第8話 微熱
…無理してるよな、絶対…。
保健室で
『ありがとう』か…。
礼を言われても何の解決にもなっていない。感情的な問題ではないだろうに。事実、彼女の現状が本当に正常なものなのか…それとも俺に虚勢を張って平気な素振りをしているのか解らず仕舞い。
「当たり前のことをしたまでだから礼はいいよ。…なあ、俺の前で無理する必要はないだろ。本当に大丈夫なのか?」
「…大丈夫だよ。…本当に平気だから。」
彼女は俯いたまま力なく応えた。
暫く離れていたが、此だけははっきり解る。明らかに彼女の様子がいつもと違う…何か異変があるのは明確だ。もしかしたら能力の暴走か…はたまた身体の適応力が限界を迎えたのか…ともすれば彼女自身が危ない。
彼女からはそれ以上の返事はなく、沈黙が続く車内は重苦しい。
正直、この年頃の少女達が何を考えているか解らない。全く別の生き物を見ているようで…十代の時から「女」という生き物にはどう対処して良いのか検討も付かなかった。
それが今や助手席に女子高生。
と言っても…彼女は同じ年頃の少女たちに比べ至って良識的で落ち着きもあり、初対面からその印象は悪くない。能力者である彼女が普通の人間と異なるのは頭で理解している…しかし、人魚と言えどまだ十代の女の子だ。
能力者としては
何が好きで、どんな事に興味があるのか…今までは能力者として接点を持っていたに過ぎず…結果として彼女自身を知り得ることはなかった。急激に己の不甲斐なさに
これからは出来るだけサポートして、やれるだけのことはやろう。
後悔しても仕方ないと言い聞かせるが、僅かな懸念が彼の思考…いや感情を掠め沈ませる。もう二度と心配しなくてもいいように…把握出来ていれば。彼女の心の内までは解らない。けれど、寄り添うことなら可能な筈だ…少しでも相談に乗ってやれれば。俺に出来ることなら…。
思考を固めようと天使は煙草に手を伸ばす。
が、傍らの少女に気遣ってか直ぐにその手を引っ込めた。
乗車してからは窓の外ばかり眺めている彼女だが…俯いたまま少しばかり身を
すると、仄かに甘く香る何かが鼻腔を
…シャンプー…か?
「…そういえば、熱はどうなんだ?保健室の先生が言ってたけど、ちゃんと測ったのか。」
己を咎めるつもりで、彼女へ声を掛ける。
本当に具合が良くないのなら病院という手もあった。しかし兄の振りをした手前、
「…えっ。だっ大丈夫…微熱だから。」
ビクッと彼女の肩が跳ねる。
驚かすつもりはなかったのだが、突然声を掛けたのが悪かったのだろうか…それとも俺がおじさんだからか?
いや、まだそんな
「微熱…ってことは少し高いんだな。早退して正解だろ…今日のところは休んどけ。」
「…うん。そうする…。」
次の角を左へ曲がれば
「…あっ。」
「ん?どうした。」
「今日誰も居ないんだった…。」
「そっか…飯はどうするんだ。」
「作り置きがあるから大丈夫…インスタントもあるし。」
「じゃあ心配ないな。」
丁度家の前に着きギアをパーキングへ入れる。鍵を開け降車すると、荷物を運ぶため彼女側のドアへ向かった。
ドアを開けた瞬間…潤んだ彼女の瞳が俺を捕らえる。微熱のせいか頬が紅く染まっている。
そして唐突に言葉を放たれた。
「そうじゃなくて…。折角送ってくれたんだから、お茶でも飲んで行って。…もとはと言えば
すっかり忘れていた。
「そうだな…俺も
「…そうなの?それなら遠慮なく上がって。駐車場使っていいから…ここね。」
バッグを預かり損ねると、玄関付近の駐車スペースを小さく指さされた。
彼女は大きな扉へと歩いていく。
…しなやかに艶のある黒髪を揺らしながら。
セーラー服の裾がひらりと舞う。
何となく拍子抜けした感が否めないが、大人しく彼女に従う事にした。シルバーの愛車をきちんと停め、のんびりとした足取りで彼女の後を追う。
…相変わらずデカい家だな…。
「えっと…あった。」
ガチャッ…ガチャリ
鞄とお揃いだろうか、可愛らしいストラップが揺れる。僅かに慌てた様子で少女は鍵を開けた。
「…ただいま。…ねえ、
俺は彼女の後に続いて玄関をくぐった。
「…お邪魔します。おい
…広い…いや、今は
あいつから何か聞き出せればいいんだが…。
物音もなく廊下の奥からスッ…と黒い影が伸びて来る。煌めく紅色の光沢が姿を現した。
「おかえり私の人魚姫…今日はやけに早い帰宅だな。…おや、
いつになくキモ…気味が悪い不適な笑みを浮かべ、待ち構えていたようにモナドは私達を出迎えた。
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