第9話 Color of Opera
「いや、お前が呼んだんだろ…。」
思わず棘のある言葉で返したが、実際そうだ。本当のところ、ここ最近の彼女の様子について把握しておきたい。色々聞きたいことはある。
「ふむ…私は
「ちょっとモナド…!わざわざ送ってくれたのに…お茶くらい、いいでしょ。」
「大丈夫だ…コイツにはもう慣れたよ。」
こういう時に限ってはぐらかす…奴の悪い癖なんだろう。自覚があるのかないのか、相変わらず憎たらしい奴だ。モナドという稀有な存在でなければ、既に数発殴っていたかもしれない。
それに…彼女にとっても特別な存在には変わりなかった。
ボソッ…
「…それは此方の台詞だ。」
「…ん?何か言ったか?」
「いいや、何でも。」
モナドの不審な発言に眉を潜め、しれっとした態度に苛ついていたが…此処は我慢だ。
必要な情報が手に入らなくなる。
「玄関で言い合っても仕様がないでしょ…取り敢えず上がって。」
「…ああ。お邪魔させてもらうよ。」
彼女に促され革靴を脱ぐ。
「まあ、上がるといい。」
フンッと鼻を鳴らし、したり顔で俺を見た。
…いちいち腹立つ奴だな…。
来客用のスリッパを履くと、広々としたリビングまで案内された。窓も大きく日光が射し込む、落ち着きのある家具に開放的なリビングだ。
「ソファに掛けてて…お茶淹れてくるね。」
「あぁ…御構い無く。」
質のよい革張りのソファに腰かける。程よい反発力で背凭れについ身体を預けたくなる。
「私に用があるんだろ?」
今度はやけに真面目な顔をして静かに話を切り出した。この
「まったく…解ってるならもっとマシな対応あっただろ。」
僅かに彼を責めた。いつもそうだ…真実を知っているくせにはぐらかしては面白がる。
「彼女の事なら…本人に直接という訳にはいかないか。」
嫌味ったらしい口調から落ち着き払った声色に変わり…心なしか厳かな気さえし始めた。
「いやっ…まあ何だ。その…聞いても誤魔化されてだな…正直に答えてくれない。学校では魘されていたらしいが、家でもそうなのか?」
「…そうか。まあ、私の口からは言えないことも多いが。明確に言うと、魘されるような夢を見たが正解だ。」
「はっ?…夢?」
「おやおや、
「えっ…は?まさか…其で様子がおかしかったのか。…で、どんな夢なんだ?」
何だか拍子抜けしてしまう…まさか体調不良の原因が夢だったなんて。たかが夢、然れど夢か…しかし、本当に夢が原因なら何とか出来るかもしれない。
するとモナドは俺を一瞥して、少しばかり怪訝な
「それは…教えられないな。私の口からはとても言えたもんじゃない。」
「…おい、内容が解らないんじゃ対処仕様がないだろ。」
「夢だけ…ならな。」
静かに答えると、流し目に俺を鋭く射抜いた。
そして直ぐ様身を翻し…
「悪いが、私はこれから野暮用でね。まあ、明日の夕方には帰れるだろう。私の人魚は一旦、
其だけ言い残すと、紅い光を放ち霧のように消えてしまった。
「おっおい!ちょっ……何なんだよ一体。」
何一つ手掛かりらしいものを教えずモナドは去っていき…挙げ句、唐突に彼女を託され何が何だか解らない。これじゃあ話にならないだろうに…何のために来たのやら。
思わず深く溜め息を着く。
前髪ごと額を押さえ、髪がくしゃくしゃになるのも構わず顔面を掌で覆い尽くす。
見知らぬ広い屋敷に草臥れたサラリーマン…ソファの上で独り途方に暮れた。
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…ヤバい、忘れてた…。
母からのメールに背筋が凍る。
今朝から出張に出掛けた父と冷蔵庫に4品ほどある作り置きのおかず…仕事終わりに実家へ泊まる母。今日は火曜だが…明日のカレンダーは赤く染まり祝日であることを明白に示す。
おまけに先刻から降りだした雨は次第に勢いを増し、
不味い…帰宅して安心したせいか本当に微熱がある。雨も相まって普段より肌寒く感じた。
彼には黙っておこう…余計な心配をされかねない。
加えて…
ピロンッ
『明日の夕方には帰るから家の事よろしくね♡お土産もあるよ~! ママより』
母からの気楽なショートメールに若干の落胆と疲労感が漂う。仕方ない…か。
溜め息混じりにパチンッと携帯電話を閉じ、制服のポケットに突っ込んだ。
大丈夫、薬を飲んで温かくしていれば問題はない。台所のシンクに
ポットのお湯が残り僅かだったため、急いで水を足して再沸騰スイッチを押した。それでは間に合わず、ヤカンでお湯を沸かしつつお茶の準備を整えている。色違いのマグカップに熱々の紅茶を注いでお茶菓子を添える。トレーには砂糖とミルク…揃えたマグカップを乗せて慎重に運び出した。
…大丈夫、モナドも居るし。
思い切ってリビングへと向かう。
湯気が廊下をゆらりと
「お待たせ…遅くなってご免なさい、ポットのお湯が足りなくて。モナドと喧嘩してない?」
リビングを覗くと何故か乱れた髪を直す彼が目に映った。
…やはり喧嘩になったのだろうか。
部屋へ入りテーブル上にトレーを乗せる。マグカップを彼の前に差し出すと、受け取りながら力なく礼を言って紅茶を一口啜る。
ストレートで飲むのは知っていたが、念のために用意していた砂糖とミルクをテーブルの端へ…そのまま茶菓子だけ手前に置いた。
熱い紅茶で一息着けたのか、大きく溜め息を吐き出すと背中をソファへ凭れ天井を仰ぐ。
連れて私も紅茶を一口、お腹の底からじんわりと温まる。風邪気味の身体にはありがたい。序でにお菓子へと手を伸ばした。
「あれ、
やけに静まり返った辺りを見回す。
いつもならペラペラと何か話し続ける鬱陶しい
「…勝手に居なくなった。野暮用だとさ。」
「へっ…えっ!?」
「あっという間に消えちまった…明日の夕方には戻るってさ。」
「えっ、えっ…嘘でしょ!?」
「いや、本当…どうした、何か困るのか?」
「えっと…いや、そうじゃなくて…いや、うん大丈夫。」
私は何とか取り繕ってその場を遣り過ごそうとするものの、彼の鋭い眼光は私の嘘を見透かし無言で追及する。
迫力に負け、私は真実を打ち明けるしかなかった…今日に限って両親が不在なこと、熱が上がってきたこと、おまけにこの悪天候で風邪気味の未成年者独りでは不安なこと。
「だったら早く言え。」
あからさまに不機嫌そうな溜め息と共に頭を搔く彼。モナドの無礼な態度といい、不都合極まりない私の容態…かなり苛ついているに違いない。
「ご免なさい。」
申し訳なくて謝る他ない。なるべく迷惑は掛けたくないし、お茶が済んだら帰って貰おう。
「私は大丈夫だから。そっちも忙しいだろうし…疲れてるよね。おかわりも置いておくから飲んだら帰っていいよ。」
意外と喉が渇いていたらしく、紅茶を飲み干し
た私はおかわり用のティーポットを示し、片付けの姿勢へと入る。
「わかった…ちょっと待ってろ。」
そう言うと彼はポケットから薄型の電子機器を取り出し何やら操作を始めた。
携帯電話とも違う…PHSかな?
サラリーマンにとっては
「あっ、もしもし…○○部の…ですが。」
…えっ!あれ電話!?…見たことない機種だけど、最新型なのかな…全く知らなかった。
というより何で電話?
相手会社の人だよね…あっ、仕事か。
「よしっ!休み取ったから、明日の夜まで
携帯電話らしき電子機器を手に、どうだと言わんばかりの彼がはっきりと告げた。
「はっ?」
「俺が居てよかったな。」
「…はっ!?」
雲は一層色濃く街を覆い、窓にぱたぱたと滴り落ちる雨は
心なしか遠方には稲妻が走り…いよいよ外は暗くなり始めた。
土砂降りと共に波乱の一夜が幕を開ける。
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