分け合うなら君と

歌川ピロシキ

残業中に

 今日は俗にいうクリスマスイブ。


 和志の勤める小さな商社でも、定時になるとやれデートだ家族サービスだと皆いそいそと退勤してしまった。家族や恋人のいない者はオフィス近くに住んでいるスタッフの自宅で持ち寄りパーティーだそう。

 社内に残っているのは和志一人だ。


 いつもは常に人が出入りする気配にざわつくオフィスも、今日はしんと静まり返っている。無闇ににぎやかにしゃべる奴もいないので、仕事がはかどって好都合だ。


 人と馴れ合うのが苦手な和志は半ば本気でそう思って作業に没頭していた。


「結城せんぱ~い、一人寂しいイブ過ごしてますか~?」


 不意に明るい声が響き、背後から頬に固く温かいものがあてられる。コーヒー缶だ。


「はい、差し入れ」


 憮然ぶぜんとして振り向くと、目の前には「にっこり」というよりは「にぱっ」と言う擬音が似合いそうな、人好きのする笑顔。こぼれ落ちそうな丸い瞳を三日月の形に細め、白い歯を見せて屈託なく笑う顔は二十歳をいくつか過ぎたと思えぬほど無邪気で愛らしい。

 これでむやみに騒々しくて世話焼きでなければ言うことないのだが。


「幕内、おまえ鳩山ん家のパーティー行ったんじゃないのか?」


「行きましたよ~。もう酔っ払い量産されちゃって。ちょっとのぼせてきそうだから抜けてきました」


 そう言って困ったようにぱたぱたと手で顔を扇ぐ幕内の顔は、さほど酔っているようには見えない。


「それより先輩、進捗はどうですか?」


「ああ、人のいない時間にシステムの保守をしているだけだから。このチェックプログラムを走らせたらしばらく手が空く」


「ふ~ん......」


 ひょい、と和志の手元を覗き込む拍子に長い栗色の三つ編みがぴょこんと揺れた。まるで猫の尻尾のようだ。


「それじゃ、待ち時間に夕飯食べちゃいません?どうせ先輩のことだからゼリー飲料か何かですませちゃうつもりだったでしょ?」


「それで何が悪い。とりあえず栄養が補給できればそれでいいだろう」


 やはりいつもの世話焼きが始まったようだ。隣の席に腰かけながらデスクに出したのは某ファーストフードチェーンの紙袋。袋ごしでもわかる独特の香りに和志の腹の虫が反応して、我知らず赤面する。


「駄目ですよ~。とりあえず栄養とカロリー摂るだけじゃなくて、美味しく食べて食事に感謝して愉しむのって、生きて行くうえですごく大事なんですから」


 はい、と渡された袋を開けるとポテトとビスケット、ローストチキンが小さな箱に納まっていた。


「ちょっと量が足りないかも知れませんが、もう他に食べてるかもって思って」


「あ、ああ。ありがとう」


 どうせ帰ってから適当にコンビニでおにぎりでも買って済ませるつもりだったのだ。それに比べれば立派な晩餐ばんさんと言えるだろう。


「それじゃ、いただきます」


 彼女のせりふにあわせて一緒に手を合わせ、食べ始める。プラスチックのちゃちなナイフでチキンを切るのに悪戦苦闘していると、くすりと笑われた。


「先輩、どうせ誰も見てないからそのままかぶりついちゃえば良いんですよ。こんな風に」


 あ~ん、と声を出して大きな口でかぶりつく。その唇が鶏の脂でてらりと光って、一瞬「美味そうだ」と思ってしまった和志は慌てて目を逸らした。


「意外に美味いな」


 ファーストフードのチキンなど、脂っこくて味もスパイスもきつくて、自分の好みにはとうてい合わない……はずだ。

 それなのに、彼女の真似をしてかぶりついたチキンは思いがけず美味しくて、肉の脂の甘みや旨味が口の中に広がるとともに、じわりと胸に満足感が沁み込んでくる。


「でしょ?クリスマスだもの、チキンは欠かせないでしょ」


 にんまりと笑う彼女の思惑通りになっているようで、ついついひねくれたことを言いたくなってしまった。


「クリスチャンでもないのに?」


「クリスチャン関係ないですよ~。むしろクリスチャンならいろいろしきたりとかあって、食べるものも決まってるから、こんなファーストフードのチキンで済ませたりしないんじゃないかな?」


「そういうものなのか?」


「はい!そういうものです」


 にこにこと元気に言い切られてしまうとそんな気もしてくる。


「キリスト教関係なくても、クリスマスくらいお互い感謝とか、そういうなんかあったかいものを分け合いたいもんじゃないですか」


「なるほど」


「だからね、一緒にチキン食べたいなって」


「……俺と?」


「はい!」


 どういう意味だろう?

 思わず横目で彼女の方を見てしまった、ちょうどその時、気の抜けた着信音がした。彼女がスマホの表示を見て少しだけ表情をこわばらせてから電話に出る。


「もしもし」


『もぅ、ふみちゃんったらどこ行っちゃったの?せっかく聖夜を一緒に過ごそうと思ってたのにすぐいなくなっちゃうんだもん』


 スマホからは和志にもはっきり聞こえるほどの大きさで軽薄な声が無遠慮に響く。たしか彼女の同期で、やたらと女性社員に馴れ馴れしい態度を取るので煙たがられている男だ。


「鳩山先輩にはお断りして抜けてきたんですが……」


『え~俺聞いてないよ~。それじゃ今から行ってやるから二人っきりで飲み直そう。今どこ?』


「すいませんがちょっと調子悪いので。このまま帰ります」


『何言ってんの、ふみちゃんと俺の仲でしょ。変な遠慮しないで。帰るなら家までついてってあげるよ』


 彼女があからさまに迷惑そうにしているのに、しつこく絡んでくる無遠慮な声にだんだん不愉快になってきた。ついつい彼女の手からスマホを取り上げ、和志が通話に出る。


「すまんな、幕内には作業の進捗が思わしくなくて手伝いに来てもらっている。お前にも仕事割り振ってやるから今から来るか?」


『その声、結城センパイっすか? い、いえ遠慮しておきます』


 和志の声を聞いたとたんに大慌てで通話はぷつりと切られてしまった。二人きりのがらんとしたオフィスに気まずい沈黙が下りる。


「……あいつとはそういう関係なのか?」


 沈黙に耐えかねたのか、和志は先ほどの軽薄な声を聞いた時の不機嫌を引きずったまま、思わず零してしまった。


「そういうって、どういう関係ですか?」


「いや、二人でクリスマスの夜を過ごすような……」


「……今の聞いててそう思えます?」


 和志同様、不機嫌さを隠さず軽く嘆息するように答える幕内。


「……いや、全く」


「でしょ?しつこくて困ってたんです。どさくさに紛れてすぐ触ろうとしてくるし」


 なるほど、彼女はやや童顔ではあるが可愛らしいタイプの美人で、明るく人当たりも良い。

 同性の受けも良くみんなから可愛がられている一方で、抜群のプロポーションで一部の男性社員からはよこしまな目で見られている。


「なるほど、災難だったな。それで逃げてきたのか」


「たしかにアレから逃げたかったのもありますが、それより先輩とチキン食べたかったんです」


「……そうか」


 単なる社交辞令かもしれないが、それでもさっきの通話のモヤモヤした心の淀みを押し流し、なにか温かなものを灯すには充分な言葉だった。

 和志の口許が微かに上がり、無意識のうちに小さな笑みが浮かび上がる。


「何かお手伝いできることあります? 資料まとめるくらいなら私でもできますよ」


 いつの間にか食べ終わっていた彼女がゴミを紙袋にひとまとめにしながら訊いてきた。先ほどの不機嫌さはなりを潜め、いつもの笑顔が戻っている。


「では、こちらを頼む」


 年明けから売り出す予定の新商品の資料を渡すと、てきぱきと整理を始めた。和志も負けじと資料をまとめていく。


「終わりました。これで良いですか?」


 ほどなくして、彼女がまとめ終わった資料の確認を求めてきた。資料は見やすくまとまっており、英語の文献は日本語の分かりやすい要約が添えられている。


「さすがだ。短時間でよくやってくれたな」


 和志がねぎらうと、彼女はぱっと花の開いたような笑みを浮かべた。


「本当に?お役に立てて良かった」


 ほっとしたような笑顔は柔らかく自然なもので、いつもの人好きはするがどこか本心の読めない隙のない笑顔よりもずっと良いな、とふと思った。


「チェックプログラム、まだかかりそうですね」


「ああ。それが済めば今日の作業は終わりだ。幕内はもう帰ってもいいぞ」


「……待ち時間、あるならもうちょっとだけいてもいいですか? これも一緒に食べたいな、って」


 いつも闊達かったつな彼女にしては珍しく、ためらいがちに小さな箱を取り出して来た。


「……ケーキ?」


 白い小さな箱には可愛らしくデコレーションされたカップケーキが二つ。


「……だめですか?」


 上目づかいで和志を見上げる頬が少しだけ赤い気がする。


「どうせ待ち時間だ。いただこう」


 小さなカップケーキに可愛らしい砂糖菓子のサンタとトナカイが乗っている。

 せっかくなので、給湯室でインスタントコーヒーを二杯作って紙カップに入れてきた。


「「いただきます」」


 期せずして声が重なって、思わずくすくすと笑いあう。そのままスプーンですくったケーキはクリームと苺のジュレが口の中でほろりと溶けて、甘酸っぱい香りと味が口いっぱいに広がった。


「これはこれで美味いな」


 平素は甘いものをあまり好まない和志だが、今は疲れた頭と身体に甘みと酸味が素直に浸み込んでいく心地がして、たまには悪くない気もする。


 それとも悪くないのは一緒に食べる相手がいるからか。むしろ一緒に食べる相手が彼女だからなのか。

 ふとそう思い至ると、じんわりと身も心も温まった気がする。


 ケーキを平らげてコーヒーをすすりながら、他愛のない話をしていうちに、あっという間に時間が過ぎたようだ。ふと気づくと和志のデスクの端末から小さな電子音が鳴った。


「お、チェックが無事終わったようだな。今日も異常なし、と」


「やった、これで帰れますね」


「ああ、付き合ってくれてありがとう」


 一人で作業に没頭するつもりが、思いがけず温かな時間を過ごせたように思う。欲を言えば、さっきの花の咲いたような笑顔をもう一度見たいものだが。

 そんな感情を抱いた自分に和志が戸惑っているうちに、手早く片付けを済ませた彼女が席を立った。


「それじゃ、お疲れさまでした!」


 笑顔の残像を残してさっさと踵を返す幕内の後ろ姿に、一抹の寂しさを覚える。

 確かにここにはもう用はない。用はないのだが……このまま帰ってしまうのは少し味気ない。


「幕内」


 我知らず呼び止めてしまった和志は、柄にもなくしどろもどろになりながら彼女に言った。


「その……来年のイブも一緒にチキンとケーキ、食わないか?」


「来年も残業ですか?」


 振り向いた彼女に悪戯っぽい笑顔で問われ、今度はきっぱりと答える。


「いや、来年はちゃんとしたデートで」


「え~、初デートまで一年待つのはやだな~」


 くすくすと笑いながら「それより明日いっしょに出かけませんか?」と返された。和志は今度こそ「喜んで」ときっぱり頷く。


「幕内」


芙美香ふみかって呼んでください」


芙美香ふみか、明日楽しみにしている」


「私もですよ、和志さん。それじゃ、また明日」


 芙美香ふみかはぱっと華やいだ笑顔を見せると、今度こそ踵を返してオフィスから出ていった。


 残された和志は戸締りをしながら、明日は何回あの笑顔を見られるだろうかと胸を踊らせる。

 願わくば、彼女が和志の心を温めてくれたのと同じように、自分も彼女の心を温めたいものだ。さぁ、どうすれば喜んでもらえるだろうか。

 今日は久しぶりに心躍る夜になりそうだ。

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分け合うなら君と 歌川ピロシキ @PiroshikiUtagawa

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