。


 ――相変わらず、何を考えているのか分からない……


「高人様、伊早坂いはやさか様のように御車を呼ばれた方が良いのでは?」


 結局、高人は溜め息をきながら歩き始める


 そんな高人に、珍しくナナの方から声が掛かった。


 ――初めてじゃないか? こいつから声を掛けてくるなんて。


「必要ない。会社まで十分に歩ける距離だ」


 そのことに内心驚きながらも、高人は常と変わらない素っ気ない声で答える。


 だがさらに珍しいことに、ナナが引き下がることはなかった。


「しかし、伊早坂様が仰っていたように、今は危険な状況です」

「そうだな。そのためにお前は望みもしないのに柏木に来たわけだし」


 そう答えながらも高人は歩く足を止めない。ナナはそんな高人のキッチリ三歩後ろを付いてくる。


 ――この辺りは人通りが少ないからまだいいが、会社がある通りまでこのまま付いてこられると周囲の目を引くかもしれないな。


「三男なんて襲いたい物好き、好きなようにさせればいい」

「……なぜ、そのように御自身を無下に扱われるのです?」


 ふと、後ろから掛かる声が遠くなったような気がした。


 足を止めて振り返ってみれば、ナナは高人よりも先に足を止めて高人のことを見つめている。藤堂の忍の技術は一体どうなっているのか、あの夜から二週間が過ぎているというのにナナはいまだに藤堂果琳の顔と声を保持し続けていた。


「伊早坂様とお話しされている時にも感じました。犠牲とか、仕方がないとか、そういう言葉であえて御自身をおとしめておられるような気が致します。わたくしをそのまま傍に置き続けているのも……」


 ナナはそこでわずかに言葉を切った。


 両手が横に垂らされたままキュッと拳を作る。無表情な顔の中、唯一感情を表す瞳がわずかに揺れたような気がした。


「御自身がどうなろうが、どうでも良いと思われているからではないのですか?」

「それがどうした。お前にとっては都合のいいことなんじゃないのか?」


 見抜かれたことにわずかに驚きはしたが、それだけだった。


 家と会社は、いずれ長兄が継ぐ。次兄がそれを補佐していく。周囲もそれを期待している。


 対して高人に周囲が期待しているのは、野心を見せないことだった。長兄と次兄の立ち位置に、高人が入り込まないことだけだった。


 それはすなわち、いない方が良い存在であると言われているのと同義だ。


 だから高人は自分が存在してもいい理由を必死に考え続けた。


 考え続けて得た答えが、今の自分の立ち位置だ。


「兄上、父上、引いては柏木の家を守るための捨石すていし。その役割を帯びていなければ、俺は柏木の家に存在していられるだけの理由がない」

「っ……!」


 自分も柏木の家も、うの昔に納得した生き方だ。


 自分を殺したいならば殺せばいい。理不尽な結婚だって受け入れよう。


 それで柏木の家が守れるならば、高人はそれでいいと本気で思っている。


 だというのに、高人のその在り方に一番助けられているはずであるナナの瞳が揺れた。瞳がはっきりと非難の色に染まる。


 だから高人は、ナナが口を開くよりも先に声を上げた。


「不満ならば、柏木から出ていけ」


 この言葉に、ナナが反論できないと分かっているから。


「俺はこの在り方を変えるつもりはないし、藤堂の人間であるお前に何かを言われたくもない」


 言い捨てて、身を翻す。


 背後からナナの返事はなかった。


 ――そういえば、ナナから言葉を掛けられたこともないが、ナナから返答がなかったことも今までになかったな。


 そんな思いがチクリと心のどこかに刺さったが、高人はそれを振り切るように会社に向かって強引に足を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る