1 ヨウコソ


 態勢を低くかがめて物陰に身を隠す。

 なんでこうなったんだ。

 そう愚痴りたいが今はそんな悠長にしてられない。

 いやに汗が出る。

 服の生地が背中に張り付いてるのが判る。

 結構走って隠れてを繰り返しはしたが…

 ぼくはこんなに汗をかく人間だったかと訝しむ。

 昔から黒い動く人型はどうも苦手だった。

 こんなに直接的にああいうものから追い掛け回されると息が上がるのか。

 息する音が耳に届くが、こんなときに音は細やかでも喧しい。

 できるだけ静かに努めたいのに。

 どうも首が締まった感じがする。

 見えないが気配を感じる。

 いまどうなってるんだ。

 にじりにじり陰から後ろ向こうを見る。

 …

 ………

 居ないか。

 俯くように身を縮めて緊張していたものだから、少し気を吐いて腰を落ち着けよう…

 そう思って正面を向いたらが居た。

 口から肺の空気が一度に漏れるのを構わず急激に右手へ走る!

 だがは素早い、ぼくの体の疲れを嘲笑うように迫る迫る迫る迫る

 あれの腕がぼくの背中へ伸びて――――




〝GAME OVER〟

「捕マリマシタ。アナタノ挑戦ハオワリデス。」


「へぁ、、あーーー、、は、残念だ」

 体力を使い過ぎて歯根がじんじんしながら、浅い息遣いでゴーグルディスプレイの文字を眺める。結局、ゲームはNINJA集団の勝利で終わった。

「でもわりと頑張ったんじゃない?」

「どうだ、ろうね、?ぼくの、中ではすごく、走ってたように、感じる」

 スピーカーから聞こえるエルフと喋りつつ出口へくたくた歩いていると、ディスプレイにスコアが映ってきた。逃げ方は独創的だが体力は中の上程度、今日これまでのプレイヤーからすると上位25%の成績だったらしい。25%……半分より上でWoo-hoo!と言うべきか誇れるほど優秀な成績でないから謙遜すべきか、微妙な気分になる値だ。


 はじめて〝NINJA〟というARスポーツをやってみたが、よく体を動かした割にどうも気分はすっきりしなかった。


 ゲームに不満があった訳じゃない。ニンジャという、ぼくも知ってる日本っぽい素材を使ったこのゲームは、体感型というのも相俟って日本の世界に全身で触れたような体験ができた。

 は生身のアクターなのか実はよく出来たNPCロボットなのかは知らないが、位置情報を基にぼくの死角を突くかのようにいきなり出てくる。クナイとかシュリケンとか云う名のツールで攻撃してきてぼくの体力数値を落としに掛かる。

 それだけでも心拍数が上がるには十分だが。屋内ゲームフィールドがだいたい3万㎡もあるとレクチャーボードにあったし、丘あり塹壕あり日本っぽい建物ありと地形の起伏が複雑だから、余計にを見つけ辛いし逃げにくい。冷や冷やするぶん、このゲームは人気取りに違わずよく出来ている。


 なのにぼくの妙な釈然としなさは、やっぱりニンジャという名のだろう。が妙に怖かった。なぜ怖いのか分からない。気づいたことのない闇から触手を伸ばして搦め捕りに掛かってこられたような、とにかく追われる気持ち悪さのせいで搔いたことがない様な汗まで出た。

 次からこのアトラクションは見ないことにしよう。


「おかえりー、って、なんでこんなに濡れてるの? 水溜まりあった?」

「んーぅ、ニンジャから逃げるのに手一杯で気づかなかった」

 ぼくは若干眉尻を下げはにかむ。内心とっさの誤魔化しにエルフは眉ひそめる様子もなく、浅めに相槌うつ。

 容姿についてこれ以上何か突っ込まれないように、そそくさゴーグルディスプレイとアームセンサーを脱いでしまう。装具を汗ばんだまま返してしまうことは、すまないと思った。

「結構スリリングでワクワクしたし、面白かったよ」

「そう? うん、ならよかった」

 ちょっと早足気味に歩く。エルフのほうが先に捕まってしまったのだが、楽しかったのなら何よりだ。でもここにまた入ることはたぶん無いだろうからごめんね。


 エントランスを抜け空の下に出るとやはり少し肌寒い。服が所々ぴたぴたする。歩くだけで接点がより冷える。

「やっぱり5月でもまだまだここは涼しいな」

「だね。でも避寒には丁度よかったのかも」

「今頃シカゴの辺りとかは未だ氷だろうしね」

 ヨーロッパ共同体アメリカ圏の大学は休暇期間だ。だから良い機会だと訪れてみた日本圏の〝大日本テーマパーク〟は、「ほどほど」に下な緯度にあるおかげで共同体諸圏の人気観光地なのだ。以前から日本が友好関係を持ってきたことや当圏インフラが高く整備されていたことも、訪れ易く評価も上がる要素として知られていた。

「北米大陸がもっと下にあればいいのに」

「?」

「そしたら上ほぼ半分が半年氷漬けにならないで有効活用できるし暮らし易いし」

「寒冷期でもなければね」

 身も蓋もない意見だが理解は出来る。第三次世界大戦前まではむしろ温暖化問題のほうが真面目に議論されたらしい。だが戦後、色々な灰やら塵やらが満遍なく地球を覆った結果、平均気温は摂氏-1.6度ほど下がったそうだ。でも一時的ならず今だに寒冷な理由は、まだ明らかでない。

「ま、尤も土地をそのまま使えれば良かったな。氷が解けても次からは除染が延々続く筈だし」

「まあね」

「ない物ねだりは出来ない」

「ここはわりとよく残ったよね。かれこれ20年ぐらいで何とかここまで立て直せた訳だし、アジアの真ん中が土地ごと放棄するしかなかったのに比べれば」

「民族の協和」

 ぼくは頷いて「復興のために誰彼協力して成し遂げられたんだから、みんなの自慢に出来る訳だし。日本人の働きざまはこそばゆい褒め方で語られて」

「勤勉さについては認めるしかないな。クレイジーにも見えるけど」

「それならぼくら半分クレイジーだ」

「なんだかヤだ」

 心外な要素を個性に足した賠償に、脇の〝GEISYA SWEETS〟と書いてある処のゼリーかグミみたいな何かが格子に一個づつ入ったワガシをご所望そうな顔してぼくに向いた。高くなきゃいいんだけど。


◇◆◇


〝AMR(JPA)-2043-1039 TOMUFUSA cowl〟


〝AMR(JPA)-2044-725 KARUSATO elf〟


「アリガトウゴザイマス、カウル様、エルフ様。ソレデハ本人ノ生体認証方法ヲコチラノ中カラオ選ビ下サイ」

「指紋で」

「コチラニオ願イシマス」

 日も暗い時間になるまでひと通りパークを巡ってきたぼくたちは、幾つかあるパークホテルの内のひとつへ、左手首を出してチェックインした。

「認証致シマシタ。ヨウコソ、ホテル・クールジャパントウキョウへ」

「Thank You」

「コノ度カウル様方ノ専属パークガイド・コンシェルジュヲ務メサセテ頂キマス、あいだいデ御座イマス」

 キモノの様な制服を着て辞儀礼する女性の胸には〝逢台〟とあった。それはともかく背が小さい。一瞬、成人しているのだろうか?と目を上下させてしまった。

「今回此方ニ初メテノゴ宿泊トノコトデシタノデ、トッテオキノ、素敵ナオ部屋ヲゴ用意サセテ頂キマシタ」

 お!これはWow!体験をくすぐりそうな案内。あぁこれがオモテナシというものの一端か。

 そういえばバゲージを一旦置こうと、プリチェックインのためにホテルフロントで予約票提出や左手首マイクロチップの情報確認とか手続きをしていた時「当ホテルニ於キマシテ、此レマデオ泊リナサッタコトノアル様式部屋ハ御座イマスカ?」と訊かれた。たぶん過去に宿泊経験がある部屋以外の部屋を用意しようと配慮したからだろう。そうした心配りに感心する。エルフは快く目をぱちぱちさせていた。


 ぼくたちの部屋があるフロアは〝四万〟と云った。何が40000かは解らない。部屋に入ると目に映るのはハーブ色の土壁の落ち着き。そして白い紙が一枚貼られている幾何学文様組みの木のシェードや仕切り戸の繊細さが、土地の有機的で儚い自然の情緒を感じさせる。それにここはタタミ敷というのがいい。タタミは日本っぽい。

「いい部屋だね」

「いい部屋ね」

 キャリーケースから必要なものを出す作業もそこそこに、お互い植物の蔓らしきもので編まれたチェアに何となく背を預ける。

 燃えれば灰に変わる危うさの内在する素材を使って色数を絞り込んた空間の大部分を担わせる、そんなドラスティックな芸術的感性。まさしくあちらの生活の情景にはない、エキゾチックなジャパンそのものだ。ぼくは日本に来たのだ。

「日本に来たんだなぁ」

 声が漏れた。

「空港降りた時から日本でしょ」

「いま実感した」

「今?」

「いま」

「どこで日本感じてんの…」

「だってパークじゃほとんどヨーロッパ共同体の観光ゲストばっかりで」

「それでも周りの景色とか雰囲気は日本っぽさ在りまくりでしょ」

「まあそれはそうだけど」

「物足りなかったの?」

「ううんそんなことはない。エルフと一緒に見たり感じたり新鮮な経験が多くて楽しかった」

 それ程でもない所もあったけど。

「いまはそう、ようやく落ち着いたという気がしたの」

「わたしは着いた時から感嘆したなぁ」

「早いね」

「だってそこに誰も居ない鉄道ホームで黙って勝手に整列し始めて、そこに更に列車がドア位置を合わせて停車するんだよ? 知ってはいたけど実際に見て軽く衝撃」

「ああいうのも他とは違うよね」

「大日本テーマパークって、アトラクションの類はまぁ一カ所に集まってるけど、いかにもな遊園地と違って柵とか囲いが無いじゃない? だから、良く日本人の行動というか形態というか、見える訳よ」

「エルフは人をよく観察するよね」

「カウルだって今日はあちこちきょろきょろしたかと思えばいきなり小走りするの多めだったじゃない」

「それは今日が新鮮だったからで…エルフはでもその観察ぐせ元からじゃない」

「それはまあ経験的にというか、もちろん一番の観察対象はカウルだけど」

 ひじ掛けに頬をもたれさせた腕をつき目を細めるエルフの姿は、とても綺麗だ。ぼくらから見れば外見ほぼ白人のようなエルフは、そんな容姿に関する今までの経験があって、自然と観察/評価ぐせが付いたのだ。

「色々体動かしたなぁ」

「フィールドワークに必要な一つは体力」

「体力の為でもエルフは今日食べ楽しみ過ぎる」

「おいしいのが悪いのよ」

 結局、パークでの飲食でここの経済にわりと貢献した気分だ。とはいえここでの物価を思えば、意外にもそれほど懐が痛んだ訳でもなかった。そのほか学割を使える機会では使っているから、普通よりも更にお得だ。


 それからは備え付けのキモノを見つけて着替えたり、エルフ曰く「食事とデザートは別」であるからして、ダイニングホールへ移りディナーを頂いたりした。途中のサムライショーでは、サムライアクターたちがジャパニーズソードで斬り結ぶさまに、宿泊ゲストらは拍手を贈っていた。


 今日一日動いて食べてをしたので、部屋に戻った頃には薄ぼんやりと滲んだ調子になった。よく見れば、部屋には何故か小さなステンドグラス装飾というヨーロッパ文化の要素がそれとなく点在していることに気づいた。日本らしい空間に何故?と感じたが、そういった折衷的な様式のインテリアなんだろうとぼんやり頭で特に気にせず、そのまま夜は過ぎていった。

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