もしかして、師走ですか?私です。初めまして、あなたは。

十余一

赤い服を着た不審者

 師走に入りどこもかしこも競い合うようにイルミネーションがピッカピカ。花屋の店先には鮮やかなポインセチアが並び、BGMは軽やかな鈴の音。世間はクリスマス一色でございますね。イエス・キリストの誕生日だとかサンタクロースの伝承だとか、まあ色々とあるわけですが、今日はあえての時代ものを語らせていただこうと思います。


 時代ものと言っても、お侍さんのチャンチャンバラバラじゃあございません。雪の降りしきる夜、返り血で赤く染まった侍が、仇敵に白刃をプレゼント! ……なんて血なまぐさい話にはなりませんので、どうぞ安心してお聞きください。そういった話は赤穂浪士あこうろうしにでも任せておけばよいのですからね。



 さてさて、時は明治、所は東京。お月様が煌々と輝く夜のこと。

 寒空の下を一人の男が歩いておりました。使い古した生成り色の襟巻きを頭から被って、寒さに首をすくめてトボトボと。しかし何よりも目を引くのは、その身に纏う真っ赤な外套がいとう! 裾には黒い横縞が入り、なんだか洒落ているようにも見えます。ですが、実は赤いブランケット、通称“赤ゲット”を仕立て直したものでした。元々は政府が海外から大量に購入したこの赤い毛布、後に民間に払い下げられ、方々へ出回りました。地方から出てきた人がよく使っていたもんで、田舎者の代名詞にもなっていたのです。


 この男も例に漏れず、東北から遥々やってきたのでございます。何か大事を成そうと勇んで上京したものの上手くいかず。果ては不運が重なり素寒貧すかんぴん。足袋すら履かずに裸の足を下駄に突っ込んで、当てもなく夜の街を彷徨い歩いているのです。寒さと疲れのせいもあってか老け込んで見えますが、よくよく見ると精鍛な顔つき。年は三十やそこらでしょうか。


 食うや食わずの日々が続き、田舎で抱いていた壮大な志はどこへやら。明るい未来を見据えてキラキラと輝いていた目も、今や薄気味悪くギラギラとしているのです。そしてその目が見つけたのは、不用心にも開いた窓。大通りに面した大店おおだなの二階が、まるで誘い込むように口を開けているのです。


 盗みが悪いことだという認識は、ちゃんと持ち合わせていました。けれども飢えと寒さに耐えかねて、「金持ちなのだから、少しくらい、いいじゃあないか」という気持ちが芽生えてしまったのです。そうなったらもう、止められません。塀に凍った足を乗せて、壁のわずかな出っ張りにかじかんだ指を引っかけて、不格好にもよじ登ります。そうして寝静まった静かな家に侵入してしまったのです。

 その時、部屋の奥から声が聞こえてきました。


「ようこそ、お越しくださいました」


 驚いた男が目をこらすと、そこにいたのは毛布に包まった少年でした。窓から差し込む月明かりを反射して、その純粋な目が男を見つめています。

 男は驚きながらも不思議に思いました。


(ようこそ、だって? この子どもは妙なことを言う。泥棒をこんなに嬉しそうに迎える奴がどこにいる)


 しかし少年は尚もニコニコと笑い、続けるのです。


「お待ちしておりました。さん」


 さて、明治時代には色々な西洋文化がなだれ込んできましたが、この頃にはサンタクロースが登場する子ども向けの本も出版されていました。しかしその挿絵が、現代のサンタ像とはちょっとばかり違うのです。立派な髭をたくわえた老人というのは同じですが、膝丈のコートに斜め掛けの鞄、それから三角帽子の代わりに白い頭巾。そして何故か小さなクリスマスツリーを持参し、傍らにはロバを侍らせているのです。


 赤ゲットの外套に生成り色の襟巻きという恰好はまあ、勘違いしても仕方がないのではないでしょうか。当の本人はそんな事情を知る由もないのですが。


(三太九郎? いったい誰と勘違いしているんだ。だが都合が良い。適当に話を合わせてこの場を乗り切ろうじゃあないか)

如何いかにも。私が三太九郎である」


 男が偉そうに言うと、少年はワァっと喜びます。それからはもう怒涛の勢い。「いちど、お礼を言いたいと思っていたのです」と言って深々とお辞儀をしたと思ったら、今度は「外は、お寒かったでしょう」と慌てて毛布を手渡します。それから陶器で出来た湯たんぽも押し付ける。男はもうされるがままでございます。

 そして極めつけは、こんがりと焼かれたビスコイトビスケットと瓶詰めの牛乳。恭しく差し出して「さあ、これも召し上がってください」と言うのです。


 甘いものを食べるなんていつぶりでしょう。生き返ったような心地になった男は、「食べながら、さんたくろうさんのお話を聞かせてくださいませんか」と言う少年にも二つ返事をするのです。月明かりの中で、少年の弾んだ声と男の落ち着いた声の問答が続きます。

 たくさんの子どもたちにプレゼントを配るのは大変ではないのですか、お供のロバは外に控えているのですか、どうして赤い服を着ているのですか、好きな食べものはなんですかと質問攻め。男はビスコイトに舌鼓を打ち、冷たい牛乳をちびりちびりと舐めるように飲みながら、適当に答えます。

 そうしてビスコイトが最後の一つになった頃、少年が問うのです。


「さんたくろうさんのふるさとは、どんなところですか」


「……ずっと北の、寒いところである」


「やはり、まっ白な雪がうつくしいところなのですか」


 男が思い浮かべたのは懐かしい故郷の光景でした。あまり裕福ではなかったけれど明るく朗らかな暮らし。一旗挙げてやると決意したときの熱い気持ち。応援と心配の入り混じった顔をする両親……。

 それが今はどうでしょう。例え勘違いだったとしても、凍えていた自分を助けてくれた子どもが目の前にいるのです。その有難さと情けなさたるや。暖かさと甘さと望郷の想いで涙腺が緩み、男はとうとう泣き出してしまったのでございます。


 突然泣き出してしまったに、少年はどうすることも出来ず、ただただ男の手を握ってやるのでした。その暖かさに男は更に酷く泣いてしまいます。


 その声を聞きつけてやってきた少年の父親は大慌て。夜間に侵入した不審者が、息子の手を握っておいおいと泣いているのですから無理もありません。しかも息子はその不審者をだと言い張るのです。


 少年も、本当はなんて存在しないと薄々思っていたのかもしれません。それでも聖夜に赤い服の男は訪れた。プレゼントこそありませんが、お喋りしたひとときは楽しいものでありました。だから男を庇い続けたのでしょう。

 だけども無罪放免というわけにもいきません。男は「まだやるべきことが残っているから」と、父親に連れられて行ったのでございます。



 この話はこれにて終い……じゃあございません。

 季節が一巡りした頃、少年の前には再び赤い服を着た人物が現れました。しかし時期は冬至も迎えぬ十二月半ば。とんだあわてんぼうのサンタクロースでございますね。そんなサンタクロースが、少しだけ開いた引き戸から顔を出し、フエルトで出来た柔らかい体をぴょこぴょこと揺らしなが言うのです。


「もしかして、師走ですか? 私です」


さん!」


「初めまして、あなたは――」


 サンタクロースの人形を持っていた男の言葉は、勢いよく飛び込んできた少年によって遮られました。続く予定だった言葉は「今年一年、良い子にしていましたか」とかでしょうか。初めましてだなんて、白々しい。でもそれが、罪を償い生まれ変わった男なりの再会の言葉だったのでしょう。


 男は少年の父親が経営する大店で奉公することになり、後に少年の右腕として働くことになるのですが、それはまた別のお話でございますね。

 今回は、陽の当たる暖かい部屋で少年と共にビスコイトを食べるところで終いといたしましょう。


 皆さまも心と体を暖かくしてお過ごしください。メリークリスマス!

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