5 オモテナシ


 朝食の時間になってぼくたちはとぼとぼと会場へ歩を進めて、何となく料理を取り分けて席に就いてはみた。でも、とりあえず一日動くエネルギーを確保するための事務的な手続きをするような、最早乾燥した作業の気配に身を満たされているようだった。エルフも、本人にしては珍しいことに、器と口の間を手がちびちび上下しているだけの、それは、無味のものを心の起伏なく運搬しているようにも見えた。

 エルフが美味しいもの好きなのは、エルフはそれと対極の単調な食事、1か月コオロギオートミールとかでも平然な人だからだ。もともと人間の生活が戦時・戦後期の半ば強制的な労働業態転換のせいで食材も料理人もレシピも、時には調理時間さえも制限されてしまって、余裕ないそんな環境じゃ食事は機械的で貧相になるしかなかったのはどうしようもない。ほとんどの学生にとってはさらに金もない。だから安くて最低限栄養がある食材をいじるか、安くて民族問わずさっさと出るファストフード店に行く。ぼくは理論的で効率的なら良いので放出軍用食レーションだが。エルフは生まれから適当な食事が日常であってしまったからこそ、未知の味の選択肢が増える食文化を、その新鮮な光度で自身のこれまでを見え辛く感じさせてくれるアイテムなように採っていたふしがある。

 それでもなお潤いも情緒もない索然さに包まれているのは、美味しいものを“美味しいもの”として感受する機能が果たされなくなってしまっているからだ。ぼくも、エルフにはほんとうならもっと易しい沿い方をした言葉で腫瘤を解体できたのではないか、未だ大人として諦めの境地へ至る過渡期の若さだからこそのしがみ付き方を客観的に視させるのは正しかったか、かつてぼくを顧みさせたエルフと、エルフを発見させたぼくでは、どういう違いがあっただろうか…悶々と考えの切れ端たちが頭の中を飛び交って、とうとう言葉をぽろぽろと生んで回して行くことさえ、出来そうになかった。

 ぼくはカトラリーを手の中に触れたままで、息を一つついて背もたれに体の重さを預けながら、窓の外を見た。美しい果実の、美しい理想の、美しい屋根の重なりが見えた。ぼくは見ることが痛く疼いてきた。

 あの男は、荒廃からの復興でパークが出来上がったと言っていた。眼下の景色は綺麗だった。綺麗で、最早どれがかつてのオリジナルなのか、ぼくじゃ見分けがつかない。木と土と紙の世界。考えてみればパークでも何でもない時代の商業地だったなら、もっと打算的で妥協したビルディングのひとつふたつあってもおかしくはないだろう。されどパークという統一された規則に倣ったそれぞれのビルディングや物の持つ“いわれ”に、カワラの屋根や木のルーバー、さらにはアクターたちのやりとり、その細やかな形態が割り当てられ、統辞も範列も矛盾なく整頓されている。これはただの懐古趣味じゃないんだ。現在から歴史がさかのぼられて、そうして発掘され漂白化もされた過去が、この景色なんだ。再構成された形での、過去の発掘の成果が、いま見えているこのカワラ屋根という記号化された世界なんだ。そんな、“物語”という統一された作意による光景に、ぼくは彩りを奪われてしまう。

 ぼくの身の回りのものは、みなゲストのためのもので溢れかえる。ホテルの部屋も、カトラリーも、食べかけて減らない朝食も、窓の外のカワラ屋根の景色も。たった一人のゲストのためならば特別なWow!をと思って作られていなかろうとも、しかし物が、人々の行動が、「あなたの為化」されて一人のゲストの印象に残るだろう。そんな中で、半分日本人のぼくらはゲストとして座っている。ぼくは、皮肉と整頓された膨大な作意情報の洪水に、さらわれて浮遊してしまったようなくらくらした不安定さを覚えた。


◇◆◇


 結局朝食はあまり食べられないし出かけた時と心象がそんなに変わらないまま、部屋へ戻った。この部屋にもあった僅かなステンドグラス装飾が、ぼくには何だか心の在り場所を取り戻させてくれるかのように見えて、妙にありがたく感じた。

「んーぅ…今日はどうしようか。アメリカ帰りの飛行機は20時発だから、ホテルのチェックアウトからそれまで結構あるよ…?」

「…」

 互いに、何も思い浮かばなかった。今更危険な目に遭いたくも遭う訳でもなかろうが、外に出るのは気が引ける。かといってホテルに引きこもり続けられもしないし、たぶんこの先もう来ることもないだろうから、折角の機会を無為にしたくもない。

「……やたら行動するのは避けて、いっぱい人がいる名所を2・3長めに居たりとか…評判のスイーツ店でゆっくり腰を下ろす、…のなんてどう?」

「……うん」

「……じゃあ、…そうするね」

「……うん」

 大した考えでないかもしれないが、注油されてない歯車揃いな今の頭にしてはよく捻り出せたと思った。安全で、平穏で、順調に時間を消費できればいい、何も冒険的なことを望んでなどいないんだ。それが本心だし、折角の旅行なのだから、最後くらいちょっとでも良い気分で日本を出たかった。


◇◆◇


 ぼくたちは、ホテルをチェックアウトし取り敢えずバゲージをキョウトステーションに置いて暫くの間もぎこちなかった。話を転がす糸口が漂うばかりで掴めなかった。けれど、キョウトパーク内で移動のために体を動かすようになってからは、目線は上向き、興味の対象が外界に移ろって鬱々さが逸れてきた。

 行先は、後になって調べてみた〝クラマ〟がある北東方面を何となく避け、提案の通りじっくり眺められる名所2・3、そして日本らしい体験かつ長居出来そうな場所ということで、ジャパニーズティー・セレモニーの体験を催している店をあらかじめ見繕って、当日申し込みではあるが参加を申請しておいた。幸い空きがあった。


 15時。カラスマに在る、ぼくらが席をとったジャパニーズティーの店。入り口でコートと手荷物を預け、売り場を隔てる垂れ布の奥、右に庭がガラス戸越しに見える通路に接した部屋にて、ティー・セレモニー体験が始まった。説明によると、今からやるティー・セレモニーの重要なことは“日常とは違う空間で、用意した相手に感謝の意を示しつつティーを味わう”ことであり、やるべきことは基本的に“両手でカップを持って飲む”ことなのだそうだ。これなら簡単だ。マナーも、まずは「頂きます」と挨拶し、ティーの奥行きある味わいの変化を感じるために2杯目以降からスイーツを食べ始めるようにするだとか、節度を保った安らかな態度でいれば美しく見えるだとか、とても理解しやすくて良かった。

 スタイルに雁字搦めにならずに、ティーが出来上がっていく様子をじんわり眺めながら、提供されたティーを「頂きます」。熱めのティーは甘くなく、ホテルやセキュリティオフィスで飲んだそれよりも苦みが薄い分舌の芯がイガイガした感じを覚えた。でも不快ではなく、飲み下すとそれらの雑な味は流れるように通り去って、残りに涼やかな地平が残った。いろいろな味わいとともに煩雑な感情も底へ抜けて行くようで、暖かい息がほぅ、と空間に溶けた。

 それからも、今度は適温のティーを頂きながらキモノ姿のマスターからガイダンスを受けたり、小皿と紙の上にこじんまりと表面が透明なむちむちしたスイーツを黒いスティックでつついて食べてみたりしながら、穏やかなオモテナシの空間の中で、マスターやほかのゲストたちとの掛け合いに身を任せた。

 ぼくの隣に居た人は、「はなふさ いると」と名乗り、ぼくたちと同じように日系人のゲストだと言った。

「…ソウイヤ昨日、インペリアルパレスノ方デ何カ騒ギガアッタミタイナンデスケドネェ、結局情報ガ要領ヲ得ナイデスシ、何ダッタンデショウネェ?」

「ハテ、何カアリマシタカ?」

 ぼくたちは一気に筋肉が固まった。ゆったりした時の中を、急にゴミゴミした処理場へと体を拉致された気分になった。

「……何だったんでしょうね…」

 それは経験のカバーであるし、実際にもそうだとしか言いようがなかった。

「オヤァ、何カゴ存ジナノデ?」

「いえ、よくわかりません」

「ハア、ソウデシタカァ…」

 呼吸音とタタミの部屋だけがそこに続く。

「シカシ、残念ナコトデアリマスヨネェ」

「何がですか?」

「インペリアルパレスッテネェ、エンペラーノタメノ場所デショウ、ダカラネ、仮ニモ人々ノ代表者ガ居ル場所ノスグ近クデネ、騒動ガ起キテシマウコトハネェ…秩序ガアッテ安ンジル心ナンテ無イミタイナ象徴ニナッチャウジャナイデスカァ」

 ぼくは手に持ったグリーンティーを見下ろす。昨日からというもの、色々なことがぼくたちの体を突き抜けていった。連れ出されたこと、分裂した日本人、アイデンティティ、大日本テーマパークの姿…ぼくはそうして、日本に対してどう思うかと言ったら。

「そうしたこともまた一つの日本の姿なんでしょうね」

「ホォ」

「今まで我々が…ゲストが触れて、体験して、教えられて認知してきたパーク。でもそれだけが、パークの全てという訳でないのかもしれません」

「裏ノ姿ガアルト?」

「騒動というものが起こるということは、そうしたこともあり得る、というだけの話です」

「パークノ姿ニ疑問ガアルト」

「ぼくは「あります」…エルフ」

 エルフがぼくの発言を被せるように入ってきた。

「日本人が騒動を起こすということは、今のパークに何らかの疑問があるからでは?」

「アナタハ騒動ヲ起コシタ犯人ガ日本人ダト知ッテルンデスネェ?」

 返されて顔が曇るエルフ。

「いや、パーク内の人口が相対的に見れば日本人キャストの方が多かろうという見積もりからの帰納的推測なだけですよ」

 ぼくはどうにも解釈出来うる表現で逃げておく。ぼくらの今後のパークに対する観察はともかく、実態がどうだか裏付けが取れていないときにやたら断定的な表現はしないでおくのが当り障りない。

「ゲストノ人口ノ方ガ多ク見エマセンカァ?」

「そうなんですか? まぁ数の大小はここで話し合っても判らないので措くとして、でも何かの騒動が起こったなら騒動が起こるだけの何かの理由があったんでしょうね、そうとしかぼくらは言えませんが」

「フーム、ナルホドォ」

 それから何となく、でも確実に話題を別にしたくて、グリーンティーの味わいについて、そこからグリーンティーのレパートリーやカップの形と使い分けについてみんなでお喋りをしあった。レパートリーの話が出たので、〝利き茶〟という違う種類のグリーンティー飲み当て体験に移って、時間を過ごした。

 17時。おしまいになり、みんなぞろぞろ退店していった。ところがぼくたちは、通路少し手前のウォータークローゼットを借りていた。事前に済ませておくべきだったんだろうか、体験の都合上水分を多く摂ったからだろうか? でも特に何とも考えず少々経ち、後にしようとすると垂れ布の向こうにが居て思わず息を呑んだ。


「……へ?」

 よく見たら黒山は警備用と何か違うAMRの群れで、真ん中に一つ抜きんでた人影。

「カウル・トムフサ。オ前ヲ危険思想保有ナラビニィ破壊扇動準備ノ容疑デ同行シテモラウ」

 はなふさだった。

「なっ…え? どういう…」

 そこへ左手からエルフも戻ってくるや「ぅおっ、え、なっん、なにこれ」と、二人纏まって状況が飲めずに固まった。

「エルフ・カルサト。オ前ヲ危険思想保有ナラビニィ破壊扇動準備ノ容疑デカウル・トムフサト共ニ同行シテモラウ」

「どういうことですか? なぜ、というか我々が何かおかしなことをしましたか」

「政府批判、特ニヨーロッパ共同体ニ対スル内部瓦解的思想ヲ発想シィ、体制転換ヲ志向サセル動向ヲ確認シタ」

「突飛すぎる! 何の裏付けがあって――」

「我々ハゲストノ皆様一人一人ニ対応シタヨリ良イ〝オモテナシ〟ヲ微ニイリ細ニイリ提供出来ルヨウ努力シテオリィ…」

 そして。

「〝オモテナシ〟ノ為ニハァ、問題ナクシテ満足頂ダケルヨウニ出来ル限リ常ニオリマシテネ」

(盗聴かっ!)一瞬で血が沸いた感じで解ってしまった。

「ナノデェ、ソレヨッテ得ラレタオ前タチノ見エザル思想ハ残念ダガァ、看過シ難イ影響ヲ及ボシウルモノトAI会話分析を下地に判定ガ下サレタァ。出来レバオトナシク同行スルコトォ」

 …ここでよしんばおとなしく連行されたとして、果たして何も無く帰れるか? そんな気がしない。だが逃げる? どうやって? そもそも拘束が不当だとどう周知する?

 ぼくたちも腹に一物抱えてるではないかと指摘されたら言いよどむ下地があるだけに大義がすぐ思いつかない。

 考えられない

 がやってくる

 逃げるか

 反撃できるか

 無理か

 手は

 ぼくはを凝視して――

「ぅぐn!」

 エルフに肩から左腕を持って行かれかけて頭が倒れる勢いで喉の息が絞り出る。

「出よっ!」

 一息先に動いたエルフがぼくをけしかけ群の真反対、店奥をすり抜けようとする。釣られてぼくもエルフの背を追う。

「スタンブレット撃テェ」

 ティー・セレモニーの部屋を走り抜きかけるとき声が聞こえて右肩越しに後ろを少し振り向くと、こちらへ一気に伸びてくる線が数筋おぼろに見える。とっさに身を屈めてガラス戸に頭から突っ込む。枠から甲高い幾つもの砕けを立ててぼくごと庭へ崩れていく。庭草とガラス片を下敷きに強かにでんぐり返ってしまうが構わずに態勢立て直して奥へ走る。

 パスゥと音が後ろから聞こえてしゃにむに左腕を振るう。左手首に何かかすって刹那に液体窒素のような突き刺さる不快を感じる。それでもぼくは庭を駆け勢いのままジャンプして塀の上端に手を掛けつつ体を押し込むように乗り越える。

 周りのビルディングが隙間に落とす暗がり。そこへ無様に転げ落ちていく寸前見えたのは、通路に倒れるエルフだった。

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