晴美の悔恨

安江俊明

第1話

フリーの女性カメラマン・晴美が事務所にしているマンハッタンのアパートの部屋で、ある夜電話が鳴った。次の企画を捻り出そうと、頭を掻きむしっていた最中で、出なかったが、いつまでも鳴り続ける。チキショーと思いながら電話に出た。

「晴美さん?」

 中国人訛りのある日本語だった。

「どなた?」

「あんた、スクープ写真撮りたくない?」

 カメラマンはスクープという言葉に弱い。内容くらい聞いてみるか。

「FBIの女性捜査官が殺害される瞬間を撮らないか?」

「えっ? どういうこと?」

 耳を疑った。

「場所はイースト・ビレッジにあるCONCというカフェの前。明日の夜十時きっかり。捜査官が赤間という社長に殺される」

「あんた一体誰なの?」

 電話はぷつんと切れた。赤間社長と言えばFBIと協力関係にある社のトップだ。何故あの社長がよりによってFBIの女性捜査官を殺すんだろう? もしそんな写真が撮れたら大衆誌に高く売れる。晴美は俄然興味が沸いて来た。

半信半疑のまま晴美は指定時刻の十分前に物陰に隠れてカメラを構えていた。舗道には人影もなく、店から漏れる光と近くの街灯が辺りを照らしていた。

暫くすると、ハイヒールの音が近付いて来た。晴美はハンターのようにカメラを構えた。コートを羽織ったブロンドの若い女がCONCの前で立ち止まり、腕時計を見た。カメラレンズは女の背後から男が近づき、左腕で女を羽交い締めにして、右手に握ったボーイナイフで、女の胸を突き刺すのを捉えた。晴美は夢中で連写した。男が去った後、晴美は倒れている女に近づいた。血が辺りに飛び散り、女は息をしていない。確かにあれは赤間社長だ。間違いなくスクープだ! 晴美はその場から足早に去った。


 FBIニューヨーク支局は騒然としていた。女性捜査官は中国マフィアの情報を教えるという匿名の電話で誘い出され、難に遭った。

 解剖の結果、刺し傷が心臓に達しており、女性捜査官の死因は失血死だった。捜査官の単独行動は禁止されているのに何故独りで、と捜査陣は首を捻った。

 事件そのものは夕刊紙やテレビで大々的に報じられた。晴美はニュースを見て写真はきっと高く売れると確信し、どの社が最高値をつけるのか皮算用をしていた。

 

それから数日後、全く同じパターンでFBI女性捜査官が殺害されるという事件が起きた。犯行現場はワシントン広場の凱旋門から五番街を少し北に上がった東側にあるカフェの前。被害者はエマニュエル・ラント。凶器はまたボーイナイフだ。晴美が写真の売買交渉をしている間に起きた第二の事件で、別のパパラッチが撮った赤間の犯行の瞬間を捉えた写真が直ぐにゴシップ誌の特集に載った。赤間が背後から女性捜査官の首に左手を回し、ナイフで胸を突きささんとし、女性捜査官が恐怖の余り、目を大きく開いた写真の迫力で飛ぶように売れた。

赤間はFBIに即逮捕された。赤間オフィスには、マスコミが大挙押し寄せ、支局長の黒部と顧問の国吉は質問攻めに遭った。

「社長はそんなことをする人物では断じてない!」

「しかし、あのスクープ写真の顔はどう見ても赤間社長じゃないですか!」

 FBIは写真を撮影した中国系女性カメラマン・鄭春蘭を割り出し、話を聞いた。

「スクープ写真を撮らないかと誘われ、現場でカメラを構えていたら、赤間社長が目の前で捜査官を刺し殺したんです」

 殺害されたエマニュエルは二人で行動していたが、同行捜査官がちょっと目を離した隙に刺殺されてしまったという。

 

赤間オフィスではスタッフのココ・スーが捜査上で中国マフィアの殺し屋に命を狙われ身を隠していた。

「中国マフィアが社長を嵌めたんだろ? それしか考えられない」

 アドバイザーの波佐間が吐き捨てるように言った。

事が事だけにココ・スーもオフィスの会議に姿を見せていた。

「恐らく外部の殺し屋の犯行だわ。何処からリクルートしたのかしら?」

スクープで先を越された晴美は捜査協力のため、自分が撮った写真をFBIに持参した。赤間そっくりの顔が写っており、連続殺人容疑が濃厚になった。

 外出禁止を命じられているココ・スーは独自で情報を得ようと動き始めた。

殺し屋は中国マフィア・候劉会の事務所に隠れ潜んでいるとココ・スーは睨んでいた。赤間を殺人犯に仕立て上げれば、奴の仕事は終わっている。あとは大金が振り込まれるまで酒でも飲んで楽しく過ごそうというのが相場と踏んでいた。

 夜の帳が降りたネオン街はコロナの影響で深夜営業が禁止されていたが、中国マフィア系の店は深夜まで営業を続けている。

赤間オフィスの涼と浩之は候劉会最高幹部・劉泰山の店BAR・RYUに客を装って入り込んでいた。赤間そっくりの殺し屋が一番出入りしそうな場所だ。しかも今、劉が店に出ている。マスクもせずに大声で話す客がいた。向かいの席に劉とその右腕と思われる男が座り、相手をしているので上客だろう。

「驚いたぜ。あの赤間とかいう社長がFBIの女を二人も殺ったんだって? あんたとこが仕組んだんじゃないのか?」

 上客の質問にも答えず、劉は黙って不敵な笑いを浮かべていた。涼は隣の席で耳をそばだてている。浩之は秘かに小型録音機を回していた。右腕の男が「でも上手く行きやしたな」と軽口をたたいた途端、劉の肘鉄が脇腹に飛び、男は顔を歪めた。やはり候劉会が絡んでいる。涼は確信した。

 ココ・スーは部下のリンダと共に情報屋の溜まり場に顔を見せていた。

「これはスー姉さん。お久しぶりね」

 目敏くココ・スーを見つけたゲイの情報屋・お富が笑みを湛えて近づいた。

「丁度良かったわ。ホカホカの特ダネありよ!」

「赤間絡みの?」

 ココ・スーが尋ねた。お富は大きく頷いて、彼女を暗がりに案内した。

「特ダネ教えてよ」

 お富は周りを警戒しながら、ココ・スーに耳打ちした。

「あたいのダチが店で赤間に出くわしたの。最初サングラスとマスクしてたけど、酔ったら取っちゃったのよ。そしたらあの顔。だって赤間社長は逮捕されているはずでしょ? もう釈放されたのかとびっくりしたって……」

「それって何処の店?」

「イマジンよ」

ココ・スーはすかさずバッグから取り出した封筒をお富に手渡した。お富は封筒を覗いてヒューと口笛を鳴らした。

「こんなに! さすがスー姉さんは違うわ。あんたも姉さんを見習って、あたいから情報受け取ったらちゃんとはずんでよね」

 お富はリンダにウィンクして見せた。

「それと、赤間はイマジンの後でBAR・RYUに回り、劉と会うそうよ。これ、おまけ」

ココ・スーはリンダとイマジンに向かった。涼に電話を入れて、「赤間」が間もなくそちらに向かう旨を知らせた。

「イマジンから出て殺し屋がそちらに行くのを確かめるわ。気をつけて!」

 ココ・スーは黒部に連絡を入れて、FBIにBAR・RYUを包囲するように依頼した。

午後十時を回った頃、「赤間」が独りで店から出て来た。街頭に照らされた顔は見紛うことなく赤間の顔だ。ココ・スーはリンダの手を引っ張り、女が二人ぺちゃくちゃ話しながら歩く格好で「赤間」の傍を通り過ぎた。すかさずハンカチがココ・スーの手から落とされた。「赤間」がそれに気づき、ハンカチを拾い上げて声を掛けた。

「お姉さん、ハンカチ落としたぜ」

「赤間」はココ・スーを見つめて微笑んでいる。ほらご覧。このわたしを知らないじゃない、この偽者! ハンカチが、あんたが誰なのか証明してくれるわよ。

素知らぬ顔でココ・スーはスマートフォン対応の手袋でハンカチを受け取った。

「赤間」はその足でBAR・RYUに向かい、入り口警備の組員に顔パスで店に入って行っ

た。劉が自ら「赤間」を出迎えて人目につかない席に案内している。

その直後にFBIの捜査官がIDを見せて店に入り、劉と「赤間」の席にツカツカと進んでIDを突き付けた。

「お二人とも同行をお願いしたい。女性捜査官殺しの容疑だ」

「赤間」も劉も驚いて半立ちになった。胸のホルダーから銃を抜こうとした「赤間」は捜査官に銃を突き付けられ、観念した。

 ココ・スーは鑑識に「赤間」の指紋が付いたハンカチを提出し、指紋照合サンプルを作成してもらった。

「赤間」は恐らく香港か中国からのリクルートと睨み、ココ・スーは元香港警察捜査官の経験を活かし、ニューヨーク市警のコンピュータで香港警察を呼び出し、中国と香港の犯罪者の指紋ファイルを検索した。マッチングがあった。男は余周幹。香港で殺人の犯歴があるが、当時の余の雇い主である香港マフィアに買収されていた警察は余を釈放してしまっていた。赤間にそっくりな余を候劉会が香港からリクルートし、赤間社長を嵌めたのだ。

 ココ・スーは人物特定で指紋照合による動かぬ証拠をFBIに提供したが、余は黙秘を続けている。押収品が徹底的に調べられた。店でのボディチェックで余の左脚に仕込まれていたボーイナイフ。血は拭き取られていたが、科捜研でのDNA検査も加えた精密チェックで女性捜査官殺害に使われたものであることが判明した。余の預金口座に殺害の報酬らしい大金が振り込まれているのもわかった。候劉会の秘密口座から振り込まれた裏付けが取れれば、候劉会のダメージは計り知れない。

誤認逮捕されていた赤間は釈放され、ココ・スーの活躍を知った。

「まだ出歩くなと指示していたのに、それを破ったのは困るが、結果的に俺の潔白証明に貢献してくれたのは有難い。礼を言うよ」

 赤間はココ・スーと肘を合わせた。


晴美はこの連続殺人事件を振り返り、慙愧に堪えなかった。晴美の撮った余周幹、すなわち偽赤間の写真が中々ゴシップ誌に掲載されないため、候劉会が業を煮やして同じことを余周幹にやらせたのだ。そして捜査官エマニュエルが殺されてしまった。わたしが写真の売買交渉を直ぐに済ませて特ダネ写真を何処かの雑誌社に売っていたらエマニュエルは死ななくて済んだはずだ。

晴美はパパラッチに憧れてカメラを持った。華麗に暮らすセレブたちにも他人に見せたくない裏の世界がある。それを白日の下に晒し、セレブも同じ人間だということを世に知らしめていく仕事と認識し、憧れたのである。今回の事件でパパラッチはいとも簡単に悪に利用されてしまうことを痛感した。晴美はパパラッチを辞め、マンハッタンで慣れない接客のアルバイトを始めた。エマニュエルの写真をペンダント・トップに入れて常に持ち歩き、苦しい時にキャップを開いては、彼女に祈りを捧げつつ自分を律する縁(よすが)としている。

 鄭春蘭は写真を持ち込んだ雑誌社の高給特約カメラマンになり、今日もマンハッタンを駆け巡っている。

                                   了

                                 

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晴美の悔恨 安江俊明 @tyty

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