第四話 英雄は遅れてやってくる

「帝國の意地を見せよ。火砲全門――放て……!」


 覇王帝が王錫を振り下ろすのと同時に、龍を半包囲する形で展開した帝國軍全隊から砲撃の狼煙が上がる。

 数え切れないほどの爆裂が龍を強襲し、その腐った肉を吹き飛ばす。


 巨龍の咆哮。


 落ちた血肉がぐつぐつと沸騰し、そこから無数の何かが生えだした。


「龍牙兵!」


 兵士達が息を呑んだのが解った。

 当然だ。巨屍龍だけでなく、数千近い龍牙兵が現れたのだ。戦況は再び不利に傾く。

 だが、だからこそそれが隙なのだ。

 恐怖が全隊へと波及する寸前。

 私は叫んだ。


「巨屍龍、恐るるに足らず!」


 ほんの一時、恐怖の伝播が止まる。

 兵士達の意思が、こちらに集中する。


「見よ! もはや龍は不死身にあらず!」


 視線を誘導した先に、龍はいた。

 不毀ふきであった鱗は剥げ落ち、強靱な肉体は腐り融け、魔力の源たる血液は流出し。

 もはや往時の姿などない、巨屍龍が。


「いまや内臓と骨だけのバケモノだ! 帝國軍の火砲を受け、肉が砕けるただのバケモノだ!」


 そうだ、ダメージが通る。

 傷つけられる。

 ――殺せる。


 兵卒の間を駆け巡る衝撃。

 さらに言葉を重ね、彼らの士気を高揚させる。


「己だけで最強存在だった龍が、いまや龍牙兵を出さなければ満足に戦うことすら出来ない! 歴史上、ここまで弱体化した龍など例がない」


 そうだ! そうだ!

 倒せる!

 こんなことは一度もなかった!

 いまなら……!


 ざわめきとともに広がっていく、戦意昂揚の輪。


「見ろ!」


 誰かが叫んだ。

 巨屍龍に変化が起きていた。

 残り僅かな鱗や肉が、ずるずると這いずるようにして胸部へ集まっていく。

 それは心臓を覆い、赤く黒く発光した。

 私は、私たちは、これを見逃さない!


「わざわざ一点を守るとは、よほど追い詰められたな龍よ。総員、心臓を狙え! あの場所が――巨屍龍の急所だ!」


「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」」」


 無数の雄叫びが上がり、彼らは完全に覚悟を決めた。

 龍の心臓が魔法を受け付けることは、奇しくも龍骸教団の教祖こそが示していたからだ。


「全軍、突撃!」


 覇王帝の号令の元、兵士つわもの達が走り出す。

 膨大な量の砲撃が降り注ぎ、龍の少ない血肉を吹き飛ばす。


 歩兵と騎兵が、龍牙兵と激突し、戦端を開く。

 決戦のフィールドは、今ここに完成した。


「龍災対、各員に通達。王都内に貯蔵してある全ての龍由来物質を開放。戦線へ配って回れ!」

「承知!」


 私の指示を受けて、部下達が忙しく走り出す。

 戦場では既に負傷者が多数出ていた。

 どれほど弱体化しようとも、龍は龍なのだ。


 しかし、かつてとは違い、こちらは今日まで万全に準備を整えてきた。

 王都の要塞化。

 防護壁の設置。

 何よりも――


「負傷者をこちらへ! 龍脂軟膏があります!」

「龍の肉を食らえ! すぐに走り回れるようになる!」


 あらゆる傷を癒やす龍の脂は、戦士達の命を救い。

 滋養に満ちた龍の肉は、即座に彼らのスタミナを回復させる。

 さらには、鱗。


「龍のブレスがくるぞ。龍鱗盾隊、総員前へ!」


 放たれたブレスが、押し返されて龍牙兵を飲み込む。

 積層オリハルコン重魔合金製の盾は、炎をはね除け、勇士達を守る!

 まさしく、神話に現れる万物を弾く盾エーギスの如く!


「エルドの魔法使いも続け! 魔力ならば龍血がある! 休まずに放ち続けろ!」


 それ自体が魔力の塊である龍血によって、無尽蔵、無制限での魔法攻撃が可能となっていた。

 火砲と魔法の雨が降り、龍を足止めし、龍牙兵を薙ぎ払う。

 だが。

 それでも。


「機関長! 龍の心臓の位置が高すぎます! こちらの攻撃が届きません!!」


 ……そう、決定打には及ばない。

 全高7000メルトルという巨体を誇る龍。

 その心臓を狙うだけで、こちらは精一杯。

 届く頃には威力が落ちて、精々鱗を一枚二枚剥ぐ程度。


 ならば、どうする?

 打つ手はないのか?


『――諦めるな、ヨナタン。この戦況、余が変えてやろう』


 氷のように冷たい言葉が。

 しかし、疲れきった身体に染み入るようにして、戦場へと響いた。

 新たに開く画面遠見の魔法

 そこに映し出されたのは、水色の髪に蒼い瞳、紫のルージュを引いた美女。


 ――トワニカ・エル・エリシュオン!


『天下分け目の大戦おおいくさ、これよりエリシュオン魔導国も参戦する。刮目せよ、これが魔導国の決意表明だ!』


 巨大龍へ、影が射した。

 天空の陽光を遮るほどの巨大物体。


 それは。

 それは――エリシュオン王城!

 全高110メルトル、総重量にして1000キロルトルンにも生長する世界樹に作られた宮殿が、超々高高度から、龍に向かって落下!

 極大質量同士が、大激突を起こす!


「国土ごとの空間転移――命を削ったのか、トワニカ女王」

『……戦に遅参した余の誠意だ。なによりも、いまは数年の寿命など気にしている場合ではない』


 彼女の言葉は重く、決意に満ちていた。

 その一撃を受け、龍は絶叫をあげ、膝をつきかけている。

 これ以上のチャンス、二度とは訪れまい!


「!?」


 なにを思ったか龍がこちらへと口腔を向ける。

 龍災対を直接狙っただと!?

 放たれるブレス。

 赤黒い破滅の業火が殺到し、


「マスター! 遅くなりました!」


 無数の影が、龍災対の前へと舞い降り、炎を反射させる。

 それは、龍の鱗で武装した少年少女達。

 私の横に、ひとりの娘が並ぶ。


 紫の髪に、顔と手の火傷が印象的な少女。


「ルルミ」

「各国への出動要請に手間取りました。遅れたことを、お許し下さい、マスター」


 彼女たちは戦災孤児。

 私が贖罪のために拾い集め、政争のために使い潰してしまった憐れな子ども達。

 怨まれているのだと思っていた。

 言葉ではどう言おうとも、いずれは命を差し出して詫びるべきだと。

 しかし、彼女たちは。


「守ります」

「マスターを」

「この命に代えても」

「救っていただいた御恩に報いるため」

「我ら、ヨナタン・エングラーの刃であり盾である!」


 炎が恐ろしくないわけがない。まして全てを焼き尽くす龍の業炎だ。だというのに、彼女たちは私を守る。

 命という名の盾を掲げる。

 不覚にも落涙しかけて、奥歯を噛み、耐える。


「わたしたちだけではありません。見てください、マスター」


 ルルミに促され顔を上げれば、遠見の魔法には夢のような光景が映し出されていた。

 土煙を上げて戦場へと駆けつけるのは、鎧も武具も掲げる旗も異なる大軍勢。

 共和国が、諸侯が、この大陸に生きるあらゆる小国が、いま龍を倒すためにエルドへと集っていた。


 魔導国の旗が閃き、千を越える魔法使い達が前へと出る。

 彼らの掲げた杖からは、無数の雷、火球、氷塊、大岩、毒、光、闇と、数多の魔法が打ち出されて龍の心臓を狙う。


「魔導国の真髄をみせるのである!」


 ボルスタイン子爵が叫ぶ。


「共和国こそ大陸に覇を唱えんと今こそ示せ! 我らの魔法ノロイを龍へ!」

「もちろんですとも!」


 タルカス共和国の兵士達が戦場を駆け抜け、龍牙兵をなぎ倒していく。


「大国に負けるな!」

「英雄は我ぞと名乗り出よ!」

「小国の意地……!」


 あらゆる国が。

 あらゆる人々が。

 手を取り合って、いま、龍へと挑んでいる。

 ならば。

 ならば!


「この機を逃すな! 帝國軍へ伝令! 巨屍龍右前足に攻撃を集中。地面を抉って体勢を崩せと告げよ!」

『聞こえておるわ、龍禍賢人。我が兵に命令など百年早いが――意見が一致したな、乗ったぞ!』


 トレネダ帝の一押しにより、数千の砲撃が龍の足――それが設置している地面を吹き飛ばす。

 ……龍よ、六年前と同じく、私はこう唱えよう。


 おまえの肉体は強靱なのかも知れない。この世の如何なる武器でも傷つけられないのかも知れない。

 だが――その強き四肢を支える大地までは、盤石ではないぞ?


『――――――』


 咆哮。

 足場を失って、龍の身体がぐらりと傾く。


『余はもう一手仕込んでおいた』


 背中へと突き刺さったエリシュオン王城が爆発。

 さらなる過重が龍へと迫り、ついにその巨体が倒れ伏す。


「マスター、指示を」

「必要ない」

「しかし、それでは龍にトドメが」

「無用だ。なぜなら、英雄とは」


 英雄とは、遅れてやってくるものだと相場が決まっているのだから。


「ここで決められなければ、末代までの語り草にしてやるぞ、ルドガー!」

『任された』


 短い通信とともに。

 最前線で、その男は大地を蹴った。

 長い髪を頭の上でくくり、颯爽となびかせながら走るのは、筋骨隆々たる偉丈夫。

 大陸最強の剣士。

 当代無敵の魔法剣が担い手。

 災世断剣――ルドガー・ハイネマン!


『魔導国で身につけた〝神聖魔法〟。ここが使いどころだ』


 抜刀されるのは、ハイネマン家の至宝〝鉄扉切りティルトー〟。

 聖剣は青白く輝き、その刀身へと、膨大なる魔力が集中する。


一剣万象いっけんばんしょう万剣森羅ばんけんしんら絶剣太極ぜっけんたいきょく!』


 各国の兵士達が命をかけて龍牙兵を押しのけ、道を作る。

 疾風の如く駆け抜けながら、ルドガーの詠唱は続き。

 英雄が、跳んだ。


『秘奥剣――災厄ルールを断ち切るぞいま!』


 それなるはエリシュオン魔導国に古くより伝わる最大最強の術。

 〝凍てつく刻限の禁呪エリシュオン・セロ・アブソルート〟を宿した魔法剣。

 完成するは、災世断剣!


『るうううううおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!』


 戦場を割るほどの巨大な刀身を形成した魔力が、紫電をまき散らしながら龍の心臓へと叩きつけられる。


『ばあああああああああああああああああああああああああああ!!!!』


 ルドガーの全身が二回りも隆起。

 筋骨が限界を超えて力を放出し。

 いま、龍の心臓を、真っ二つに切り裂く……!


『もういっちょ!』


 飛燕の如く翻った刃が、十字の傷を刻む。

 同時に、魔法剣――否、神聖魔法剣と呼ぶべき刃の力が解放された。

 凄まじい冷気の波濤はとう

 龍の心臓が、完全に凍結されたのだ。


 上がったのは断末魔だった。

 龍の叫びが、むなしく響く。

 哀愁さえ感じさせる咆哮とともに。

 巨屍龍が、地に伏す。


『やったか!』


 共和国の指揮官がそう叫んだとき。

 龍の虚ろが両眼が――赤くまたたいた。

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