3 失われた人々 第三の存在


 やはり名乗ろうとしないか。「失われた人々?」

「左様です」男はぼくたちを簡単なテーブルに案内する。

「何が失われたというのです?」

「その前に、何ももてなしてませんでしたな。粗茶ではありますがどうぞ」

 男はテラコッタ色のティーポットから、3人分のカップに液体を注ぎ淹れて、自身が率先して飲んだ。薬物の類など混入してないから安心せよ、と示すものだと受け取る。

 さて出されたこれはグリーンティーか? でも何というか、言ったら難だが水分量の多い尿みたいに色が薄い。香りも感じ取れない。これは飲むべきだろうか。というか飲んでも良いものなのか。いや出された好意は受け取るのが礼儀か。フィールドワークの規範として初めて見る他人の習俗行為を頭ごなしに否定してはならないよな。ああでもやっぱり中にトリックでおかしな薬物を入れられていたらどうしようか。…

 ぐるぐる考えた結果、カップを口に付けて傾け、飲んだように向こうからは見せかけておいて実は口を閉じ、上唇を湿らせるに留める、というやり方を執った。エルフは特に顔色変えず口にしている。強い。

「アメリカのスタン大とは。大いに秀でておりますな」

「あ、ありがとうございます斯様な評価を頂けて」

「観光は好いですか」

「『個人のカルマが集合ワイヤードの構築に及ぼす誤差ならびに効果的補正と運用』て研究の何か良い資料は無いかと日本を…ああいきなり解らないことを口にしてすみません」

「いえ面白そうですな。そちらは…混血の方?」

 言われたとたんエルフの眉間がさっと圧縮してしまうが「ああ何も貶めようとか他意は無いのです、名前に比して外の人々に麗しく近しいと」

 エルフは目線を伏せ、「いえ…自分という人を説明するときに避けては通れないことなので」普段より声が平たい。

「お気を悪くされてしまいましたな。重ねて申し訳ございません」

 男は30度ほど体を伏す。今はまだ安心できる状況ではないから、エルフも相手を刺激するような行動は避けて欲しい。エルフは社会文化方面に学があるから資料聴取法の類も身についているが、どうにもやっぱりそこには障ってしまうのか、今でも。

 幸い男はどうとも気を悪くしていないようだ。


「今更なことでしょうが、【日本人】と一口にしましても、2種類在りますのはご存じですな」

「“純粋としての日本人”と“混血としての日本人”のことでしょうか?」

「概ねそれで宜しい。“混血としての日本人”の方は、釈迦に説法なことを致しますが、あなたがたはアメリカ圏だから日系アメリカ人と言えますな。かつての日本移民者が日本人と結婚し帰国、または他の様々な圏に於いてその現地の方と結婚した、子孫にあたる」

「アメリカでは二世以降からそう判断されます」

「ふむ。彼らは自ら必要に迫られたか、あるいは政策による子孫で、後で語る“純粋としての日本人”に比べますと年収は高めなようですな」

「はあ」

「一方の“純粋としての日本人”は――これは現実に即しますと“名乗りとしての日本人”となるのですが――、対外的な観光用や、公認の「日本人」グループに参加する人々など、外の人が思い浮かべるような、整備されたいわゆる“ニッポンジンらしさ”を役回っている者です」男は眼差しが下に逸れていく。

「「役」と仰いましたね」

「ええ」

「「役」と表すからには「役」でない側面があると?」

「そもそも日本人ということなのであって、純粋というのは問われておりません。只の言葉遣いです」

「は?」

「実際は民族的にそうでない者も居ます。しかしヨーロッパ共同体にとって外見の見分けなどつかないでしょうし、それ以前に戦争の反省として、見た目とか人種とかいうものは拒否されていますからな。だから“名乗り”なのです」

 意外なことを言われた。日本に居る日本人が狭義で日本人じゃない? 何だか心なしか、犯罪を自主抑制するあの日本人たちのミラクルに変な情報が付加されて、それこそ着ぐるみアクターの中の人をうっかり見てしまったような醒めがやってきた。

「しかしそれが如何しましたか。まあ国家・民族主義ナショナリズムから見れば“自分らしさ”に関わる問題に映るでしょうが、今それは否定されています。大戦の一因になりましたから」

「左様。シオニストとイスラームとの致命的な意見対立により第三次世界大戦が勃発した、その民族・宗教的事案の反省から汎ヨーロッパ道徳で世界秩序と成りました」

「そこを取り上げるということは、あなたは活動家ということでしょうか」なるべく決然とした用語を避けるように男を語る。

「ふーむ、活動家では確かにありますが…と評すには定義の具合が異なりますな。そしてまだ話が終わっておりませんし」

 それもそうか。今は確認で、次からが問題という訳か。

「今申した2種類の日本人ですが、しかしそれとは別の“3種目の日本人”が存在しております。しかもそれは公に“認められていない存在”なので、2種しか無いことになっておるのです。実態だけを視れば、こちらの方が“純粋としての日本人”と言い得て妙ですが」

「え」

「なぜ“知られない日本人”がいるなどと言うのか、それにはまず、戦後日本の置かれた状況について話さないといけません」

 男は僅かに説明内容を考えるそぶりを見せる。

「荒廃した日本の復興の代償に狙われたのは、資源です。樺太から東シナ海まで広く含め、莫大な海底鉱物・エネルギー資源利権に、海外の資本が食い込もうと試みました。以前から資源があることは判ってたし、寒冷で極地の氷面積が増えて、新たなエネルギー輸出ルートの開拓や寄港地など土地開発の都合もありました。しかしただ持って行くのでは略奪で、大っぴらに叛意を買ってしまう。そこで彼らは、“物語”を用意した」

 ハッと閃いた。「それというのは、もしかして、…〝民族の協和〟」

「ご名答」

 出入りする息の流れで、ぼくの口が開いているのを感じた。

「「民族の対立のせいで戦争が起きた。だから民族は赦し合い溶け合い、今度はいち個人いち集団としての勇気で手を携えて戦後を乗り切ろう」。〝民族の協和〟は、戦後の荒んだ人間には美しい果実の理想でした。美しい正義でした。最早教義で、疑うことは罪深き背教でした。疲れ果てた誰もが、光を見ていた」

 男は語り部となる。

「この正義の下で復興事業は始まったのです。もともと大戦前に結ばれていた経済貿易の自由化協定で、関税自主権や反自由化になる内容変更を放棄したり、海外資本が日本政府に差別されたと取った場合は賠償請求できたりする、という決まりがあって、しかも戦時中に戦闘能力の補給目的で内容が強化されてましてね。

 まず“農地を海外と連携して復興”することで、農地も種苗も海外資本のものになりました。事実上自前で再生産できない小作農になって、自前で食材を作れなくなりました。農薬をバカスカ使われるので、体を病んだ人も居ます。

 でも治せんのです。“経済を海外と連携して立て直す”ために東・東南アジアの移民が増えて、公的社会保障が機能できなくなったので健康保険も然り。“民族的差別を克服しよう”と保険の比率やら労働力やらが替わって、日本人は富んで地位ある資産家と多数の無産家に極端に分かれてしまいました」

「さすがにそれには怒ったのでは?」

「いや、戦後で忙しいのは当たり前だったもので“一致団結して復興に邁進”している気になって、無産でも仕事は政府に賃金保証されてありましたから。就労時間11時間以上というのがおかしい事態だとは思わず。とはいえ気付く人は居て声を上げてましたが、“罪深い背教”として日本人のほうが率先して消してました」

「なぜ」

「“物語”です」

「ああ」

「“物語”に相応しい人格に自分を位置づけることで、自分も一人じゃない、皆一緒に良いことをしている、そんな社会の一員だと、そう皆互いに他人に受け容れられ認め合おうとしていた。移民ですら働きぶりに「異常だ」と言う人もいました」

 男の口調がわずかにとつとつとなる。

「100年前の第二次と違い、当大戦で日本は戦勝国でした。ただし傷の深い勝利でして。大義は通しても身は死に体なんです。それでも、不可触賤民同然の扱いとなり〝汚い・臭い・危険の仕事〟に身をやつして。戦後社会で〝必要だが誰も嫌な仕事〟を担うからこそ、迫害されつつ必要悪として利用される。そんな敗者らのありさまを見て「それより自分の状況はましだ。下手な事して墜ちたくない」などと委縮したのですな。心理学で言う下方比較です。

 この関係で製造業は人件費がほぼ要らない所に外注されるのでね、当時から日本ユーロ安の利点を日本が全く生かせなくて。のちに日本の輸出品生産ラインが大概オートメーション化してからはマンパワーがそもそも必要じゃないので、結局大企業ばかり儲けて個人に恩恵が行き渡りませんでした。でも賃金保証が、良くも悪くも生活を最低限保証して、生かされず殺されずの状態でした」

 会ってから思ったが、軍事用語を使ったり心理学用語を持ち出したりする解り易い特徴を初め、この男は意外に教養がある。知識の受け売りの線も否定できないが。話しぶりを聞くにそんな余裕が戦時中・戦後にあっただろうか。何者なんだ?

「とりあえず大体一通り、上から言われた通りに作り直せてからやっと生活の現状を見直す余裕が出来て、その時になって海外資本や移民への反感が興るようになりました。でも“物語”や協定には如何ともできず。“政財界協力による復興モデルの躍進”で移民参政者が増えていましたので。

 実力による現状の打開が無産日本人に志向された時、〝大日本テーマパーク〟という事業が初めて明かされました。〝民族の協和〟の成果としての日本。海外含めて皆が想うニッポンらしい日本。平和を愛し治安も良い日本。日本がユートピアのように作られ、大いなる“褒め”が席巻して、体良い雇用が発生しました。計画は元からあったでしょうが、不満を目逸らしする丁度良い口実ですな。

 かくして海外資本は利権を保持したままで、海外の人が見たいものを提供するパークが成立し、そこでは訓練され都合の良くなった日本人が、“名乗りとしての日本人”がキャストたる品格を持って実地生活するに至るのです。“日本人展示園”です」


 エルフが首を傾げる。「あの、」

「はい」

「幾ら日本人が苦境に喘いだとしても、なぜそんなに日本人、あー…狭義でのと言うかかつての“純粋としての日本人”というのは、盲従的なんでしょう? あなたが云う“理想の物語”一つで現実の苦境が、そうさせる体制が、払拭された訳ではありませんよね? 幾ら何でも考察して変だとは思わなかったんでしょうか」

「ふむ」

 エルフは男の様子からして、自民族批判を展開している以上様々な意見や考察も受け止める視野ぐらいはあるだろうと踏んで、あえて辛辣な質問をぶつけたようだ。威力偵察っぽいがそれは自分を守れるぐらいの武力が無ければ危うい戦術だぞ。

「一言で“日本人とは何ぞや”を表すのは、学者10人に訊けば10通りの答えになるでしょうが……私の理解で良いなら」

「どうぞ」

「協調を第一とする民族。というのも、この日本というのは天災が多様で頻繁で、基本的に生きるに難しいと言えましょう。まぁ環境の変化がゆえ自然の恵みが多いとも言えますが…だから、災害対応にあたって皆で有機的に協力し合う方法論が生まれ。誰か利己的独善的な行いに走られれば下手すると秩序も復旧作業も台無しに成りかねぬので、突出した行動とかあるいは才覚を許さない、という生存本能というか心性が育まれたのでしょう。場を乱す問題や悪事を自身の滅亡の危機に感じて相互自粛や抑圧が起きる。それが、特異な治安維持の根因と考えることも出来ます。

 協調し問題を起こさない。ある意味私心を消し集団に自分を埋め込む、デュルケイムの環節社会のような“他者との同調による自分の役割取得”要素は、“物語を映し出す人格を参照して自分を位置づける”と変化してなお日本人に馴染み良かったんでしょうな」

 エルフは浅く頷きながら聴き続ける。

「しかし私心を消すという状況は、例えば話し合いの際、客観的で逃れ難く明確に私心/相手を特定する行動をむしろ抑える働きを起こします。でもそれは、用語の定義を厳密に指定する論理的思考とそりが合いません。こうなると、問題悪事の対応法について、客観的に明らかな手段とは違うような、言わば“問題を問題として再び押し返す”手段が選択肢に挙がって来始めるのでしょう。

 そうですな…あなたがた、ゲストとしておもてなしされた事はあったでしょう。“外側の者は理解出来ん問題を起こすかもしれん潜在的不安だ”と見做したあとで、それを解決する明快な手段――法規則の整備と徹底と考えられますな――ではなく、とにかく満足させてやって当たり障りない状態にして送り返す行動であり、それがもてなしです。もてなしとは、相手へのねぎらいや尊重の表現であるとともに、問題を起こさせて置かないための積極的自己防衛の手段なのです」

 そうか。ぼくたちは問題を起こす可能性ある外の者で、だから問題を起こさせないように丁寧に扱ったりなだめたりしたと考えているのかこの男。日本には神が800万居るなどという明らかなアニミズムの国だったのは知見にあるが、人より優れているからイコール神ではなく、面倒事を起こされないように物事を祀り上げたから神ということなのか。

 ぼくはまたしても“着ぐるみの中案件”に襲われながら、何だか腑に落ちた気もしている。考えの型という物は、高々20年程度の歴史では変えられる物では無かろう。此処で出来る限りの精一杯のプレゼントらしい薄いグリーンティーを見つめる。

いたずらだった海外資本や移民への反感もある意味“問題押し返し”策です。どうすれば海外の横暴に対抗できるか、その意識は有っても課題に関する新たな問題――民族が否定されることで人間のいち所属をその人間が尊重できず、結果民族主義の成長不良で〝民族の協和〟という名の帝国主義が確立する可能性とか――について突き詰めた考えを行えないまま排除だけやった…当時は【維新】とか【攘夷】とかいって、勇ましい言葉が溢れてましたね。

 〝大日本テーマパーク〟という虚ろへの対応もです。取りあえず問題ばかりな移民や海外資本圧力に際し、これを収めるには多少の損など今更だと思いがちで。だから此方に非が無かろうと場の収拾目的で下手しもてに出てしまう、率先して謝ることもよくあります。「Excuse me」の翻訳が「すみません」なのはそういうことです。最早日本にとって大いなる存在に成り果てた海外が、福音〝民族の協和〟を体現する〝大日本テーマパーク〟をもたらした時に、遂にこれに逆らえなくなった。日本人には被支配適性が有るものです」

 苦しげな話の内容である割に淡々と語る男。

「かくして内地日本人は二つに分かれました。1つは問題を起こさすまいと海外をもてなし“物語”に身を置くことで、自らを定義するものが“公認自称”になった“名乗りとしての日本人”。もう1つは復興事業によって居場所をつま弾かれた人、“物語”の虚構に気づいてしまった者、いろいろですが、体制にとって都合悪くて居てはならない少数派マイノリティの集まりな“純粋としての日本人”という訳です。保障が失われ、居場所が失われ、社会の中で何者かとしての自分の価値も失われた人々」


「なら、あなたはやはりナショナリストのように見えますが」

 そうぼくはエルフに釣られて決然とした用語を使った質問をつい口にしてしまう。男は、そっと周りを軽く一通り見渡して小さく言う。

「少数派とは………体制に異議がある、という意味です。私はそんな人の居場所づくりをしております。でもそのことがナショナリストのみを決して定義しない」

 少数派だから内情はモザイクで、しかし詳しいことを部外者のぼくたちにも、リーダー格として内部の者にも、迂闊に口にできない訳か。

「〝民族の協和〟は今でも理想のコーディネーターです。誤解していけぬのは、“理想”とは“現実的でない”という意味であって“不可侵の善玉”ということではありません。宗教、あるいは道徳が統一秩序化されていくなかで、“不可侵の善玉”対“それに背くケガレた悪玉”という二元的規定がむしろ災いをもたらす元凶なのは、皮肉としか申しようがありません。フランス革命に於けるロベスピエールの所業は皆学んだはずなのですがね」

「はあ」

「誰かに財産も生殺与奪の法も奪われ続けることなく、欺瞞の平和に身を任せてしまうでもなく、自分が人らしく、自らに由り、自律的に生きて行く権利を。己の足で立つことの尊厳を。人が本来持つ、自ら生み出し、影響されながら、発達し合う、そんな〝文化〟を。

 …時勢、涙を呑んで上滑りに滑って行かねばならん夏目漱石的苦悩のなかで、文化を求めても“美しい正しさ”によって得られないからと動く、そう、我々は下手すると怨恨ルサンチマンに堕ちたとなどと視られてもおかしくないですな」

 男は眉間にしわを寄せ微笑んだ。

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