最終話 巨大龍が死んだ日

 絶望していた。


 居合わせた人々は、巨大龍を恐怖とともに見上げる。

 否、それはもはや、巨大龍ではない。


 内臓が三、骨が七。

 軋みを挙げながら屹立し、鼓膜を破らんばかりの咆哮を上げるアンデッド。

 巨屍龍。


 完全に破壊されたはずの心臓は微かに拍動を再開し、腐り落ちながらも龍を甦らせる。

 もはや、そこには死などという概念はないように思われた。

 不死身の怪物。

 超抜級の歩く災厄が、人類など及ばずと言うかのように再び吠える。


「ルドガー!」

『――すまん。俺は、しばらく、役立たずだ』


 遠見の魔法から返ってくるのは無情なる現実。

 地面に倒れ、微動だにしない悪友の姿。

 あれだけの無茶をやったのだから、その反動は絶大だろう。

 つまり――災世断剣には、もう頼れない。


 この事実に、兵士達の多くが膝をついて崩れ落ちた。

 私は司令室から呆然と歩み出る。

 肉眼が、災厄を観測した。


 王都目前――まさしく目と鼻の先まで迫った龍。

 次の瞬間にも蹂躙され、エルドは滅びるだろう。


「何もかも、無駄だったのか……?」


 心がへし折れそうになったとき、隣に気配を感じた。

 ルルミ達ではない。

 それは、


「答えよ、ヨナタン・エングラー。何故あの日、君はエンネア・シュネーヴァイスから逃げた?」


 幼馴染みの皮を被った太古の概念。

 白き巨人が、私に問う。

 あの日。

 それはきっと、七年前。

 エンネアが、龍から人々を救うために旅立った日のこと。


 私は……彼女に呼び出された。


「どうしてもいかなきゃいけないんです。だから、ヨナタン。最後まで前を向いている勇気を、あたしにください」


 そう言って彼女は目を閉じ。

 私に身体を預けた。


 それが何を意味するかなど、如何に朴念仁ぼくねんじんの私でも気が付いた。

 彼女は思い出を欲していた。

 弱虫の私が。

 怖がりの私が。

 最後に、エンネアに告白できるようにと……。


「できるわけがなかった……」


 そうだ、口づけなど、出来るわけがない。

 私は、ひざまずき、両手で顔を覆いながら哀哭する。


「別れの挨拶だと知っていながら、口づけることなど出来るわけがないだろう……!」


 だから、私は逃げた。

 そして、それが人であるエンネアを見た最後の日になった。


 あれから七年。

 私の続けたことは、全て贖罪だった。

 強引にでも彼女をつなぎ止めるべきだったという自罰行為。

 ゆえに、いまこそ天罰が下る。

 私の為してきたことへの、報いが。


「因果応報。そうだ、ヨナタン・エングラー。顔を上げろ。これが――君の積み重ねてきたことへの、報いだ」


 白き巨人に言われるがまま顔を上げる。

 涙でにじむ視界。

 迫る巨屍龍。


 その身体に、何かが当たった。


 小さな、小さな小石。

 ぽつり、ぽつりと、あちらから、こちらから。

 龍へと向かって、石が飛ぶ。


 違う。

 これは――龍への攻撃だ。


 振り返り、私は、大きく目を見開いた。

 なぜならば――


「諦めるな!」


 男が足下から石を拾い、龍へと投げる。


「ヨナタン様を守れ!」

「手が空いている者は石を拾え!」

「瓦礫もあるぞ!」

「女子どもは兵士を助けろ!」

「今日まで俺らの命を救ってくださったのは誰だ!」

「報いるんだ!」


 そこには、避難したはずの民草の姿があって。

 彼らは石を、瓦礫を、木片を拾い、龍へと投擲する。

 傷付いた兵士達を助け、治療を施す。

 その中には、宮廷医ヒポポタヌスの姿があって。


「商人連中は恩の売りどころですぜ! ここで備蓄を吐き出しておきゃあ、エルドにはいくらでも貸しを作れるって寸法でさー!」


 他国の商人達が。


「役者を舐めないでほしいものです! 人々鼓舞するのは、得意中の得意というもの!」


 旅芸人が。


「マスター!」


 戦災孤児達が、無力な私に代わって、龍へと抗う。

 命を、営む。


 抵抗は無力だ。投石で龍はダメージなど負わないし、そもそも足下にすら届いていないものも無数にある。

 けれど、彼らは諦めない。


「民草に後れを取るな、火砲一斉射!」

「魔力をしぼり出せ! 攻勢魔法、放て!」

「足を止めろ! 騎馬隊、突撃ィィィィィ!」


 俯いていた兵士達が雄叫びを上げて龍へと向かう。

 覇王帝が。

 氷の魔女が。

 各国の王たちが、己を奮い立たせ、挑み続ける。


 何故?


「人間とは、じつに不合理だ」


 白き巨人が呟く。


「種を維持するためなら、弱者を切り捨てるべきだった。龍と戦う必要などなく、テクスチャーの張り替えが終わるまで、逃亡を続ければよいだけだった。にもかかわらず、君たちは龍へと挑む。何故だ? それは決して正しくないはずなのに」


 …………。


「もうひとつ、此度は龍も不可解だった。古き龍の残した痕跡を、本来は避けるはずが、〝あれ〟はむしろ率先して辿った。いまはこの都に眠る龍遺物を目指している。ヨナタン・エングラー、龍の災い全てを知る者よ、君には、この理由がわかるか」

「理由、か」


 私は。

 おそらく初めて白き巨人を――エンネアではない〝それ〟自身を――真っ直ぐに見据えて、答えた。


「簡単だ。龍も私たちも〝執着〟を持っているからだ」

「執着?」

「求めたのだろう、龍は、古きものたちとの――絆を」


 それが、家族という概念なのか、友人なのか、もっと別種のものかは解らない。あるいは家屋や故郷に向ける感情なのかも知れない。

 だが、間違いなく龍はそれを欲した。

 人間が、そうであったように。


「――――」


 白き巨人は、私の言葉を聞いてしばらく無言だった。

 瞬きもせず。

 ただ世界を見詰め。


「切っ掛けは、〝彼女〟か」


 自らの胸元へと触れて。


「不合理だ。不条理だ。だが」


 〝それ〟は告げる。

 思えば初めから。

 馬鹿正直に、実直な声音で。


「吾も、そうしたい」


 懐から取り出されたのは、白に蒼いラインが走る短剣〝白力の閃剣デュナミスパークル〟。

 抜き放たれた閃剣は天高くかざされ、そこに光が集中する。

 この場にいるものたちの内側から。

 世界から。

 そして、生けとし生きる人間の全てから。

 輝きが集う。


「人類は正しくなく、間違っていた。善だけではなく、悪でもあった。それでも、吾は君たちを好む――さらばだ、ヨナタン・エングラー。最も愚かな、賢き人よ。今こそ吾は、約定を果たそう」


 光が、爆発した。

 閃光の中から現れたのは、巨屍龍に匹敵するほどの巨大存在。

 古き伝承に謳われる、龍災害を終わらせる者――白き巨人。


 白い体表を走る青のラインが脈動し、全身を包むスマートな鎧がゆっくりと持ち上がる。

 白き巨人は右手に持った剣を天へと掲げ、ゆっくりと一回転。

 描き出されるのは白き輪。

 剣が、輪を携えて龍へと向けられる。


 刹那、放たれたのは優しい輝きだった。


 柔らかく、穏やかな光が剣から伸びて、龍の全身を覆う。

 巨人の身体も、その全てが光へと還元され。

 龍と巨人がひとつになり。


 そして、ほどけた。


 消えていく。

 龍が纏っていた瘴気が。

 禍々しい赤黒い鬼火が。

 全てが白に包まれて、空へと昇っていく。

 やがて、


 アンデッドの心臓が、鼓動を止めた。


 光は天と地に溶けて、消えてなくなる。

 大陸中の全ての人間が、空を見上げていた。

 黒でもなく、赤でもなく、骨でもなく、腐肉でもない。

 澄み渡った、青空を。


「ヨナタン!」


 満身創痍になりながら走り込んできた悪友が――ルドガーが、私の横に並んで、天を指差す。

 空から落ちてくる〝なにか〟。

 否、それは落ちてくる〝誰か〟で。


 気が付いたときには、私たちは駆け出していた。

 満身創痍など、疲労など忘れていた。

 ただ走って、走って、走って。

 ゆっくりと降りてくる〝それ〟へと追いつき、私たちは手を伸ばして。


 いま――抱き止める。


 純白の髪をした、華奢な娘を。

 私たちの、かけがえのない友人を。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 背後では喝采が上がる。

 勝ち鬨が叫ばれる。

 国が、大陸が守られたのだと、万雷の拍手が轟く。


 これから、世界は大きく変化していくだろう。

 龍の遺骸の始末、骨の利用法の確立、次代への引き継ぎ、その他諸々。

 やるべきことは無数にあって、立ちはだかる困難は計り知れない。

 あるいはまた、人間の争い合う時代が来るかもしれない。

 それでも、今だけは人類は一つだった。

 我々は思いを一つとして、このとき確かに一致団結していたのだから。


「――――」


 人々が歓喜を噛みしめる。

 一方で、私とルドガーの腕に抱かれた〝彼女〟が、身じろぎをした。


 長い睫毛まつげが震え。

 ゆっくりと開く。

 月光色の瞳が、私たちを捉えて。


「――ただいま」


 そう言った。

 答える。

 七年の時を超えて。

 私たちは、精一杯の笑顔で答える。


「「おかえり」」


 ――と。


 気の早い連中が宴を始めていた。

 けれど、今だけはどれほど喜んでも許されることだろう。


 なぜなら今日は――


 巨大龍が死んだ日


 ――なのだから。


「なんとか、したぞ?」


 私は、悪友達を見遣って。

 長い、長い苦難の時代を終わらせる言葉を吐き出した。

 二人は顔を見合わせて。


 噴き出すように、笑ったのだった。






巨大龍が死んだ日 ~世界を破滅寸前まで追い込んだ龍の全身が、もしも稀少な金属や素材で出来ていたら、人類は一致団結してその後始末に挑めるのか?~ 終

The day the dragon died, hope was born. 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

巨大龍が死んだ日 ~世界を破滅寸前まで追い込んだ龍の全身が、もしも稀少な金属や素材で出来ていたら、人類は一致団結してその後始末に挑めるのか?~ 雪車町地蔵 @aoi-ringo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画