第7話 泡沫でも…

「御手数お掛けしてすみません…妹が御世話になりました。」


それは耳に心地好く響いて…懐かしさが込み上げる。ほんの僅かな月日じかん離れていただけなのに…それなのに。


「あぁいらした!大人しく休んでましたよ。…ゆっくりでいいから立てるかな?お兄さん来てくれてよかったわね。」


保健医の先生はカーテンを広げ上履きを示しながら、ベッドに腰掛けている私を帰宅へと促す。私は突然のことに戸惑いながらも、如何いかにも振る舞おうと努めた。


「ほら、帰るぞ。荷物は何処だ?」


一瞬…時が止まる。

久しぶりに目にしたその姿は相変わらず仕事序でのサラリーマンで…空き時間がてらわたしを迎えに来た兄というていである。

それでも…


「あっ、鞄は此方こちらに。本人まだ具合が良くないみたいですから…お家でよく休ませてあげて下さい。」


先生がスクールバッグの入った籠を持って来てくれた。


「あぁ…どうもすみません。帰って休ませますので。ほら、行くぞ…俺の肩に掴まれ。」


爽やかで落ち着きのある声に胸の奥が締め付けられる。思わず腕にすがり付いた。

私のスクールバックを抱えたまま受け止めてくれる。サラリーマンには不釣合な可愛らしい色合いのストラップを揺らしながら、彼は私を寄り掛からせゆっくりと歩き始めた。


「…ありがとうございました。」

「どうも、御世話になりました。」


重なるように挨拶をし、保健室を後にする。


「無理せずにね…お大事にしてください。じゃあ、気をつけて。」


保健医は穏やかな口調で送り出してくれる。優しい眼をした朗らかな人だ…何一つ疑わず二人の背を見届けると速やかに持ち場へと戻った。




………仄かに煙草の薫りがする。

また、吸ったんだ…仕事のストレスかな。

そんな他愛ないことを考えているつもりだったのに…彼の温もりが心地好くて離れ難い。

もう保健室からだいぶ離れ、昇降口へ近付いている。


「お前さぁ…自力で立てるならもうちょっと離れて歩けないか?…流石に…歩きにくいんだけどな。」


どうやら…ぴったりとくっついていたらしい。

気が付けば彼のYシャツをくしゃくしゃに握りしめ、腕にすがり付く力も加減していなかった。ほんのちょっと申し訳なくなるが、それでもまだ…あと少しだけ………このままでいさせて欲しい。




ところが…

不意に手を引き剥がされた。


「ほら、出るぞ。」


昇降口で靴を履き替えついでに取った僅かな距離が胸を突く。心の暗がりに中身のない感情が虚しさを連れてくる。辛い筈なのに…仕方ないと自分に言い聞かせ、のろのろとローファーに足を入れた。

多分…もうない。


「俺の車で送るから…何か欲しい物あったら途中でコンビニ寄ってやるよ。大人しく乗ってけ。」


「…どうして…。」


「…ん?」


「どうして来たの…。」


上手く言葉が出ない。

どうしても苦しくなる。

やっと絞り出せたのがこの一言なんて…それでも今の私には精一杯だ。


「…いいから。車乗れよ。」


無機質に返されても仕方ないのは解っている。

やっぱり少し嫌だけど…。

ピッ!ガチャッ…


おもむろにドアを開けると渋々乗り込んだ。

唐突に二人きりの空間になる…先程彼にしがみ付いていたことをうっかり思い出してしまった。

息が詰まるようで…兎に角、居心地が悪い。


「…お前の相棒るびー…モナドに呼ばれて来たんだ。朝からお前の様子がおかしいって言うから………何かあったのか?」


ギクリとしたのと同時に紅玉るびーが急激に恨めしくなった。…本当に余計なことをしてくれる。気持ちの整理が着かないまま彼に会うのはどうしても避けたかったのに…あの紅玉いし捨ててやろうかな…どっか遠くに…思いきって海とか…絶対戻れない場しょry…


「こら…せっかく迎えに来てやったんだから返事くらいしろ。はぁ……………本当に具合悪いなら仕方ないけどな…そのくらいは言えよ。」


顔を此方に向けられ、覗き込まれるような彼の姿勢に慌てさせられた。心の準備が出来ていないし思考回路の整理が着かない。彼の眼差しに酷く焦る自分が映る。途端に恥ずかしくなり思いっきり顔を背けた…それはもう不自然極まりない程に…落ち着くように自らをなだめ、窓枠を相手にして俯きがちに話し始める。


「そっか…そうだったんだ。…うちのモナドがごめん。………迷惑だよね…本当にごめんなさい。」


唇をキュッっと噛んだ。


「でも…」


「来てくれてありがとう…嬉しい。」


絞り出した言葉は今の本心。

一番伝わって欲しい感謝の気持ち…今、此処に居てくれて嬉しい…戸惑いも狼狽える姿も隠せる自信はないけれど…それでも駆けつけてくれた。今、傍に居てくれる。

例えモナドの呼びつけだろうと…嬉しさは確かにあるから…伝わっていて欲しい。


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