五:漢人

 朝儀を終えた馬子は子麻呂を伴い、糠手、そして秦丹照はたのにてるを高殿に招集した。

 丹照は、土木や財務面で馬子を支える、渡来系氏族・秦氏はたうじの長である。

「それで、調べはついたか」

「ああ、頼まれた通り、丹照殿と調べた」

 糠手は腰をおろして続ける。

「相楽の高麗人を束ねているのは、乃楽山に居を構える頭霧唎耶陛ズムリヤヘだ。 館の建設はあいつに協力を仰ぐのがよかろう」

「頭霧唎耶陛?」

 首を傾げる馬子に、丹照が付け加えた。

「五年前、一族を連れて筑紫に漂着した高麗人です。 馬子様が参内する前の事ですから、記憶にないのも仕方ありませぬ」

「何でも、戦火に巻き込まれ逃れてきたとか言っていたな。 吾は兄上と一目見たが、背丈は大連様にも勝るデカブツ。 大王が〝長背王ながせおう〟と名を賜ったほどだ。 お前が並んだら鷹と雀だな」

「雀……」

 糠手の冗談に、馬子の顔は引き攣った。

 馬子の背丈は平均よりやや低いが、実際は特筆する程小柄ではなかった。

 だが腰の低い性格も相まって、幼い頃からしばしば雀と揶揄され、劣等感を抱いていた。

 本人は平静を装っているが、明らかに表情が面のように固くなっている。

「……糠手様」

「悪い。 つい口が滑った」

 丹照が軽く咳払いをして、仕切り直す。

「兎に角、館を建てる具体的な場所や手人てひとの調整について、長背王殿と話をつけて参ります」

「ああ、判った。 通事として子麻呂も同行させよう」

「お言葉ですが、韓語からさえずりならやつかれも心得がございますので」

 丹照は細い眉根を寄せ、子麻呂に冷ややかな視線を向ける。

「お前、自棄に今来漢人いまきのあやひと(新参者の帰化人)を避けるな」

「避けているのではありませぬ。 誉田別ほむたわけ様(応神天皇)よりお仕えする秦氏としての矜持です」

 丹照の頑固には糠手も歯が立たず、やれやれとため息をつく。

 子麻呂は丹照が己を嫌悪している事は元より承知していた。

 子麻呂としても、己を嫌っている相手に対し、こちらから仲良くしようなどとは思っていない。

 しかし、職務を遂行する上では波風立てぬ様に振る舞おうとしているにも関わらず、己の矜持を優先しようとする丹照が、子麻呂には不愉快であった。

「恐れながら、丹照様は新羅人の血を引いておられます。 いくら遠祖とは言っても、高麗人の長背王様は警戒されるでしょう。 伽耶かやを出自とする吾のほうが、その心配はございませぬ」

 子麻呂の返しに、馬子は頷いて口を添える。

「その通りだ、丹照。 お前の気持ちも分かるが、説得に備えすぎという事はない。 此処は三人で当たってくれ」

「……かしこまりました」

 丹照は不服そうではあるが、ひとまず首を縦に振って応えた。

「よろしく頼む。 吾は少し調べ物をしてから、裙代殿と蠏足を連れて邸に戻る」

 馬子はそう言うと、乃楽山へと馬を走らせる三人を見送った。

 三人は、王宮を出発し、上つ道を北へと駆ける。

 佐紀(奈良県奈良市北西部)の陵を横目に見つつ、日が真上に昇る前には、乃楽山を越え、丘陵に築かれた高麗人の集落に辿り着いた。

 土を塗り込んだ壁で屋根を支える家々は、倭人のそれとは異なり、異国の趣がある。

 とはいえ、近隣に住む子麻呂からすれば、むしろ見慣れた風景であった。

 一際大きな建物の前で、背丈六尺以上ある大男が、拱手して三人を出迎えた。

 男は、背丈が高いほうである糠手でさえ、見上げる程の長躯であった。

「久しいな、長背王」

「糠手サマ。ゴブサタシテマス」

 片言ではあるが、長背王が倭語で受け答えをした事に、三人は目を丸くした。

「驚いた。 随分と倭国の言葉が達者になったな」

「アリガトゴザイマス。 デスガ、アイサツダケデス。 ソチラノ方ハ……」

「ああ、紹介が遅れた。 こちらは秦丹照殿と、通事の子麻呂だ」

 四人は改めて挨拶を述べた後、長背王の邸に上がり、高麗の遣使を迎える館の建設についての相談を交わした。

「我瞭解您的故事。 我會竭盡所能提供幫助」

「話は分かりました。 出来る限りの力添えは致しましょう」

 子麻呂の通訳が功を奏し、相談は円滑に進んだ。

「長背王、感謝する」

 糠手と丹照が会釈しようとすると、長背王はそれを制止した。

「しかし、問題があるのです」

「問題?」

「館は、遣使を留め置く館、彼らを饗すための館、二つ区画を整えるとおっしゃいましたね」

「うむ」

「相楽では、二つ区画を整えるほどの土地が余っていないのです。 それが一つ目の問題」

「それは何故だ」

「相楽は、交易の路が行き交い、集落も多く、輪韓河の船着き場もあります。 土地を確保するのにも時間がかかり、せいぜい一区画が限界です」

「成程……」

 思わぬ壁に突き当り、糠手は頭を抱えた。

「ですが、これについては提案がございます」

「なんだ、あるのか」

「対岸の狛山こまやまの麓にも集落があります。 そちらはまだ土地に余裕があるので、取り急ぎはそちらに遣使を留め置く館を建てるのはいかがでしょう」

「うむ、いいではないか。 名付けて高楲館こまひのむろつみと言ったところか」

「しかし、そちらは手人が少ないというのが問題なのです」

「なんだ、結局駄目ではないか」

 糠手がガクッと肩を落としていると、丹照が口を開いた。

「それなら、近隣の綺原かむはら(京都府木津川市山城町綺田)には、吾が秦氏の支族・かば氏が居りますゆえ、彼らにも協力させましょう」

「おお、いいのか丹照殿!」

「今来漢人と手を組むのは少々癪ですが、国事であれば仕方ありませぬ」

「お前、案外いいやつだな。 じゃあ、これで万事解決じゃないか」

 調子づいた糠手は、嬉々として丹照の背中を何度も力強く叩いたが、丹照は細い眉根を寄せ、背中の痛みと糠手の馴れ馴れしさに辟易としている。

 その様な二人のじゃれ合いを、長背王は微笑ましく見ていた。

「それであれば、吾は狛山の長の滋井ジショウに話をつけておきましょう」

「ああ、よろしく頼む」

 これで一件落着かに思えたが、長背王ははたと思いつき、糠手に尋ねた。

「そういえば、遣使はどなたか聞いておりますか」

「具体的な所はまだ何もわからん。 何か思う事でもあるのか」

 長背王は、次第に表情を曇らせながら、小さく呟く。

「吾の杞憂であればいいのですが……」

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高麗の遣使 やすみ @andre_fuhito

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