花嫁が影武者でも結婚生活は成り立ちますか?

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 結婚とは、こういうものなのだろうか。


「……つまりお前は、藤堂とうどう果琳かりんの影武者であると?」

「はい」


 白無垢に身を包んだ花嫁は、なぜか片手に短刀を握り締めて高人たかとに組み敷かれていた。


 婚儀が終わった夜。所謂いわゆる『初夜』と呼ばれる晩。二人きりの寝室の、真新しい布団の上。


 ただし当人達の間にを思わせる甘い空気は微塵もない。


 短刀を握り締めた花嫁を押さえ込んだ花婿から醸し出されているのは、冷え冷えとした殺気と若干の困惑だった。一方組み敷かれている側の花嫁は、無表情の中に若干の驚きを溶かして目をパチクリさせている。


「藤堂家の御令嬢である果琳様と、こちらの柏木かしわぎ家の御令息である高人様は、いわば旧敵同士の間柄の政略結婚であらせられます」


 その花嫁が、唐突に今更なことを口にした。


「そんな場所へ無理やり嫁に行かされるのは嫌だと、果琳様が仰せになられまして」

「はぁ……まぁ、よくある話だな」

「しかし家の意向に逆らうことは果琳様とてできません。よって影武者の一人であったわたくしがこうして代理で嫁入りすることになりました。藤堂の本家も知らぬことでございます」

「へぇ……で、普通それ、俺に言うか?」

「こうして暗殺に失敗してしまった以上、御説明申し上げるのが筋かと思いまして」

「ほぉ?」


 ――そもそも暗殺なんてことをしでかした時点で、筋も何もないんじゃないか?


 そんな内心を高人は苦労して飲み込んだ。


 代わりに高人は容赦ない評を花嫁へ突き付ける。


「お前、落ち零れとか言われたことないか?」

「よくぞお分かりで」


 影武者は大きく瞳を見開いて驚愕を表した。


 その反応に高人は思わず脱力してしまう。殺す気さえ失せるとは、こういう心境のことを言うのだろうか。


「お前、名は?」


 高人は影武者の上から体を引くと、問いを向けた。


 いまだに短刀を握ってはいるものの完璧に暗殺という仕事を忘れ去った影武者は、高人の問いにまたパチクリと目をしばたたかせる。


「名はございません」

「は?」

「果琳様はわたくしの出来損ない加減に愛想を尽かされておりまして。名を付ける価値さえないと言われておりました」


 高人が身を引いたというのに、影武者は律儀に押さえつけられた時のままの体勢を維持している。良くも悪くも、そこから高人に対する叛意はんいは感じられない。


「そのため藤堂の家ではわたくしを差す呼称と致しまして『名無し』という言葉が使われておりました。よって柏木家の高人様も、わたくしのことはご自由にお呼びください。呼ばれていると分かれば、わたくしはどのような呼称でも反応いたしますゆえに」

「……はぁ」


 何と反応するのが正しいのか分からない高人は、気の抜けた声を上げることしかできない。


 そんな高人の様子に気付いたのか、花嫁はハッと我に返った様子で体を起こした。何をするのかともはや呆れの境地で眺めていると、いそいそと姿勢を正した影武者花嫁は短刀を手にしたまま深々と頭を下げる。


不束ふつつかな影武者ですが、どうぞこれからよろしくお願い致します」

「……まずは、その手の短刀を仕舞え。危ない」

「あ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る