第22話 釘崎 真人⑤
西岡との決着をつけた俺は栄子と結婚し、住んでいた家を手放してマンションへと引っ越した。
俺が以前住んでいたマンションとは別だが……なかなか住み心地が良い。
あれから3年の月日が流れた……托卵や優を失った時の心の傷は今でもズキズキと痛む。
香帆と西岡の関係を知った時……優を失った時……托卵を知った時……過去の傷がフラッシュバックして、気分が悪くなることがたびたびある。
ひどい時には嘔吐することも……。
眠っている時でも悪夢という形で俺を苦しめ続けている。
「おい真人……顔色悪いけど大丈夫か?」
とある昼休み……昼食を取っていると同僚から心配そうに声を掛けられた。
「あぁ……大丈夫。 ちょっと疲れただけだからさ」
「そんな死にそうなツラぶら下げといて何言ってんだよ。
気分が優れないなら今日は早めに切り上げたらどうだ?」
「そんなわけにはいくかよ……この後も患者が待っているんだ。
医者が患者を放置して休めるかよ……」
「あとは俺が引き受けてやるよ。 万全じゃない医者が患者を診た所でつまんねぇミスをして周りが迷惑するだけだ」
「……ごめん。 頼む」
「気にするなよ! 医者だって人間なんだから、自分の体を優先したって罰は当たらねぇよ」
フラッシュバックによって不安定になった精神と悪夢によって不足している睡眠時間が俺の体調を悪くする。
そのせいで職場ではこんな風に同僚が気を使ってくれている。
気にするなとは言ってくれるが、こんなことが何度も続けばさすがに申し訳がなさすぎる。
一向に体調が回復する兆しが見えず、俺はやむなく休養を取って精神科に通院することにした。
こんな俺に医者が続けられるのか不安になり病院をやめることも考えたが……。
『俺達お前の腕を買ってるんだぜ?
患者さんだってみんなお前を慕ってくれているんだ。 寂しいこと言うなよな!』
『釘崎さんがいない間は私達がなんとかしますから、こっちのことは気にしないで自分のことだけを考えてください』
『釘崎先生! 僕、折り紙でお花を作ったんだ! これあげるから元気になってね!』
同僚や患者のみんなが俺を励まし、引き止めてくれた。
こんなどうしようもない俺なんかを……そんなみんなの気持ちを不意にすることはできない。
俺は医者としてもう1度白衣に袖を通すため、回復に努めることにした。
休養中の通院費や生活費は恥ずかしながら父から支援してもらっている。
『金のことは気にせず、今は自分のことだけ考えておけ!』
父はそんな励ましの言葉で俺に活を入れてくれた。
何年経っても父には頭が上がらない。
医者としての責任を果たせないのは歯がゆいが……父や同僚の言う通り、休養を取ることにした。
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休養中は通院や買い物以外の時間のほとんど家で過ごした。
何もせず引きこもっている訳にもいかないから、無理のない範囲で家事もした。
「真人。 家事をしてくれるのはありがたいけど、あまり無理はしないでね?」
浴室を掃除している俺にそう声を掛けてくるのは妻の栄子だ。
互いにパートナーに裏切られたことで寄り添うように一緒になった女性だ。
香帆に裏切られたことで少し女性不信の傾向もあるが、栄子はつらくなったら遠慮なく言ってくれる。
だからといって夫婦の営みがない訳じゃない……トラウマが原因で俺の機能が不調を起こして行為が困難になることもあるため、興奮剤を使用することも少なくない。
生活においても営みにおいても本当に栄子には申し訳なく思っている。
「わかってるよ。 栄子こそ無理はするなよ? ”もう1人の体じゃないんだからさ”」
「フフフ……わかってますよ」
そんな栄子のお腹の中には新しい命が宿っている。
少し前に体調が悪くなった栄子がもしやと思って、検査キットを使用したことで妊娠が発覚した。
妊娠を知ったときは声を上げて喜んだ。
あまりの声の大きさにお隣さんが”うるさいっ!”と怒鳴り込んできたくらいだ。
お隣さんには悪いことをしたけど仕方がない。
愛する妻の妊娠を聞いて喜ばない夫なんかいないだろ?
これから生まれてくる子供のためにも、俺は過去を振り切って前に進まないといけない。
栄子だって西岡に裏切られたショックから奮い立って頑張っているのに、俺が頑張らないでどうするんだ!!
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妊娠が発覚してから数ヶ月の時が流れた……栄子のお腹はどんどん大きくなり、出産までのタイムリミットが迫りつつあった。
この頃になると看護婦の仕事を続けるのは難しいので、栄子は長期休暇を取っていた。
「だいぶ大きくなったわね……あっ! 今お腹が動いたわ!」
「えっ!?」
俺は思わずソファに腰を掛ける栄子のお腹をさする。
「……あっ! また動いた!」
俺の手にかすかに伝わって来る振動……これから生まれようとする命の躍動感が伝わって来るみたいだ。
「お父さんに撫でられて喜んでいるのよきっと……」
「そうだと……いいな……」
「……どうしたの? 元気がなさそうだけど……」
「えっ? あぁ……そうかな?」
「もしかして、またぶり返したの? だったら私のことは気にせず横になっていて」
「大丈夫だって……心配し過ぎだよ」
「そっそう?」
「……」
実はこの時……俺は栄子に1つ隠していたことがあった。
それは栄子のお腹にいる子供に疑念を抱いているということ……はっきり言ってしまえば俺の子か疑ってしまっているってこと。
妊娠を知って嬉しかったというのは紛れもなく本当だ……でもそれと同時に疑惑を抱いてしまっていた。
その原因は間違いなく西岡と香帆に企てられた托卵……心から愛していた優が俺と血がつながっていなかったショックが俺を疑心暗鬼にさせる。
元気がないように見えたのは、疑惑を覚えたことで芽生えた罪悪感が顔に出てしまったのだろう。
だけど……言えるわけがないだろう?
お腹の子は俺の子か?なんて……そんなひどい質問なんてできるわけがない!!
いくら優しい栄子でもそんなことを言えばショックを受けるに決まっている!
『何を疑うことがあるんだ?
この子は正真正銘、俺達の子だ!
俺は愛する妻を信じることすらできないのかよ!!』
自分に何度もそう言い聞かせたが……疑惑を拭いきることはできなかった。
全く持って情けない男だな俺は……。
俺のこの曇った心を晴らすには現実的な証拠を自分に提示するほかない。
そう思った俺は、栄子には内緒で出産後にこっそりDNA鑑定を行うことを決めた。
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出産予定日が近くなり、陣痛が頻繁に起きる栄子は入院を余儀なくされた。
1人の時間が増えると心の中の疑惑が大きく表に出てくる。
俺は少しでも気を紛らわそうと好きなテレビ番組を視聴したり、掃除や買い物等で体を動かしたりと色々やってみたが……あまり効果はなかった。
こんな中途半端な気持ちのまま我が子の誕生を迎えてしまうのかよ……。
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それから間もなく……栄子は元気な男の子を出産した。
母子共に健康なようで俺は看護婦に2人のいる病室への入室が許された。
「栄子……」
「真人……私達の赤ちゃんよ」
ベッドで横になっている栄子の横ですやすやと眠っている愛くるしい赤ちゃん。
手も小さくてほんのり温かみを感じる。
生まれたばかりの優もこんな感じだったな……。
「よく……頑張ったな……」
「子供のためだもの……これくらいなんでもないわ」
発する言葉は元気そうだが、声にはあまり覇気がない。
出産してからそんなに時間が経っていないんだから当然だよな。
「とにかく今はゆっくり休んでくれ。 元気になったら3人で一緒に帰ろう」
「えぇ……」
「……」
あまり栄子に体力を使わせるわけにはいかない。
俺はすぐに病室を後にした。
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「……」
生まれてきた我が子を目の当たりにして嬉しかったか?
そんなの嬉しいに決まってるだろ?
我が子の誕生に喜びを感じない親なんているかよ!
健康に生んでくれた栄子にも、元気に生まれてきてくれた赤ちゃんにも言葉にできないくらい感謝している。
俺は2人を一生かけて守り続けていくと神に誓う!……でもなぜだ?
なぜ心の中の疑惑が消えないんだ?
この目で我が子を見て……この手で我が子に触れたんだぞ?
それなのに俺は2人を疑っているのかよ……。
「ちくしょう……」
情けなかった……自分の家族を信じ抜くことができない自分の弱さが……。
今やっと……俺達は新しい1歩を踏み出したんだぞ?
それなのに俺は今もなお、過去に縛られている。
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赤ちゃんの名前は俺と栄子が話し合った結果……光輝(こうき)となった。
光輝はとても可愛くて、俺と栄子にまぶしいくらいの笑顔を見せてくる。
それだけで俺の胸は幸せで一杯になった。
俺は過去を乗り越えて栄子と光輝を一生かけて守っていく……俺は2人を心から愛している……これは嘘じゃない!……嘘じゃないのに……。
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ある日……俺の元に1通の封筒が届いた。
その中身は……俺が依頼したDNA鑑定の結果だ。
もちろん対象は俺と光輝。
この日、栄子は職場に復帰して病院に行っているから結果を見た後に結果を処分すれば良い。
「何をやっているんだ?俺は……」
俺は栄子と光輝を信じ切ることができなかった……自分に負けてしまった負け犬だ。
真っ当な人間なら……こんな自分を恥じて家族に誠心誠意謝罪するべきだろう。
でも俺にはできない……怖いんだ……こんな醜い自分をさらけ出したら……この幸せな生活が壊れそうで……。
「俺、マジで最低だな……」
俺は自分自身に心底呆れつつ、封筒の中身を取り出す。
ここに全ての答えが書いてある。
「答えなんて決まってる……俺と光輝は……!!」
そう……答えは決まっていたはずだ……決まっていたはずだったのに……。
”鑑定の結果……親子関係なし”
「……えっ?……何?」
それは今後一生見ることはないと思っていた一文……。
俺と光輝は血のつながりのない赤の他人であるという無慈悲な言葉。
それはつまり……栄子が俺以外の男と関係を持ったいう残酷な証拠。
「そんな……そんなバカな……」
俺の悪夢はまだ……終わっていなかった……。
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