第7話 佐山 琴美④
「……」
マンション前に着くと、辺りは真っ暗になっていた。
どうにか来れたものの、目前で私は不安に駆られて立ち尽くしてしまった。
真人は優しいから受け入れてくれるとは思っている。
でも香帆が電話で言っていた言葉が頭から離れない。
……本当に受け入れてくれるの?
ううん……受け入れてくれる!
何度も自問自答していると、頭から雨水が滝のように降ってきた。
すっかり忘れていたけど、今日は夜から朝方に掛けて大雨が降るって天気予報で言っていたわね。
ピンポーン……
『はい……琴美? どうしたの!?』
勇気を振り絞ってベルを押すと、インターホン越しに真人が顔を見せた。
彼の顔を見た瞬間、心が少し軽くなった気がした。
「急に訪ねてしまってごめんなさい。 どうしても話したいことがあるの」
『わかった。 とにかく中に入って』
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ピンポーン……
真人の部屋のベルを鳴らすと同時に、彼がドアを開いてくれた。
「さあ、早く上がって」
真人は嫌な顔1つせず、私を出迎えてくれた。
彼の部屋に入ると、温かな空気が私を包み込んだ。
テーブルには医学関係の参考書が無造作に開かれている。
「これ、よかったら……」
真人は自分の私服を私に手渡し、シャワーを浴びさせてくれた。
寒空の中を走ってきた体と両親の裏切りで冷えた心が、シャワーのお湯と共に流れて行くみたい……。
※※※
シャワーから出ると、私はテーブルを挟んで真人と向かい合った。
テーブルには真人が用意してくれたホットミルクの入ったマグカップが置いてある。
彼の心遣いがこれだけ形になっている。
「……」
「琴美? どうかしたの?」
「ごっごめんなさい……」
私は嬉しさと後悔が一気にこみ上げ、嗚咽と共に涙を流した。
女優の仕事で涙を流すことはあった……でも今みたいに感情をむき出しにして泣いたことはこれまで1度たりともなかった。
まして、愛する真人の前でそんな無様な姿を見せたくなんてなかった……。
「いいんだ……話せるようになるまで待ってる」
真人は何も聞かず、私が落ち着くのを待ってくれた。
やっぱり彼は優しい人……私が心から愛しいと思える人……。
※※※
「……ありがとう。 もう大丈夫だから」
泣き明かした私は徐々に平常心を取り戻していき、ようやく口が効けるようになった。
そして、私はこれまでのことを全て話した。
西岡のこと……妊娠のこと……両親のこと……全て洗いざらい。
「……」
話し終えると、真人は言葉を失っていた。
当然の反応よね……自分の知らない所で私が別の男と寝て妊娠までしてしまったんだから……。
「西岡にはしかるべき報いを受けさせるつもり……両親とも縁を切るわ」
「……」
「ごめんなさい……脅されたとはいえ、あなたを裏切ってほかの男に体を弄ばれて、妊娠してしまったのは事実よ。
でももし……あなたさえよかったら、私とこのまま結婚してほしいの!」
「琴美……」
「私は一生かけてあなたに尽くすわ! 女優だってやめても構わない!
真人さえそばにいてくれるなら、私はもうほかに何も求めない!!
真人が私にとって最後の希望なの!!」
私は椅子から立ちあがると、生まれて初めて土下座をした。
こんな行為、私には無縁だと思っていたけど、今の私にはお似合いの姿ね。
「琴美……顔を上げてくれ」
真人は私の肩に手を置いてくれた。
その手から伝わるぬくもりが、私の傷ついた心を癒してくれる。
「真人……」
顔を上げると、真人はにっこりと優しい笑顔を私に向けてくれていた。
「琴美がずっと苦しんでいたのに……俺、何もしてやれなかった……ごめん」
「あっ謝らないで! 真人は何も悪くないから……」
「俺に何ができるかわからないけど……できる限り力になるよ。 だからもう土下座なんてしないでくれ」
「真人……ありがとう」
真人はやっぱり私の王子様だ。
こんな汚れた私を優しく受け入れてくれる。
私は真人という最高のパートナーを引き合わせてくれたことを神に感謝した。
「ほら……ミルクでも飲んで落ち着いて」
そう言って真人が私にホットミルクを差し出す。
「あっありがとう……」
マグカップを受け取ろうとした私の手が真人の手に触れたその時!
「!!!」
ガチャーン!!
真人が突然マグカップ手放し、数歩後ろに下がってしまった。
マグカップは大きな音と共に粉々に砕け、中のホットミルクが飛び散ってしまった。
「ま……真人?」
「……」
真人の顔から笑顔が消え、青ざめていた。
目は大きく開き、呼吸も乱れている。
私が触れてしまった手は、携帯のバイブのように小刻みに震えていた。
こんな真人の顔は見たことがない。
でもそれが何を意味しているかはわかった。
真人は私を拒絶している。
手が触れ合った瞬間、手を引っ込めたのも、私が汚れた女だと思っているから。
さっきまでの言葉や笑顔は全部私を気遣っただけなの?
挙動不審な様子から多分、無意識にやってしまったんだと思う。
それはつまり、真人は今の私を否定的に見ているということ……。
「琴美……あの……」
絞り出すような声を出して私に近づこうとする真人。
笑顔は戻っていたけど、作り笑顔なのはすぐわかった。
でもその笑顔は……私の機嫌を取ろうとしていた両親と同じ、自分のための笑顔。
私に対する想いなんて感じない。
真人は私を拒絶しているんだ……。
「あ……あぁぁぁぁぁぁ!!」
「琴美っ!!」
私はショックのあまり再び雄たけびのような声を上げ、裸足のまま外へと飛び出した。
後ろから真人が私を呼びながら追いかけてきていたけど、私は振り返ることができなかった。
この世で最も愛していた真人に拒絶された……しかも彼は笑顔で私の気持ちをごまかそうとした……私にとってどんな宝石よりも美しく見えていたあの笑顔を偽ったんだ。
私は怒りと悲しみで頭も顔もグチャグチャだ……皮肉にも、涙で汚れた私の顔は雨水が流してくれる。
だけど……その冷たい風と雨水は私の体に残る真人のぬくもりを容赦なく奪っていく。
後に残ったのは凍えるような寒さと心臓をえぐられるような心の痛みだけ……。
「……」
私はいつの間にか大きな橋の上を歩いていた。
中央の車道を通る車のライトが私を照らすたびに暗闇に慣れた私の目がチカチカする。
真人も振り切ったみたい……いや、追いかけるのをやめたのかもしれないわね。
私はその場で立ち止まり、漆黒の闇に覆われた空を仰いだ。
「アハハハ!!」
私の心はもう限界だった……私は悲鳴や叫び声を出すこともできず、空しく笑い声がこみ上げてきた。
もう私は誰も信じられない……お父さんも……お母さんも……真人も……みんな私のことなんか愛してくれていないんだ……今までの幸せがシャボン玉みたいに消えて行く……。
ほんの少し前まであんなに幸せだったのに……なんでこうなったの?
なんでこんな思いをしないといけないの?
「西岡……香帆……」
人間としての幸福や信頼を失くした私に残されたのは、西岡と香帆への恨みだけ……。
何もかもあいつらのせい……私が真人と歩むはずだった幸せをあいつらが全部ぶち壊したんだ!!
女を辱める西岡と私達への恩も忘れて西岡をけしかけたゴミの香帆。
あいつらに生きている価値なんてないわ!!
「……殺してやる」
今までに感じたことのない憎しみが沸き上がってきた。
皮肉にもそれだけが今の私の原動力になり、止まっていた私の思考や感情を呼び覚ます。
もう生きることに未練なんてない。
空っぽのまま生きていたって意味なんてないじゃない。
でも死ぬ前に西岡と香帆……あの悪魔共だけは絶対にこの手で葬ってやる!!
あいつらへの復讐を誓った私はその場から歩き出す。
キュイーン!!
「……えっ?」
その時だった……。
突然強い光が私に向かって突っ込んできたのは……。
あまりのまぶしさに私は目を閉じてしまう……すると前から強い衝撃が襲ってきた。
全身の骨がきしみ、内臓が潰されそうな力が加えられる。
そこでようやく私はその正体が車であることに気付いた。
……でもその時すでに、私の体は車に衝突された勢いで空中に跳ね飛ばされていた。
そして……私の体は重力に従って下に落ちて行く……。
でも私の下にあるのはさっきまで歩いていた歩道じゃなく、暗くよどんだ川。
衝突された際に体が手すりを超えてしまったんだ……。
川は何十メートルも下に流れている……この高さじゃ水もコンクリートと同じ。
それだけでも絶望的なのに、川はこの大雨で荒れている。
そんな川に落ちたらほぼ確実に死ぬ。
でも車にはねられた私の体には強い痛みが走り、言うことを聞いてくれない。
私は何もできずに、川へと吸い込まれて行く……。
「……」
私はここで死ぬの?……まだあの2人に復讐していないのに……神様は私から復讐の機会すら奪うっていうの!?
嫌っ!!
私だけが死んで、あの悪魔共だけがのうのうと生きて行くなんて……こんなのおかしいじゃない!!
あんなにたくさんの人に愛されていた私が、こんな所で1人で死ぬ?
認めない!こんなエンディング認めない!!
私が一体何をしたって言うのよ!?
私は誠実に生きて、家族のために誰よりも努力した!!
愛する真人のためにこの命がなくなるまで尽くすと神に誓った!!
周りの誰もが私を羨んでいた……そんな私がどうしてこんな目に合わないといけないの?
なんで私は死なないといけないの!?
私は幸せになっちゃいけないの!?
あいつらは自由に生きていていいの!?
あいつらは罰せられなくてもいいの!?
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バチャーン!!
私は川に落ちてしまった……あんなに痛かった体の痛みもいつの間にかきれいに消えていた。
もう死が近いことは察していた。
でも納得できない!!
これは何かの間違い……悪い夢よ!!
「……」
生きる気力があったとしても、私の体は荒波に流されながら、暗い川底にゆっくりと沈んでいく……。
頭の中にいろんな記憶が浮かんでは消えて行く……これが走馬灯なの?
いや……このまま死にたくない!!
『琴美っ!!』
「!!!」
その時、私の名前を叫んで私に手を伸ばしてくる人影が視界に映った……それは子供の頃の真人…‥かつて溺れていた私を助けに来てくれた真人の姿……。
彼は必死に私に手を伸ばしてくれる。
私は真人の手を掴もうと腕を力の限り伸ばそうとするけど、真人の手を掴むことができない……。
それでも私は諦めない!
真人が……私の愛する人が目の前にいるんだから!!
徐々に意識が薄れ始めて来たけど、私は手を伸ばす。
きっと真人が助けてくれると信じて……。
でも結局、その手を掴むことはできず、私の意識は暗い闇の中へ吸い込まれて行った……。
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