4 強い者と弱い者 エルフ


「でもね、ぼくがさっきから感じてることは、また別にある」

「え?」

「エルフ前にぼくに言ったよね。「自分のルーツの片方に入れ込みすぎるな」って。今エルフは自分の方から、“純粋としての日本人”に情を寄せすぎなんじゃないかって」

 エルフの眼が見開かれた。

「ぼくが今の体制について部分肯定を評したときに疑問を差し挟むのが熱っぽくなったの、分かる? いつも議論のとき理知的なたたずまいなエルフとは外れていった感じが」

「違う違う! 自分は肩入れなんか」

「してない?」

「してない!」

「ぼくはエルフのおかげであのとき見解の中立を取り戻すことが出来たと思ってる。それは、ぼくにとって意外だとか心外だとか感じられるような角度であっても、結局そのことがぼくの視点を拡張する、物事を対象化して複眼的に相対化させて捉えられることを促してくれたからだと思ってる。

 だから今、ぼくの考えを強く否定するってことは、そこには何らかの事実が含まれてるってことだとい」

「違うってば」

「…食い気味に来てるよエルフ」

「…」

 目線が脇へ逸れていくエルフ。

「自分は偏重してない。強者が強者の責任に背く行動を執ってるのが正しくないからそう言ってるのであって、それが結果的に“純粋としての日本人”にさも同情的なようにカウルから見えるだけで」

「強い人弱い人という表現の仕方はエルフのほうから出した。まあ、マジョリティが強者でマイノリティ=弱者かというと、そうとは言い切れないところではあるけど」

「なにが?」

「数が多いのでマジョリティ。それはそうとして、時にはマイノリティが強者で在ることも有るもんだよ。というか、マジョリティ=強くて、マイノリティ=弱いという配置の仕方が違う。強い方がたまたまマジョリティだった、という言い方が正確」

「強者というのはだからマジョリティなのよ。優位なことを笠に着て。暴力を振るっても快楽にしか思わない。そういう根本気性なの」

「【マジョリティ】のことを単なる人数の多さでなく優位グループとして指定することも有る。そんなときはエルフがいうように常に強者=マジョリティと言えはするけど、基本は人数、それも“社会的に重要視されやすい”大集団で分ける。だから用語の定義を統一するために、ここでは“多数か少数か”でくくるからね。これは議論だもん。

 で、そうなると具合が悪くなることがある。例えば植民地支配。宗主国による総督府や地方政府の人員は被支配国民よりよほど少ないに過ぎないけど、力関係は宗主国人員のほうが歴然と上だよね? その地域だけで見れば人数は少ないけど強者で在るの。ほかにはいわゆる【やかましい少数意見ノイジー・マイノリティ】。マイノリティは不可逆の弱者という前提に立って、弱者は保護されなければならないという正義を過剰に積極的に押し立てる、そのかたわら関心が無いか批判されたくない繊細なマジョリティが何も言わない、結果として主張内容がたとえどれほど歪んでたとしても「意見が来たから」「マイノリティだから」だけで通ったら。それは事実上強者だ」

「…まそれはそうだけども」

 用語の定義評価で持論の印象が変えられそうだと感じたのだろうエルフが、もの言いたげになる。だがぼくも、エルフが本当に言いたいことはそこではないと解るので、あえて被せるように続ける。

「歪みを検証されてない意見を出すにしても、その意見が妥当なのか確認してない行動にしても、自身がやってることは世のため人のためで善いことに違いないという信念で、あるいはひとつの人の意見なのだから聴いておくし聴いてる自身は優秀な活動をしているに違いないという信念で、それをやるんだ。、というのが注目すべきところだ。善意なんだ。相手のために社会のために善かれと思ってやってるんだ。それが悪意であることを自覚してない悪意だとしてもだ。だから、善意を尽くしてやったのに状況が変わらないなら、裏切られたように感じとるだろう。

 社会から孤立したと感じたら、その人はマイノリティ・グループへの依存度を高めていくし、伝えても伝わらないなら、声を大きく主張を鮮やかにして多くの人へ聴いて貰えるようにと行動をだんだん激しくしていくだろう。それは【反社会思想集団カルト】に近しい」

「マイノリティが自分の地位向上を目指して活動することが犯罪的だと言いたいの?」

「そうじゃないよ。つらいことを「つらい」と言うことと、つらいからつらさを感じて無さそうな人に自己中心な恨みを抱くことは、違う」

 エルフの目線を、ぼくの目線で押し返す。

「そしてエルフ。マジョリティだから横暴というのはひとつの事実だけれども、横暴だからマジョリティとは言い切れない。マイノリティが横暴ということも在る。そもそも横暴、力関係の強いか弱いかをまず念頭に置いた考え方をして、その上で、エルフは力の発揮内容が正しいかそうでないか観察に関心が向くのね。マジョリティとは強者で横暴でもあるから。パークの建物や品物が文化盗用かどうかというちらっと出た話もそう。マイノリティ日本の許可なしでマジョリティ海外が“らしいもの”を扱うことの是非を、マジョリティ自らに課すところから始まった疑念だよね。

 ところで…「ぼくたち本当にマジョリティか?」」

 エルフの眉間にしわが寄る。


「“混血としての日本人”はここ日本から見れば一緒くたに海外勢なんでオモテナシもされるけども。ヨーロッパ共同体全体から見れば、日系人の数なんて小さいもんだ。そもそも見た目から分けられる。この体がヨーロッパ共同体アメリカ製made in AECだとしても、そんな問題じゃない。よそ者嫌いゼノフォビアどころじゃない」

「だから自分はマジョリティとして強く正しくいる必要があるの」

「マイノリティが自身に関する他所からの見解をどう判じるかはマイノリティが決めたらいい。なのにマジョリティの側にいる人が、マイノリティ自身がどう思っているかはさておき善意ないし利己な献身的共感力を発揮して、マイノリティ代弁をし始めたら。それの方こそマジョリティの横暴じゃないのか。

 マジョリティだからできるような倫理、「啓蒙できてなくて思いの言語化も主張もしないできない、問題を“発見”し、問題を“裁判”し、それで善いことをと精神的勝利の甘味につつまれながら自身の想像的地位向上に貢献」できるようにする、それはマジョリティの土俵マウントで繰り広げられる権力闘争だ。それはマジョリティによるマジョリティへのための道具だ。道具だから使う人が本心かどうかさえ問われないんだ」

「ある時点において啓蒙されているかいないかというのは大きな差でしょ? 自分に気付きがなければ、ある一部だけは称賛されて、その一方である他の残りの部分については無視されたり偏見を持たれたりして苦しみを受けることになる、それが長きにわたることも一杯ある。最低限、言語化は必要な能力だし、言語化というのは知力の豊富な方…マジョリティが有利なのだから、初めのうち偏りが出来ているのはしょうがないことでしょう?」

「確かにそうとも言える。啓蒙済み意識の人口差は強弱を生む。マイノリティに言葉を示してきたのはマジョリティだったかもしれないけども」

「なら」

 遮って「ぼくは啓蒙が誰によって為されたかを言いたいんじゃない。自身の意思を表明する場所や手段は、それをしたい人自身にとって正当にこなされているべきだと、そう言っているんだ。「どうせこいつは遅れた奴だから我こそ言葉を披瀝して進ぜよう」という意識は、当の奴本人の意思とは離れている可能性を無視した、進歩派にかこつけた前時代プレ・モダンな強者だ」

「自分のことをプレ・モダンだと言いたいの?」

「そんな面がある」

「どういうつもりなの…!」

 エルフは目をつぶり頭を横に小刻みに振りながら立ち上がる。

「自分は違う。自分はいつも正しくあろうと」

「エルフが自分をマジョリティで、なので強者と表現したんだろ」

「だからマジョリティは強さを正しく生かすべきで」

「強者が自己申告する“正しさ”だから誰にとっても正しいか検証されてない。たとえ歪んでいてもそうだったと歪んでたと直視し受け容れるのが今更苦しくて痛いから視たくないんだ。今までやってきた善行が全部間違いだったと思いたくないから。安らかだったかもしれない人をわざわざ率先して傷つけた自身の在りざまが耐えられないから。もう手を引けない認知的不協和で疾走し始めてしまう」

「だから」

「そもそも。ぼくらをマジョリティと表現するのが妥当か自体に疑念が生まれている」

「マジョリティよ」

「ヨーロッパ共同体から見れば人口も見た目もマイノリティだ」

「ここではマジョリティでしょ」

「条件を設定しだしたら何でも言えちゃうよ、ぼくらはマイノリティだ」

「自分は違う!」

「エルフ」

 ぼくはエルフを見ながらゆっくり立ち上がり、そして正面から眼差す。

「自分は、強い、弱いわけでは」

「誰でも最初から完成した強さを持っているわけじゃない。だが、在りたいという話じゃなく、事実についてだ」

「……」

 ゆらゆらと体が揺れているエルフ。腕は垂れて、目は何処かを向いている。ぼくはなおきっぱり目線を向け続ける。

「ぼくも、エルフも、同じだ」

「……」

「――――同じ、“弱者”だ」

「だまれえええー!」

 決然とぼくを睨んだ、その次にはぐむりと瞼にしわ寄せてまで目を閉じ、闇を遠ざけるように両腕を振り上げ振り下ろす。

「自分がどれほど! 頑張っって! それで、、」

「もしエルフが偏重してないと言うのなら、最後にはエルフ個人の問題ということに収まっていく」

 言いながらテーブルに時計回りに沿いつつゆっくり歩み寄っていく。

「同じ人種と思われるのが嫌だ? 弱いゆえに劣っている日本人なんかと一緒じゃないと。見た目で強い者にかしずく存在と同列に見られたくないと」

「来ないで!」

 右腕で払われる動作でボクンッと胸に当たる音も痛みも見ず、目線をエルフの沈みそうな両目に定めたまま、そっと両肩に触れる。

「戦争のあと極地に近い地域から土地が使い物にならなくなって、それ以前に金融危機や生活格差とかで経済モデルも政治状況も病的だったのを引きずって、アメリカは20世紀の記録よりも国力が落ちた。残った土地で人の流動性は高くなっても、それが人種差別レイシカル・ディスクリミネイションも流し去ってはくれなかった。ヨーロッパにしてもだ。正しいことの講義に秀でて、表向きな魅力と説得力で戦争に勝っても。道徳的な信頼の裏打ちへの疑念は不可視されたままで耐えを求められる」

 俯くエルフ。

「ぼくたちはヨーロッパ共同体人だ。同じヨーロッパ共同体人だ。馬鹿にされ邪険に扱われるいわれはないぼくたちだ。主題上も行動上も。正当な籍がある。敗者ではない」

 ぼくはぼく自身にも言い馴染ませるように言葉を紡ぐ。

「だから。ヨーロッパ共同体人として、出来る事はあるんじゃないかな。強者の中の弱者として、だからこそ視得る世界。正しさの内実の検証が出来て、それを弱者に告知するメッセンジャーとして。でもぼくらが出来うるのはここまでだ。ぼくらが最後まで構えられるのは、“混血としての日本人”グループに関することについてだから。…まあ、向こうから協力を求められたら、また話は別だろうけど」

 言いながら、腕の中へ寄せた。互いの重さで、人の字は支えあった。水底のような時間が過ぎた。


◇◆◇


 午前7時になって、外は白い光を増した。

 話し疲れて、ぼくらはまたしばらく横になっていた。腕の中の、頬の水筋跡をつけたまま目を閉じるエルフをほのかに見ながら、彼女のことを思い返していた。


 エルフの母親は日系アメリカ人で、同じ日系との婚約があったという。

 戦時に移行する中で、身分調査した上でユーラシアの諸敵国系人を対象に隔離施設収容あるいは追放が行われた。士気高揚の犠牲の羊に、政治経済の苦境の原因が外側に言い寄せられ、特に誰でも判別し易い違いだった顔の見た目によって排斥は急速に進んでいった。車に乗っていてさえ唾や石が飛んでくる状態だったので、その場しのぎのために味方国である日本人を自称してその場を離れるようになって行った。

 そんな状態も続けば排斥者とて詐称であることを認識する。彼らは「目についたアジア系は大体敵だ」という大雑把で恐ろしい割り切り方をしてしまった。いくら日系人が思想検査を受けて敵性分子で無いことの書類上の証明をされても、横暴的感情に対して身を守る即効力など無いも同じだった。

 この状態についてぼくの父は「アメリカに逃れてからですらも、一人で街を歩けない。軍服を着て、隣に同じ服の白人一人を最低限付けてないと、絡まれる。なぜそうしないとだめかは、分かる。かつて敵国条項の者として、日本人を叩いてきたのに。都合が悪くなれば、今までの行いを振り捨てて、自分を日本人に飾る。その身勝手な狡猾さに、人間の動物的生存本能の、醜い側面を見た」と、時期は違えど似たことを言っていた。

 そうした空気の中で事が起きた。一人街中を歩いていたエルフの母親は、「HEY, Chinky. Get the fuck out!」と複数人に大声で罵声を浴びた。たまらず何か言い返したとされるが、やりとりするうち突然顔を殴打され、悲鳴も上がらないうち路地の中へもろとも消えて行った。通り掛けた人の後の事情聴取による証言ではそこまでであった。いつものことであり、関わり合いになりたくないからとその場を離れたらしい。2時間後、服は埃でグレーに、髪は湿り気で乱れた状態で、たどたどしく家の前まで歩いてきたのを祖母にみつかった。内ももには赤い筋があった。

 かくして数か月後に生まれたエルフは、母親にとって「思い出させる」容貌だとして、除けられたように扱われた。婚約者は犯人への憎悪が白人への憎悪に変質してのちに殺人未遂事件まで起こしたことから、婚約自体破棄された。家族も、感情面で憎らしくなってしまう母親のわだかまりを解る一方、生まれた子に罪はないという道徳観が二人に対し同居して、それを幼いエルフはホームの居心地の良く無さとして感じたのかもしれない。

 そしてその感情は、外にも抱かれた。白人からは、エルフのそれらしい見た目にもかかわらず「見慣れなくて他の日系人との区別が判らない」と言われ。日系人からは、子どもが、無邪気に生まれを訊き出そうとして口ごもられるエルフが気に食わなかったらしく、ぞんざいな扱われような時期があった。このときにはぼくが居てたまたまエルフをかばっていて、エルフ家からはあとで感謝され、他の親も事件概要とその後の治安向上の取り組みを知っているからには、よりわが子を律するようになった。ここからぼくたちは関係が親しくなり始めた。だいぶ後になって、祖母から「エルフを陰から守ってくれるように」と、両祖父母が話し合ったうえで過去を密やかに涙ながらに打ち明けられた。これまでのことの大体は、その時知ったものだ。


 エルフが固執する、自分自身が強くあることの前提願望は、多分に過去の経験だ。

 自身の産まれかた、ホームに於いて真に愛されなかったパーソナリティ、異人扱いしてきた白系・日系コミュニティ…幼少期から受け続けた疎外感は、自身が誰にも文句を言わせない優秀な存在へ高まることで晴らされると決め込むもとになったかもしれない。

 それが、自身も当事者として経験させられたように弱者を守ってあげたいという共感、また弱者は弱く在るせいでいじめられてしまうではないかという自己責任論、この対称的な考察の同居の結果。弱者は理解ある強者に保護されるが良い、こんな感じで表されるだろう保護論に軸が置かれたと、そうエルフを考えることも出来る。

 エルフは今まで、弱者のマイノリティでありながら自身を強者のマジョリティとして役割を演じてきた。だがその捻じれは、必ずしも強者としてならではの幸福をもたらしてくれるとは限らない。そうした自身を自分だけは認めたとしても、他者が設定する人間エルフの解釈は異なる。ただ、多くの場合、有利になるのは他者の想定の方だ。ほかの他者によってもそう想われているからだ。そうなると、エルフの解釈はマイノリティとなって社会に受け容れられなくなる。その果てに、ぼくとの議論のようにコミュニケーションにトラブルが起きた。

 いやむしろ、いまぼくを相手にトラブルが起きて良かったのかもしれない。ぼくはまだエルフの状態を理解しているから受け止められた。あとは、エルフ自身直視が難しい“弱者としての自分”をまともに扱えるようになるか……それには時間が掛かるかもしれない。

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