4 強い者と弱い者 功利の採用


 解放の準備が整ったということで、ぼくたちはモビリティに乗せられてアイマスクを着けさせられ、今居る場所を移動した。途中で降ろされて「それでは」「(分カッテイマス)」などと男たちの話し声をそこそこに、今度は腰と足の屈め具合から察するにセダンに乗り換えさせられて、更に移動した。

 降ろされたあとアイマスクを着けたまま10分何も喋らずじっと動かず待つよう指定され、車が走り去る音が聞こえた。頭の中でカウントを取りながら、喋って動いた場合のリスクを回避するために体の微細な動きも気にして正直に待った。外気に晒され指先が特に冷え冷えするので拳を握りながら、ぼくの呼吸音ばかりが耳に残った。

 体感10分経ち、ようやくそろりそろりアイマスクを取ってみた。外す動作に何も声が掛からないという事は、そばに監視者が居ないという事だろうか。眼をしばたかせて見た光景は、屋根が迫る細い路地だった。エルフは横に居た。今まで長々と思える動けない時間の反動のように駆け寄って、「エルフ」と丁寧に声をかける。ぎこちなくアイマスクを取り視界にぼくの姿が入ったエルフ。はじけるように無事と体熱を抱きしめ合った。心が落ち着いたところで、恐る恐る移動してみることにした。

 この時、もしキョウトパーク内だったらほとんどグリッドのような道で所在が判らないのではないかと思ったが、まずビルディングの見た目からして取り敢えずキョウトパーク内ではあるようだった。確かに解放された。次はパークの何処であるかだったが、交通案内表示によれば〝西陣〟という所らしかった。〝西陣〟なる場所がパークの何処に位置するかは生憎それ程マップを頭に入れて置かなかったので分からないのが悔やまれるが。でも〝Marutamachi St.〟の文字が目に入り、(あ、インペリアルパレス近くのあのブリッジの名前に近い!)と関連性を見出せたことで、状況が理解出来ない恐怖は若干和らいだ。

 するとぼくたちの挙動がさっきから、後になって思えば目につくような不審さだったのか、「ドウモコンニチワ! 何カオ困リデスカ?」と声掛けされた。AMR一体とペアの、女のセキュリティオフィサーだった。ぼくたちは心許なさを払拭するように明かした。「ぁあの!、ぼくたち実はさっきまであの、誘拐を、えー誘拐されていたんですが、ついさっき解放されまして!」「ええ、あの、向こうからは名乗らなかったんですが、キモノを着た男たち数人に」言葉が巧くはき出せずぶつ切りにした感じになってしまったが、セキュリティオフィサーは「キモノ男」というワードで目が座った様子になり、ニ、三言会話すると何処かへ連絡を取った。そしてぼくたちを〝KOBAN〟とある白いビルディングへ案内した。セキュリティオフィサーの支拠点らしかった。

 こうしてぼくたちは保護され、やって来た2台のセダンに乗って本拠と思しき白くて大きいビルディングへと移された。そこで毛布と味がある温かいグリーンティーを提供され、その上で事情聴取を受けた。あの後の現場について訊いてみたところ、やはり騒ぎは治まってなくて、ゲストらの状況把握と問い合わせ対応、現場周辺の警戒に当たっている、とのことだった。

 数時間の事情聴取から解放されたぼくたちは、緊急連絡先などの交換確認をした後、ヒガシヤマ・キョウトホテルの部屋へようやく帰って来た。借りたキモノの汚損状態を返却時に気にかける余裕もなくディナーなどさえ何もする気も食べる気にもなれず、ぬかるみのように寝た。


◇◆◇


 ぼくの目が覚めた時はまだ太陽が昇っていなかった。時刻は午前4時頃だった。エルフを起こさないようディープブルーの景色を頼りにしずしず歩きデスクライトを点け、歯磨きしてアメニティの焙煎グリーンティーバッグを飲んで眠気覚ましにしようとしていると、エルフもあくびして起きてきた。


 今日のぼくたちは、観光のためにパークへ外出しようとはしなかった。

「日本人は幸せなのかしら」

「んー?」

 ルームライトを点け、ローテーブル越しの向かい合わせに平たいクッションに座るぼくら。

「あの男が分類する“名乗りとしての日本人”と“純粋としての日本人”に即すなら、前者は幸せだろうし、後者は不満を抱えているだろうね」

「前者が〝民族の協和〟を正義に浸透工作できて、後者が民族問題と他人に取られる枷によって次々に居場所を失ったから?」

「うん」

「幾ら今民族・宗教の対立を克服しようと新たな価値へ進む、それはよくても、でもね、あのキモノリーダーは自分のことを含めて少数派マイノリティって言ったじゃない?、その自称を正しいとして、ということは、マイノリティは多数派マジョリティに弾圧されてるってことになるから、これは民族宗教うんぬんじゃなくそもそもまずい事態でしょ?」

「マジョリティに」

「マジョリティは数の多さゆえに横暴性が有るんだから、「マイノリティ弾圧をマジョリティで結託して多数決で決めました」ってなるのはまさしく愚か者フールだよね? 普通は横暴さを自覚してるから。決定に民意はあるけど民主主義では無いし」

「民主主義には、全体主義と違ってマイノリティが自分の人権に抵触するから決定は無効とするという愚者防止フール・プルーフがあるはずだから?」

「うんまぁそれもそうだけどね。そういえば戦争敗者ってほとんど人権が無いじゃない、それと同じ感じで、訊いてなかったけど“純粋としての日本人”がもし籍剥奪されていでもしたら、日本の政治への参加資格が無いので「マイノリティは存在せずは全員一致してます、民主主義に何ら反してません」って強弁できるよね」

「悪辣だなあ。あ、だから“名乗りとしての日本人”は公式に自分たちを“純粋としての日本人”と紹介してるのかな。カバーストーリーとして」

「そうかも。で、視野を広げてその“名乗りとしての日本人”含めて日本人を見てみたときに、日本って結局マイノリティじゃない、ヨーロッパ共同体にとっては。〝民族の協和〟が体現された場所として喧伝するけど、〝民族の協和〟を造ろうとする程度にはもともと其処は野卑に違いないって、だから造り甲斐にふさわしいって、そう思われてたとか下地があったとも解釈できるでしょ」

「そうとも言えはするけど…」

「てことは自分たちが――あるいはキモノリーダーがいう海外資本? まぁそれは手先に過ぎないだろうけど――マジョリティの側じゃない。マジョリティはマイノリティのものを“収奪”すべきでは無いし“差別”すべきでも無いでしょう? マイノリティは弱者なのだから」

「世界秩序の汎ヨーロッパ道徳は基本的に白人を強者に位置づける素質があるから、民族配慮政策エスノ・ポリティクスによって弱者が保護されるかは反差別にとっていつでも監視対象にはなるよね」

「基本的に強者ゆえに弱者を“不当”に扱わないようして、またはそうあるべきという表向きの理解にはどこも沿ってる。

 でもね、キモノリーダーの解説が正しいならだけど。表向き差別とか収奪とかをみんなして克服しつつあって、何なら〝民族の協和〟なんて大層な看板まで掲げて希望を宣伝しておきながらね。戦後新世界で強者の強欲が“物語”と体制によって巧妙に隠されて自分のほうに剣先が向かないようにして置きつつ、差別を〝民族の協和〟において再生産してるの。

 自分が許せないのはね、そういうメッキされただけの、正しく無さなの。強者が力をはき違えて弱者を虐げてる、正義の無さなの」

 珍しく、口調が力を絞り出すようになって来ている。普段の一歩引いたところから諭すように喋る感じとは変わってきた。

「その気持ちはぼくも解らないでもないし、あの男の話も一種の真実性は含んでいるんだろうけど。でもね」

「なに?」

「ぼくは今の体制にも、“純粋としての日本人”問題に多少目をつぶったところで、それを上回るぐらいのメリットはあると思うんだよ」

「は? なぜ?」

 エルフが反対意見を聴くではなく非難するほうに寄ってるかのような声になる。だから少し落ち着いた色をつけて言ってみる。

「正しいか正しくないかという潔癖評価でいうと疑念があるよねこの問題。うん、ぼくも解る」

「でしょ?」当然だと言わんばかりのエルフはすぐに続けて「マイノリティはマイノリティゆえに弱いんだから強くなる責務というのがあるし、自分たち強者の側は強者らしくせこい真似をしない課題がある。〝大日本テーマパーク〟なんて場所自体、文化の盗用の可能性が有るじゃない」

「でもね…日本は、かつて旧東側に半分隣り合うし距離も近すぎる経済国だった。旧西側…ヨーロッパ共同体にとっては敵勢力対抗のための足掛かり、橋頭堡ブリッジヘッドに他ならないよね、戦術的にも戦略的にも。前線でありながら資源が眠ってるんだから自圏には何としても握りこみたい。資源確保が目当てなんであって陸上の現地人の様子は次点以下だったかもしれない。

 反対に旧東側にとっても、とくに低緯度で海に近い場所は、土地が広くても資源がないわりに海輸送の拠点には便利なんで人口も工場も濃い…地政学でいうリムランドだから、海輸送をできないように工作すれば戦闘能力の補給が簡単じゃなくなる。そもそも資源とか重い物は海輸が効率的なんだから、戦うには海の足掛かりが必要になる。それでいくとやっぱり日本は大事な拠点に見えるから、だからあの男が言ったように、戦争で日本は荒れたんだろうね」

 エルフは頷かずぼくを見つめたままだ。

「荒れたとなっても人も消えた訳じゃないんだから、生きるためには生活の立て直しが必要になる。それに、どれほど“理想”を語ったとしても汎ヨーロッパ道徳が世界秩序という扱いになっても、大陸の中央じゃまだ残党が抵抗を根深く続けてるようなのだし、人間はいつまでも権力闘争パワー・ポリティクスからは逃げられないカルマかもしれない。

 なら、その場所どの場所での安全と安定に、それぞれの責任者は手を尽くすよう追求する責任というのがある。いつでも、いつまでも」

「それが正義に反する、嫌悪されるものであっても?」

「……そういうことだね」

「見そこねた…! カウルは正しくあれない前時代プレ・モダンな強者の側に立つのね?」

「まって」

 そういう人だと思わなかった幻滅したと言わんばかりに、背すじが後ろへダレながら両手のひらを上に向けるエルフ。このままだとぼくの真意を伝えきらないうちに嘆息されて関係を一方的に閉ざされる。ぼくは前かがみになり急いでエルフを見据える。

「ぼくが言ってるのは「社会安定のためには悪徳な選択肢を場合によっては採ることも恐れず覚悟しなきゃならない」という意味で、ただそれはもちろん常日頃からの圧政や恐怖政治テルールの肯定じゃなくて動乱分子鎮圧の一時的手法としてだけど」

「『君主論』? マキャベリの」

「そう」ぼくは頷きながら「それでいくと今の体制のやり方とは厳密な定義からは外れるけど、しかしゲストたちに〝大日本テーマパーク〟を提供し続けて支持されることが出来ているからには、悪徳だが安定してると、正統じゃなくても必要ではあると、それは評価しなきゃならない。生理的にも感情的にも嫌悪したとしてもね。

 もし全く何の支援も無しで立て直しを図ったとしたら、統治体力の無さのせいでもっと無政府状態アナーキーになって、死傷者は悲惨なことになったかもしれない。それに今から「やっぱ嫌です」と言って現体制をとっぱらってみたとしても同じことになる。またしても動乱が起きて状況がカオスに堕ちるよりはいい。でも…」

「でも?」

「社会安定のためには、ほんとうに“純粋としての日本人”を意図的に目逸らしするような方法しかなかったか、という点では疑念はあるよ、ぼくは。そもそも厳密な“純粋としての日本人”なんて存在が発生したのは、海外資本の都合と欺瞞によるものなんだし。そんな事せず初めから強者らしく困難異物を堂々構えて受け容れる姿勢があれば、もしかしたら状況は違って現況よりももっと良かったかもしれないし」

「そういう覚悟を人はまだ受け止め切れなかったから、戦前ヨーロッパの移民政策は急進的ナショナリズムを生み出して失敗したんじゃなかったの? 【極右】なんていうふうに言われたように」

「そうだね。だから、どこまで許せることで何が嫌な行いか、それを文章に明らかにして提示して説得するべきだった。そう…そもそも人間とは何を指すのか、人間関係は対等を保証されるのか、移民の義務や責任とは何か。あとはそう…公的保障を受けても働かないなら必ず勉学に励まなきゃならないとか、これに背く者の追放の論理的正当性だとか、圏地域の治安維持に従うのに篤くあるべきで、これを侵す者はヨーロッパ共同体社会全体から除外されるとか、…。

 上っ面だけを見咎められて「独善的だ」なんて見当違いの非難をされても。おめでたい理想主義に突き動かされてとか問題を問題として投げ返すとかして大破滅カタストロフを招くよりは、まだ誠意がある」

 ようやくエルフは、言葉をかみ砕いたように、わずかにだが、頷いた。

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