第6話 佐山 琴美③
『へぇ~妊娠したんだ? それはおめでとう』
妊娠が発覚した日の夜、私は西岡に電話を掛けた。
妊娠したことを伝えた彼の第一声がこれ。
その声音に、驚きも動揺もない。
『それで何? 子供の名前でも決めてほしいの?』
こいつは間違いなく私のほかに妊娠させた女がいる。
そうじゃないと、こんな時にふざけたジョークなんて言えるはずがない!
「ふざけたこと言わないで! あなた、自分が何をしたのかわかってるの!?」
『そんなに怒るなよ。 女が妊娠するなんて当たり前の話だろ? 生みたくないなら、堕ろせばいいだけじゃん』
「そんなことを軽々しく言わないで!! 女を……子供を何だと思ってるの!?」
『なら生めば? 言っとくけど、俺は責任取らない……っていうか、そもそもお前が勝手に妊娠しただけだから、俺には何の責任もないがな』
「あっあなた……」
「だいたいなんで女はすぐに妊娠するかな~……こっちは面倒くせぇ避妊をわざわざしてやってるっていうのに……ホント大迷惑!』
「どこまで腐ってるの?……」
もちろん私はこいつと添い遂げる気は一切ないし、西岡もそんな気はないはず。
選択肢だけで言えば、子供を堕ろすしかない。
子供を堕ろすことに対して、西岡は罪悪感なんてものは微塵も感じていないどころか迷惑がる始末。
このまま関係を続けていれば、こんな悲劇はこの先何度も起きる。
そうなったらいずれ、子供を作る機能を失う可能性だってある。
そんなのは嫌!
私は真人と結婚して、彼の子供と幸せに暮らすんだ!
こんな得体のしれない男なんかとこれ以上関係を続けていれば、その幸せは全て消える。
そんなことになったら、私は生きていけない。
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「琴美、おかえりなさい」
「ごめん、急に帰ってきちゃて……」
「何を言ってるんだ? ここはお前の家なんだから、当たり前だろ?」
妊娠が発覚してから数日後……私は実家に訪れていた。
お父さんとお母さんに、西岡のことや妊娠のことを相談するために……2人がどんな反応するのか怖いけど、西岡との関係にピリオドを打つためにも、もうこれ以上黙っているわけにはいかない。
電話で相談したいことがあるとだけ伝えたけど、内容については直接言いたい。
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「それで? 相談って何かしら?」
「遠慮なくなんでも言ってくれ! お父さん達はお前の味方だからな!」
私は2人とリビングでテーブルを挟んで向き合った。
改めて向き合うと急に怖くなって体中が震え出したけど、私は勇気を振り絞って口を開いた。
「わ……私……妊娠したの」
「妊娠!? あなた、真人君との子供は結婚してから作りたいって言ってなかった?」
「まっまぁどうせ結婚するんだ。 驚きはしたが、別に困ることはないだろう?」
「そっそうね!」
孫ができたと喜ぶ2人に水を差すのも気が引けるけど、私は話を続けた。
「あのね? この子は真人の子供じゃないの」
その言葉が口から出た瞬間、お祝いムード一色だったリビングが氷河期のように凍り付いた。
2人は驚きのあまり言葉を失い、口を半分開いて呆気にとられていた。
「……どっどういうこと?」
おそるおそる絞り出すような声で私に問い掛けてきたのは母だった。
私は勇気を振り絞って、西岡にされた仕打ちを全て暴露した。
2人なら絶対に私の力になってくれると信じて……。
勇気がなくて今まで言えなかった私に言えるセリフじゃないかもしれないけど、私にはもうこうするしかないんだ。
「……」
「……」
私が話し終えると、2人は顔をうつむかせてしまった。
仕方ないことよ……大切な娘がクズな男に汚されたんだから……私だって殺してやりたいくらい西岡を憎んでいる。
「それで……お前はどうする気だ?」
「警察に行って、西岡のことを話そうと思う。
あいつにはしかるべき報いを受けさせるつもり。
子供には悪いけど……堕ろそうと思う」
「「!!!」」
私が自分の決意を述べると、2人はなぜか青ざめてしまった。
冷や汗まで流し、なんだか挙動不審に目が泳いでいるみたい。
どうしたの? 2人共……。
「まっ待ちなさい琴美……そっそれは軽率じゃないか?」
「えっ? 何が?」
「こっ子供を堕ろすのは賛成だ。 でも警察に言うのはやめた方がいいんじゃないか?」
「お父さん……何を言ってるの?」
「警察に言えば、遅かれ早かれこのことが世間に公表されることになる。
そうなれば、お前の女優としてのイメージに傷をつけてしまうんじゃないのか?
いや、下手をすれば女優を引退することになるかもしれん! 夢だった女優人生をこんなことで終わらせたくはないだろう?」
私はお父さんが何を言ってるのかわからなかった。
確かに私は清純派女優として芸能界を生きている。
西岡が何もかも悪いのは明白だけど、私が真人以外の男の子供を妊娠したことを世間が知れば、その後も清純派として生きて行くのは少し厳しくなるのかもしれない。
世の中には、面白おかしく事実を捻じ曲げて、ネットや記事に載せている連中がいる。
その対象が女優なら格好の餌食でしょう。
「そうかもしれないけど……でも西岡は私を辱めた上に妊娠させたんだよ!?
イメージが悪くなったとしても、私はあいつを社会的に殺してやらないと気が済まないわ!」
「琴美ちゃん、あなたの気持ちはよくわかるわ。 でもこのことが真人君に知られたら、彼が離れてしまうんじゃない?」
「そっそうだな! 脅されたとはいえ、よその男の子供を妊娠した女を真人君みたいな純真な男が受け入れられるとは思えない。 真人君との婚約が白紙になるかもしれないんだぞ!」
「まっ真人はそんなことしないよ! 2人ともなんでそんなこと言うの!?
2人は私の味方じゃないの!?」
「もちろんじゃない! お母さんもお父さんも琴美ちゃんの味方だよ?
でも警察に行ってその男が捕まったとしても、琴美ちゃんの心の傷が癒えるわけじゃないんだよ?
真人君だって傷つくことになるの! そんなの嫌でしょ?」
「じゃあ何? 2人共、このまま何もしないで泣き寝入りしろって言うの?
西岡にこのまま犯され続けろっていうの!?」
「そんなことは言っていない。 警察に相談するのは大げさじゃないかなと思っているだけだ。
その男に金を掴ませて縁を切ってしまえば、真人君と無事に結婚できる……子供は堕ろしたって真人君と新しく作ればいいだけだ。 そうすることでみんな幸せになるんだ、わかってくれるな?」
そんなのわかるわけがない!!
あの西岡が金を渡したくらいで関係を絶つなんて思えない。
約束を反故にして私を犯し続けるに決まっている!
「2人共……私を犯した西岡が憎いと思わないの?
妊娠させられた私を可哀そうだと思わないの?」
「もちろんお前を汚した男が憎くない訳がない!
お前のことが可哀そうで仕方ないと思っている。
でもな? その男に罰を与えるためだけに、今後の人生を棒に振ることはないだろう?」
「そうよ琴美ちゃん。 もっと自分を大切にして」
私の中にある両親への信頼が、徐々に疑心へと変わっていくのを感じ始めていた。
2人はさっきから私のことを思ってと言ってるけど、私にはとてもそうは思えない。
この世で最も心の落ち着く実家の中にいるっていうのに、牢獄の中にいる囚人みたいに強い孤独感が私の胸を渦巻いている。
優しい2人の声音が、不協和音みたいに耳障りに聞こえる。
「大丈夫だ琴美。 全部俺達に任せて、お前は何もしなくていいからな?」
「そうよ琴美ちゃん。 あっ!そうだ! 今度放送される朝ドラのヒロインに抜擢されたんでしょ? お母さん、琴美ちゃんの大好物を作ってお祝いするわ。 もうこんなことは忘れましょ? ね?」
この時、私にははっきりとわかった。
2人が大切にしたいのは……守りたいのは娘としての私じゃない。
女優としての私……大病院の跡取り息子である真人の妻になる私……今の自分達の生活……。
私は両親に恩返しがしたくて女優として得たお金を2人に仕送りしていた。
今にして思えば、2人は毎年仕送りのお金を増やしてほしいってねだってきてたわね。
2人で旅行に行きたいからとかもっともらしいことを言っていたけど、あれもお金がほしかっただけなのかもしれない。
それに、2人はよくご近所さんから西岡琴美の親であることを羨ましがられていた。
私のことを自慢の娘だと大々的に言いふらしていたけど、あれも自分達に向けられる尊敬のまなざしを浴びて気持ち良くなりたいだけだったのかも……もしそうなら、私は今までなんのために親孝行してきたっていうの?
何のために2人の娘として生きてきたの?
「琴美、お父さんはお前をいつまでも愛しているからな! 困ったことがあればなんでも言えよ?」
「お母さんもよ! 琴美ちゃんのそばにずっといるわ! 大好き!」
「!!!」
その言葉を聞いた瞬間、私は勢いよく椅子から立ちあがった。
2人が心にもない言葉で私をつなぎとめようとしたと思い、激しい怒りと悲しみが押し寄せ、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった。
「あぁぁぁぁぁ!!」
「琴美!!」
「琴美ちゃん!!」
私は獣のような大声を上げ、実家を飛び出した。
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無我夢中で走り続ける私の頭に浮かんだのは、この世で一番信頼していたお父さんとお母さんの笑顔。
私は両親を愛していた。
愛情いっぱいに私を育ててくれて、女優という夢も叶えさせてくれた。
だから私は、そんな2人に少しでも親孝行しようとお金を送っていた。
でも2人にとって私はATMに過ぎないんだ。
だから私が辱めを受けても、私の立場だけを優先して私の気持ちを無視しようとしたんだ。
今までのお父さんとお母さんの優しさは全て、私というATMを作り出すためのもの……。
「信じていたのに……」
目からあふれる涙が止まらない。
私は拭い去ることもせず、ただただ走り続けた。
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「……」
気が付くと、私は最寄りの駅の広場にいた
最寄りとは言っても、徒歩だと距離はある。
夢中だったとは言え、我ながらこんなところまでよく来れたと思う。
それでも息は乱れていて体中から汗が滝のように流れている。
足まで震えてきたからベンチに腰を掛けることにした。
※※※
プルルル……。
しばらくすると、私の携帯に着信が入った。
「香帆!!」
電話の相手は香帆だった。
あいつから電話を掛けてくるのは初めてだった。
もちろん私もあいつに電話やメールなんてしたことはない。
「もしもし……」
私は胸騒ぎを覚え、通話ボタンを押した。
『やっほー! お姉ちゃん、元気にしてる?』
「なんの用?」
馴れ馴れしく話しかけてくる香帆にイラ立ち、私は冷淡に用件を尋ねた。
『なんか冷たくない? せっかく妊娠のお祝いしようと思ったのに……』
「なっなんであんたがそのことを……!!」
その時、私は思い出した。
高校時代、クラスメイトから聞いた西岡と香帆が関係を持っているという噂を……。
あの時は興味がなかったから聞き流していて、記憶の隅にしか残っていなかったけど、香帆の言葉が刺激になったのか、その記憶が浮かび上がった。
「まさか……あんたが西岡を手引きしたの?」
今にして思えば、西岡1人で両親や真人の目を盗んでお風呂場までやって来て、私を犯すなんて現実的な話じゃない。
実家が古いとはいえ、内通者がいないとそんなことができる訳がない。
そう考えると、容疑者は香帆しかいない!
『なんのこと?』
「とぼけないで! あんた、西岡と付き合っているんでしょ!? あんたが手引きして私を襲わせたんでしょ!?」
『言いたい放題言ってるけど、そんな証拠あるの?』
「そっそれは……」
『ないなら黙っててくれる? まあ仮にそうだとしても、豪と関係を持ち続けたのはあんたでしょ?
それに、金しか取り柄のない不細工と貫通式するより、経験豊富なイケメンとした方が良い思い出になるでしょ?』
「真人を悪く言わないで!! それ以上言ったら、あんたを殺すよ!?」
『こわっ! 清純派女優がそんな言葉を吐いていいの? ファンが可哀そう……』
私を小ばかにしてくるその声音に私はふつふつと怒りが込み上げてきた。
ゴミの分際で私をバカにするなんて許せない!
「かっ可哀そうなのはあんたでしょ? 私はあんたの彼氏の子供を身ごもっているの。
あんたが愛してやまない男のね? どう?あんたは子供がいるの?」
私は妊娠を矛にして香帆の心を突いた。
無理やりとはいえ、香帆からすれば私は西岡を寝取った女だ。
彼氏を寝取られたことに怒り狂うはずだと思った。
『……フフフ。 ホント、可哀そうね? あんた』
「なっ何よ!?」
『何? あたしから豪を寝取った気でいるの? おめでたい頭してるわね、あんた』
「なんですって!?」
『豪にとってあんたはただの性欲のはけ口……愛情なんてないただのお遊びよ。
あたしは豪が10人孕ませようが100人孕ませようがなんとも思わない。 彼が必要としてくれるのはあたしだけだってわかってるから。 それにあたしだって適当な男と寝て子供堕ろしまくってるから、豪を責めるのは筋違いじゃない?』
「……狂ってる……あんた完全に狂ってるわ」
同じ女とは……人間とは思えない……。
香帆も西岡も、性行為をあいさつ程度にしか思っていない……子供の命を紙屑としか思っていない。
どうしてこんな悪魔が私のそばにいたの?
私は神を初めて呪った。
『狂ってる?誰が? 実の娘を蔑ろにして姉だけかわいがるクズ親共のこと? それとも妹を裏でカスだと罵って奴隷みたいに扱っていたゴミ女のこと?』
「ふっ復讐のつもり!? 私達があんたをいじめていたって……逆恨みも良い所だわ!
何もかもあんたが悪いのよ!!」
『復讐? 親にATM扱いされていることに気付きもせず、親を敬い続けていた上に、婚約者を放置して好きでもない男の子供を身ごもったあんたにそんな価値があると思う?』
「だっ黙りなさいっ!!」
『知ってる? 高校の男子達にオカズ女優って呼ばれていたこと……女子達にバズリ女神って呼ばれていたこと……みんなあんたの体と女優っていう肩書きにしか興味なかったってこと』
「そっそんなことないわ!」
『そう? じゃあ豪に犯されて妊娠したことを相談できる相手がいる?』
「そっそれは……」
私には男女問わず大勢の友達がいる。
みんな私に良くしてくれて、一緒に遊びに行ったり、勉強したりして仲良くしていた。
でも女優の仕事が忙しくなるにつれ、友人達と一緒にいる機会が減っていった。
今も連絡を取り合っている友人はいるけど、相談なんてしたことがない。
憧れの的になっている私の弱々しい所をみんなに見せたくなかった……。
そのプライドが邪魔をして、友人達に西岡のことは相談はしなかった。
……でも今、よく考えると、両親や真人以外にこんなことを相談できる相手が、思い浮かばない。
こんな重大なことを素直に話せる相手が私の友人達の中から選ぶことができない。
『アハハハ!! やっぱりいないんじゃん。 所詮上辺だけの付き合いね』
「くっ!」
言い返せないのが悔しかった。
唇を噛んで、少し血を出してしまった。
「私には……真人がいるわ」
そう……私にはまだ真人がいる。
両親に裏切られた私にはもう彼しかいない。
『あの童貞野郎が使い古した中古女を受け入れてくれるの?』
「受け入れてくれる!! 私達は愛し合っているんだから!! あんた達みたいな汚らわしい関係とは違うわ!!」
『悲劇のヒロインみたいなこと言わないでくれる? キモ過ぎて鳥肌が立ったわ』
「地獄に堕ちろ!! クズ女!!」
私はそう吐き捨てて通話を切り、香帆を着信拒否した。
もうあんな女の声聞きたくない!!
「真人……」
私は彼のマンションへと向かった。
全てを話し、2人で幸せを掴むために……。
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