7 DUTY


「(あいづらが来たせいでなぁ)」

「(おい)」

「(俺たづぁ追われる破目になっとぅあじゃんよ)」

「(やめろて、それとこれとは別件だ)」

「(ヨロポチ日本人めが来ていいことなが一つっこねえ)」

「(お前が恨むヨロポチと寝てる日系は別の人間だろさ)」

「(琲崇観ひたかみの恨み忘れちゃあおらんかんな、ヨロポチの介護なんざ恥だぁ)」

「(やめにしろお前たち。…それならじゃあまず見張り――)」


 どこからか聞こえる音の喧騒で目が覚めた。薄暗く、ぼんやりと天井を半開きの目で眺めていた。ここはどうなのか。…どうなっているのか。…どういう景色なのか。ふつふつと湧き始めた幼い問いの泉で、思考は動き始める。

 目を動かしてみる。薄暗いのは、見える範囲で窓が見当たらなくて、ガス管を組んだような枕元のサイドテーブルに置いてあるカンテラが抑え気味にしか点いていないからなようだった。ゆっくりと息を吐く。生きているのか。……生きている?

 目が大きく開いてばねのように上半身が跳ね起きた。すぐ後から、頭のてっぺんと鼻の付け根にくわんぐわんと血流が昇って血管が開くのを感じた。エルフは、エルフはどうなったんだ。

 カシャン、と右のドアが内向きに開いた。

「おぅ、目が覚めたか。ちょっと待ってな、長を呼ぶから」

 白衣の40代くらいの男が入ってきたと思ったら、こちらを見るや少々驚く素振りを見せるも物分かり良さげにドアを閉めてどこかへ行ってしまった。改めてキョロキョロ頭を回して周囲の様子を伺うと、テーブルにはカンテラの傍に、掌に収まる程度のデジタル時計があった。5時台だった。

 あの白衣がいう「長」というのが何なのか分からないが、心の中ではとにかくエルフのその後のことばかり支配的でやきもきしていた。心もとなさに右手で襟をさわったり顎を撫でたり指をさわさわ動かしたり、気付くと何かを口呼吸しつつやっていた。その挙動に気付いたのは、左手首に突っ張りを感じてそこをちゃんと見た時だった。大き目のハイコロイド素材の絆創膏アドゥヒーシブ・プラスターが貼られていて、傷の箇所は白くなっていた。

 カシャン。

「…ふむ。意識は戻ったようですな富総さん。あ、良いですそのままで」

「あなたは…」

 あの髭のキモノ男だった。ドアを開けたままにして、カンテラの光量を上げてベッド傍に立った。

「ということは、ここはクラマなのですか」

「あぁ、いえ、鞍馬というのは…、いや、鞍馬ではありません」

「はぁ」

「鞍馬は破棄しました」

「え?」

「2日前から急に公安警察の動きが先鋭化し始めましてね、探知されぬように近い陣所を退去せざるを得なくなったのです」

「2日前?」

「あなたは1日以上気絶したように寝てました」

「1日も!?」

 なんて悠長に寝てたんだ!

「じゃあここは?」

「キョウトパークからは離れてます」

 また具体的な場所を言ってくれない。

「あの、お願いします、あと一人、エルフの行方を知りたいのです!」

「それはお連れだった女性のことですな?」

「はい、ここから今すぐ出たいです」

「それは、いくつかの理由で不可です」

「何故ですか!」

 すがるような睨み方だったのだろう、男はシュンと眉尻が下がる。

「まず、先ほども言いましたが公警の締め付けが強くなりました。ですので今出たところで何も得られずに捕まるでしょう」

「でも――」

 男は手で続きを制して「念のために言いますが、あなたがたの解放のとばっちりではないです。

 あなたは病み上がりです。そもそもあなたは低体温症と失血で危うい状態で同志にたまたま見つかり回収されました。なのであなたは今すぐにじゃ本懐を遂げる前に力尽きるでしょう。

 それに、キョウトパークからは離れているのですから、物理的な距離の問題もあります。ますます近寄れません」

 でも諦めたくなかった。諦めたくなくて足が小刻みに揺すれる。

「疑問なのですが」

「はい」

「あなたがた、なぜばらばらに離れてあなたに至っては薄着で外に居たのです」

「…ぜんぜん、なんでこうなったのか、なんでこうなったのか…」

「では、あなた方を解放した後、起こった事だけを簡潔に」

「…セキュリティオフィサーに匿われて、事情聴取されました。アジトの位置とか、人員の容姿とか、細かいことは「分かりません」で大体いなしました。ホテルに戻った後、エルフと“日本人とはどういう存在か”とか、“政府の妥当性”とかを話し合って…検証し批判する、という話に落ち着きました。ホテルをチェックアウトしてからはバゲージをキョウトステーションに置いて、そしてパーク内の飲食店、ティー・セレモニーの体験が出来る所に行って、身の回りのものとコートはそこで…

 で、そこで日系人を名乗る男に、昨日の騒動について思うところはあるかと訊かれたんです。それにあくまで濁した回答をしたはずですが…セレモニーが終わった後、突然その男に、危険思想と破壊扇動準備だと宣言されて逮捕されかけました。その時、たぶん、ワイヤー式、スタンガンにう撃たれて、エ、エルフ、エルフが倒れたと…」

 初め思い出しながら喋っていたときは何とも無かったはずなのに、動悸が治まらなくて呼吸するたび上半身が揺れてしょうがない。胸が掻きむしりたくなるほどじりじり苦しい。男は、黙って静かに話に頷き続け、先を急かそうとすることはしなかった。

「…それからは、ずっと逃げ続けてしまって、でももう逃げることも生きるのも諦めたのですが…」

「ふむ。そこから同志に拾われたのですな」

 咀嚼するように目線が下のまま頷きを一人繰り返す男。

「あの、ですからどうかここから」

「その前に」

 男は目を見て、己の話を優先した。

「「日系人を名乗る男」と言いましたが、誰だったのか分かりますか」

「あ…」忘れもしない、エルフを撃ったあの男の名は「…「はなふさ いると」と」

 口にしたとたん、男の眼光が鋭くなる。「成る程…」

 その小さな呟きを、無機質な部屋の中で聞き逃さなかった。「知ってるのですか?」

「姑息だが出世欲があって、目的のためには他人に取り入りつつネチッこく遂げようとする者です」

 はー…という溜め息はどちらからのものなのか。

「なぜ…狙われてしまったんでしょう」

「どこかにきっかけはあったんでしょうな。恐らくホテルでの話し合い」

 そういえば。

「はなふさは、ホテルでの会話を盗聴していたふしがあります。それで」

「いや」

 男は首を一度横に振って、「盗聴していたとしても、会話の内容を判定するのはAIです。華房個人の推薦では信頼性が持ちません」

「AIが?」

「日々そこかしこで飛び交う膨大な量の会話データを解析するためです。そして、人々を丹念に監視している。マンパワーじゃ効率が悪いのです」

「それほどのことをしてまで日本人を監視するのですか? 〝民族の協和〟では信頼できないと?」

 男は少し首を傾け考える。

「富総さん。“抑圧的な体制が最も恐れるもの”は、何だと思いますか」

「…反抗的な思想、ですか」

 男は頷くが、「それはそうなのですが、反抗を発見するには、反抗が生まれる土壌に対する監視が求められるのです」

「…」

「つまり、“目に見えない世界”です。反抗だろうと従順だろうと、人の多様で柔軟な思想それ自体を恐れるのです」

「じゃあ、人自体を、――人は色々な思想や表現を生み出すものですが――、人を否定してるのですか」

「まぁつまりそうです。抑圧的体制は、何が道徳であるかとか、どういう世界であるべきかや、どれが病気であるかだとか、世界の状況に対する解釈を一元的に支配管理しようとします。

 それは、まず世界の状況というのは皆にとって同じものが見えている訳ではなく、解釈によって「平和だ」とか「いや革命を起こさねばならない」などと変わりますので。解釈…思想によって生きている世界が変わるなら、安定した支配を望む体制、とりわけ抑圧的体制にとっては、だからこそ支配者と被支配者が一体となっていて、体制の正当性や権威が堅実であることに気を使うのです。体制は目に見える世界を提供します。でも目に見えない世界によって己の正当性や権威が侵食されて、目に見える世界の方には価値を置かれず空虚なものとされてしまうと…支配者と被支配者は一体じゃない、体制の一方的な抑圧があるという根拠を与えることになります。

 だから、人に生きる意味を提示する道徳が、法律よりも上位の価値体系に据えられるのです。道徳に背く者は人として正しくなく、また道徳が犯罪を規定する根拠となって、たとえ、ある者には犯罪との関わりが無くとも処罰の執行を確立出来るようになるのです。体制にとっては、内外反抗的な態度で一貫してる我々みたいな解かり易い者よりも、面従腹背、外面良くて内面反抗的な者を脅威として敏感に捉えるんですな」

「それで、いきなり逮捕されかけたんですか」

「そう考察できます」

 なんてことだ。ホテルで会話した時点で詰んでたのか。はなふさは最終確認だけすればよかった、と。

「じゃあ…エルフは」

「高圧な電撃を喰らうことで体の異常を起こす危険はあります。場合によっては死ぬこともありますが、」

「!」体が固まる。

「普通の銃に比べて低致死性の武器なので、生きている可能性は大いにあります」

「は…」

 緊張から放されてちょっと間抜けな声が漏れた。

「じゃあ」

「ただ」

 男はまだ予断を許さない様子で、「危険思想保有ならびに破壊扇動準備なので、再教育を施されるでしょう。仮想空間内で。もしかしたら…人格が今まであなたが知っているその人では無くなっているかもしれません」

「…ぇ」

 エルフ。エルフ、もう帰ってこないのか…?

「そして、あなたも今後を考えねばなりません」

「今後…」

「あなた自身にも容疑が掛かっているのです。潔白を証明したくて堂々と捕まるか、逃げるか、密出国するか。どうしたいか選ばねばなりません」

「…」

 考えていることは一つ。

「エルフを、本来のエルフのまま連れて、家族のもとへ連れて行きます。

 だから、あなたがたの協力をさせて下さい」

「ふむ」

「あくまでエルフを無事に連れて帰るのが第一です。この身は一時捨てましたが、今はまだ再び捨てる時ではありません。あなたがたに協力して、出来るだけ合法的に救い出す手段や訴えを認めさせる手段、家族へ帰る手立てを、色んな可能性を見つけ出したいのです」

 志を伝えたが、男はまだじっと見つめたままだ。

「初めて会った際にもそれとなく言いましたが、我々は様々な意見の持ち主です。中にはあなたに対して――あなた個人というのではなく人種についてなのですが――深く考えずに質問したり、さらには謂れのない恨みを抱く者も居たりします。

 【ヨロポチ日本人】という言葉をご存じですか」

「いえ…」

「ヨロポチとは、ヨーロッパやアメリカ、現世界を主導的に作り上げた白人に尻尾を振った犬のように誇りの無い、という意味で」

「なっ!」

「日本の日本人よりもさらにまともな生活を送れているとか羨望からの嫉妬、そして今の日本が出来上がるまでに日本研究に協力したからということでの憎み口、そんな背景があります。あなたが実際恨ましきにふさわしいかそうでないかの事実は関係なく、人種で一緒くたに纏められてしまうでしょう。

 それに口やかましく大きなことを言う者には、次第に同調する考え無しな者も出始めてしまう危険も、世の常です」

 アメリカでそういう目で見られたことはあるが、日本人、お前もかっ! 筋違いではあるが相当男を睨んだ。…だが。

「同志になるということは、常に“自分とは何か”を人一倍悩んだり主張したりし続けながら、体制と戦い続ける、そんな茨の道を行くということです。

 それでもあなたはこれを選ぶんですか?」

 エルフをエルフのままで連れて帰る。そのために。

「もしかしたら、もうアメリカに帰れないでしょう。でも、エルフや家族のために。

 ぼ――は、往くことを望みます」

 エルフを連れて帰るまで。そう、男を真っすぐ見た。

「……宜しい。ようこそ日本人」

 おれたちは固く握手した。

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