第8話 微熱

…無理してるよな、絶対…。


保健室でしきりにうなされていたらしい彼女をふと横目で流し見る。


紅玉モナドに呼びつけられた際…何も考えず二つ返事で迎えの準備をしていた俺は、咄嗟に兄を名乗り学校まで乗り込んでいた。かなり勇足いさみあしだったに違いない。気付けば保健室の先生を捕まえて、彼女の容態を執拗に聞き出す始末。端から見れば妹想いの兄…多少過保護に映ったかもしれないが。


『ありがとう』か…。


礼を言われても何の解決にもなっていない。感情的な問題ではないだろうに。事実、彼女の現状が本当に正常なものなのか…それとも俺に虚勢を張って平気な素振りをしているのか解らず仕舞い。


「当たり前のことをしたまでだから礼はいいよ。…なあ、俺の前で無理する必要はないだろ。本当に大丈夫なのか?」


「…大丈夫だよ。…本当に平気だから。」


彼女は俯いたまま力なく応えた。


暫く離れていたが、此だけははっきり解る。明らかに彼女の様子がいつもと違う…何か異変があるのは明確だ。もしかしたら能力の暴走か…はたまた身体の適応力が限界を迎えたのか…ともすれば彼女自身が危ない。紅玉モナドはこの変化にいち早く気付いている筈。何故もっと詳しく教えないのか…歯痒い。俺一人焦っても仕方ないが、兎に角、今は彼女の様子を見よう。大事があってからでは遅い。


彼女からはそれ以上の返事はなく、沈黙が続く車内は重苦しい。


正直、この年頃の少女達が何を考えているか解らない。全く別の生き物を見ているようで…十代の時から「女」という生き物にはどう対処して良いのか検討も付かなかった。

それが今や助手席に女子高生。

と言っても…彼女は同じ年頃の少女たちに比べ至って良識的で落ち着きもあり、初対面からその印象は悪くない。能力者である彼女が普通の人間と異なるのは頭で理解している…しかし、人魚と言えどまだ十代の女の子だ。


能力者としては玄人ベテラン…魔法の自信もそこそこ有るのだが…こと女性の扱いに関しては素人ビギナー。天使の姿をしてはいるが一介のサラリーマンでしかない…俺の手探りな対応では不十分なのだろう。彼女の機嫌を取ることすら叶わない。

何が好きで、どんな事に興味があるのか…今までは能力者として接点を持っていたに過ぎず…結果として彼女自身を知り得ることはなかった。急激に己の不甲斐なさにさいなまれる。多感な時期だ…離れて過ごしている間に、彼女は少しずつ変わっていたのかもしれない。

これからは出来るだけサポートして、やれるだけのことはやろう。


後悔しても仕方ないと言い聞かせるが、僅かな懸念が彼の思考…いや感情を掠め沈ませる。もう二度と心配しなくてもいいように…把握出来ていれば。彼女の心の内までは解らない。けれど、寄り添うことなら可能な筈だ…少しでも相談に乗ってやれれば。俺に出来ることなら…。


思考を固めようと天使は煙草に手を伸ばす。

が、傍らの少女に気遣ってか直ぐにその手を引っ込めた。

乗車してからは窓の外ばかり眺めている彼女だが…俯いたまま少しばかり身をよじる。

すると、仄かに甘く香るが鼻腔をくすぐった。


…シャンプー…か?


「…そういえば、熱はどうなんだ?保健室の先生が言ってたけど、ちゃんと測ったのか。」


己を咎めるつもりで、彼女へ声を掛ける。

本当に具合が良くないのなら病院という手もあった。しかし兄の振りをした手前、本物かぞくでない限りは家に連れ帰るしかない。


「…えっ。だっ大丈夫…微熱だから。」


ビクッと彼女の肩が跳ねる。

驚かすつもりはなかったのだが、突然声を掛けたのが悪かったのだろうか…それとも俺がだからか?

いや、まだそんな年齢としではない筈…。


「微熱…ってことは少し高いんだな。早退して正解だろ…今日のところは休んどけ。」


「…うん。そうする…。」


次の角を左へ曲がれば人魚かのじょの家が見える。小高い丘の上にある住宅街…地下ガレージのある一寸ちょっとしたお屋敷だ。


「…あっ。」


「ん?どうした。」


「今日誰も居ないんだった…。」


「そっか…飯はどうするんだ。」


「作り置きがあるから大丈夫…インスタントもあるし。」


「じゃあ心配ないな。」


丁度家の前に着きギアをパーキングへ入れる。鍵を開け降車すると、荷物を運ぶため彼女側のドアへ向かった。


ドアを開けた瞬間…潤んだ彼女の瞳が俺を捕らえる。微熱のせいか頬が紅く染まっている。

そして唐突に言葉を放たれた。


「そうじゃなくて…。折角送ってくれたんだから、お茶でも飲んで行って。…もとはと言えば紅玉モナドが勝手に呼び出したせいもあるんだし…。」


すっかり忘れていた。

紅玉あいつが居るんだった。


「そうだな…俺も紅玉モナドに聞きたいことがあったんだ。」


「…そうなの?それなら遠慮なく上がって。駐車場使っていいから…ここね。」


バッグを預かり損ねると、玄関付近の駐車スペースを小さく指さされた。

彼女は大きな扉へと歩いていく。

…しなやかに艶のある黒髪を揺らしながら。

セーラー服の裾がひらりと舞う。


何となく拍子抜けした感が否めないが、大人しく彼女に従う事にした。シルバーの愛車をきちんと停め、のんびりとした足取りで彼女の後を追う。


…相変わらずデカい家だな…。


人魚かのじょの屋敷を見上げながらぼそりと独り溢した。


「えっと…あった。」


ガチャッ…ガチャリ

鞄とお揃いだろうか、可愛らしいストラップが揺れる。僅かに慌てた様子で少女は鍵を開けた。


「…ただいま。…ねえ、紅玉モナド…居る?」


俺は彼女の後に続いて玄関をくぐった。


「…お邪魔します。おい紅玉モナド…居るか?」

…広い…いや、今は紅玉モナドだ。

あいつから何か聞き出せればいいんだが…。


物音もなく廊下の奥からスッ…と黒い影が伸びて来る。煌めく紅色の光沢が姿を現した。


「おかえり私の人魚姫…今日はやけに早い帰宅だな。…おや、天使カレも一緒か?面白い。」


いつになくキモ…気味が悪い不適な笑みを浮かべ、待ち構えていたようにモナドは私達を出迎えた。

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