フィナーレ

今日の日よさようなら、また会う日まで

 紀元前五四八年。士匄しかいは死んだ。五十代に入った程度であったと思われる。

 開始一行で主人公が死んでしまった。

「は?」

 趙武ちょうぶは、士氏からの急使にまぬけな声をかけた――かに見えた。問われた使者は改めて当主の死を告げようしたが、その前に趙武が口を開いた。

「は? はあ? はあああああああ!? ええっ、ちょっと范叔はんしゅく! なああにやってくださってるんですか! この! タイミングで死んじゃうってどういうこと!?」

 頭を抱え、叫び出す趙武に、使者が唖然とする。しん六卿りくけい、二席、次卿、中軍ちゅうぐん、誠実で堅実な趙氏ちょうしおさ。常に笑み、敬愛と謙譲を忘れず、人の言葉を遮ることなく受け入れ、四十路になってもなお優美な姿の、物静かな実務家。晋人なら、全てそのように評するであろう。その、趙武が、発狂したように叫び、頭を抱え悶えている。士匄の死を告げにきた使者はどうして良いかわからず、途方にくれた。

正卿せいけい范叔がお亡くなりになったこと、ざんねんなことです。復命があるのでしょう、どうぞお帰りを」

 見かねて、趙武の息子が使者に声をかける。使者は、安堵の顔を見せた後、逃げるように帰っていった。

 趙武は、己の息子や帰っていった使者など見えていないようで、ああああああ、と呻き叫び続ける。

「いっやもう、どうしてこのタイミング!? 烏余うよの件、賄賂含めてどうしてくれるんですかああああっ! あなた一年前に『士氏しし不朽ふきゅう』とか言ってましたよね!? 朽ちて死なずとか言って、なんで死んでやがるんです!? バカなの? 死ぬの? 死んでますね!」

 息子は、そっと立ち去っている。この息子は、己の父が人格者であると思っているが、反面、時々このようにヒステリックにわめくことを知っていた。たいがい、同僚が馬鹿なことをしたときに叫ぶ。――父は幼少のみぎりほとんど天涯孤独であったという。そういった方はどこか辛いこともあるのであろう。そのように適当に判断して、常に放置している。この息子は史書にほとんど記載無く、たいした才能のない誠実だけがとりえの青年であったが、処世に長けていたのであろう。

 さて、主人の室で一人怨嗟の声をあげている趙武である。

「よくよく考えれば、死亡フラグじゃなかったですか? 士氏はぎょうの時代から今に至るまで繁栄しているから不朽とか、口走ってたの、あれ死亡フラグだったんじゃないんですか!? いや死ぬならきちんと全部解決してから死んで……」

 趙武はうずくまり、背中を丸めて呻いた。悲しみが襲うどころではない。士匄は、国際的犯罪者対策の要であった。せいから逃げだした烏余という男が各国を攻め、ゆうを奪っている。その問題を晋の代表として士匄が対応を進めていたのである。

 ちなみにこの烏余は斉を飛び出した時に晋に逃げている。そこから、東方各国を荒らし回った。はっきり言えば、烏余から賄賂を貰った士匄が、黙認したのである。そうして被害にあった国から賄賂――この場合は安全保障経費の名目である――を吸い上げ適当に対処する。凶悪なマッチポンプである。士匄とすれば、その程度を払えぬ小国が弱すぎる、ということであり、晋に被害が無ければそれで良し、稼ぐだけ稼いだらほどほどのところで収めよう、ということだったらしい。彼の中のルールに反していないが、周囲が迷惑するパターンを国家規模で行ったのである。スケールの大きなことが好きな先達だと思っていたが、ものには限度がある、と趙武は思った。

 さて回想。

「畏れいります、正卿。烏余の件、えいときましてそうからも被害の訴えがございます。このまま手をこまねいているのは我が晋の信用に関わります。それは正卿としても本意ではないでしょう」

 宋の宰相に泣きつかれたこともあり、趙武は強い口調で諫めた。

「あの程度の賊を押さえられぬ諸侯とは、情けないことだ。まあ、いずれ叩く、様子を見ていろ」

 士匄が適当なことを言いながら、他の議に持っていこうとする。まだ、賄賂絞ろうと思っているらしい。趙武は、わざとらしくため息をついた。

「宋から個人的に相談されたのですが、実はていからも不安だというお言葉が私にございまして」

 仰々しい仕草で言うと、士匄が、は? と声をあげた。

「鄭の誰だ」

「それは私の口からは申し上げられません」

 わざとらしく憂いの顔を見せる趙武に士匄が舌打ちをする。

「すぐ軍を出す。各国に合流を伝えておけ。わたしが打って出る。あと、鄭はわたしが担当しているのだ、お前は口を出すな」

 士匄の言葉に趙武は苦笑する。鄭の大臣に士匄好みの華やかで理論的な教養人がいる。己のお気に入りを取られる、と焦ったのであろう。ここで、各国の地勢や関係を説明してもきりが無いため、割愛する。

 以上、回想ここまで。

 このようなわけで、士匄は音頭を取って烏余を追いつめつつあった。が、中途で今、死んだ。歩いている最中にいきなり倒れ、死んでしまったらしい。巫覡ふげきや医者も間に合わないほどの突然死だった。何か不祥にあって、調子にのって放置したのでは、と趙武は顔を覆った。もちろんその通りである。士匄は、己にかけたしゅである『士氏は不朽』の言葉を第三者に論破全否定されたのである。

 ――その咒にほころび生じるときが汝の終わりだ。

 范武子はんぶしの忠告はなんだったのか。なんでも自慢せずにいられない士匄は、舌禍で自死したようなものであった。一年もったのは彼の見栄と意地と矜持と生き汚さによるのであろう。

 趙武には士匄ほどの才能はない。戦争も上手いとはいえない。士匄が死んだ今、誰がこの状況を畳むのか。むろん、己である。趙武は頬を軽く叩いた。

「……私には范叔のような見事な差配はできません。できることからやるしかございません。もう、文句も言えないのは寂しいですね」

 今は仕事の上司程度であるが、かつては教導していた先達である。趙武は感傷もあり、少し泣いた。趙武が先達としていた公族大夫は士匄を最後に全て旅立ってしまった。

 数年をかけ、趙武は士匄の宿題をやりきった。階段を一段ずつ登るように、しかし確実に積み上げ、人をまとめ、和を尊び、最終的に晋の最大の敵である弭兵びへいの会――恒久和平条約――をちかった。趙武は、人が理不尽に死ぬのが嫌な人間である。その価値観を貫き通したとも言える。むろん、一人ではできなかった。仲立ちしてくれた国、心同じくしている楚の大臣、大勢の人々に支えられた。最も支えてくれたのは、士匄が引き立てた賢人であった。

 そのような日々の中、趙武の孫が十才に近づいた。孫にびょうや祖を教えるのは祖父の役目である。頃合いだろうと趙武は孫を連れて、廟へ行った。曾祖父、祖父、父、そして程嬰ていえいが眠っている。

「我が趙氏ちょうしのお話をするから、よく聞くのですよ、おう

 柔らかく笑むと孫――趙鞅ちょうおうである――は好奇心をあらわにした。目の中がキラキラと光っているように見えた。趙武は子供にわかるようにゆっくりと、丁寧に語った。弁は今に至るまで上手くなってなく、時々冗長となる。幼児は分かったのか分かっていないのか、ふわりとした陶酔の目で趙武が語るのを見ていた。その様子が可愛くてときおり頬を撫でてやると、趙鞅はくすぐったそうに笑った。

 程嬰の話を穏やかに話し終えると、趙鞅が頬を李のようにあからめ、ほおーと大げさなため息をつく。

「おじいさまは、ていえいに会いたい?」

 孫の無邪気な問いに趙武は、軽く笑った。

「そうですね。会って元気にやってます、と申し上げたいものです」

 もう、五十に近い趙武である。湿っぽい感傷も無くなり、幸せな思い出となっている。孫の無邪気な言葉に合わせて、まあ適当に答えた。

「わかった!」

 趙鞅は、元気な返事をすると程嬰を、

 ――趙武は、一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 が、すぐさま孫のとなりに、それらしいものがいることを把握し、

「もう私は大丈夫です、お帰りを」

 と口早に言って拝礼した。程嬰は、頷いて帰っていった。その様子を見て趙鞅が地団駄を踏みながら口を尖らせる。

「会いたいっておじいさま言ってたのに、元気にしてるって言うんじゃあなかったの、うそなの」

 趙武は孫を引き寄せて、目の前に座らせた。

「鞅。祖を気安く呼んではいけない。祖霊の方々は私たちを見守っているのではないのです。見張っているのです。祀りを穢さないか、戒めを忘れていないか、見張っておられるのです。生きている私たちは黄泉こうせんの方々に頼ってはいけません。お言葉も貰ってはいけません。生きている人の言葉を聞きなさい。生きている人に問いなさい。祖を懐かしみ愛しんでも会いたいと思ってはいけません。お呼びするときは、本当に本当に、それしかない時です。、呼んではいけない」

 常に無いほど強い口調で叱責する祖父に、孫は怯えた顔を向けて涙を浮かべた。趙武の剣幕と注ぎ込まれた情報量に趙鞅は恐怖したのである。

「わかんない」

 泣きながら戸惑う趙鞅に、ゆっくり覚えていけばいい、と趙武は言った。趙鞅は虚空に異界を見て、鳥に祖を感じ、夢で天意を見るような子供であった。

「まずはひとつ。迷いなく良いと思うことを取りなさい。それは鞅の好きなことでもいい。お前を惑わすものはたくさん出てくるでしょう。何ものにも囚われずに、迷いなく良いものを見きわめなさい」

 趙武は噛んで含めるように言うと、趙鞅を抱き上げて廟を後にした。

 少々変わった孫を教導しながらも、趙武は引退もせず政務に励み続けた。そうして、己が死病に冒されていることに気づいた。そうなると、安請け合いもできず、長期的な約束もできない。そのような話を向けられたとき、趙武は、己にはわからない、と返し続けた。

趙孟ちょうもうはやがて死ぬだろう。言うことが当面のことばかりで行く末のことまで届かず、民の上に立つ人の言葉ではない。その上、年が五十に届かぬのに八十九十の老人のようにくどい。あれでは長くもつまい」

 このようなことを陰で言われたが、趙武は知らないふりをし続けた。

 紀元前五四一年。趙武は冬の祀りのために曾祖父の廟へ向かった。まず、十二月一日に内輪の廟祭を行った。趙氏に保護を求めた傘下の氏族は呼ばず、趙氏だけの祀りである。妻、しょう、息子、その嫁、娘、孫。真面目な趙武なだけに、訓戒の場も設け、祖を尊ぶよう、人を尊ぶよう、己の行動を尊ぶよう、くどくどしく言った。みな、そのくどさを嫌がらずに聞いた。少年の趙鞅さえ、一生懸命聞いた。

「信義を本として信義を遵守し行いなさい。それは例えるなら農民のようなものです。常に草取りをしよう、土を寄せようと陰日向なく働けば、時に飢饉があったとしても豊作と同じように過ごせます。信が守られれば人の下風には立たないと申します。それが守れていると自分でも言い切れません。民だけでなく、人はみな己の鏡です。己も人の鏡です。それを常に思うようにしなさい」

 誠実を愛し、努力家で根性のある趙武らしい言葉は、皆の中に静かに降りていった。

 趙武は十二月七日、一族全員に惜しまれ愛されながら看取られ、静かに死んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春怪異譚〜傲岸不遜な公族大夫の日常 はに丸 @obanaga

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説