ガールミーツガールから始まる!他人事じゃない問題提起と痛くて切ない物語

いまだモルモルの素顔がわかった時の衝撃から逃れられないでいます。残暑の頃、窓を開け放って眠っていたら、家に隣接する藪からやってきたであろうムカデがさわさわと顔を這っていた、あの衝撃を思い出します。
モルモルの素顔とはどういうことなのかは、是非、作品をご覧になってみて欲しいです。

ところで、私の祖母(同居していた•故人)は、聴覚障がい者で、私自身も祖母とは違いますが、障害を持っております。
それなので物心ついた時から「障害」は身近にありました。でも、自分自身では気づかないうちに歪んだ視点を育ててしまったのですかね。
小学生の時に、障がい者の同級生を「何でひいきされるの」と問い詰めてしまったことがあります。
祖母にそんなことは言ったことがなかったのに、私にも色眼鏡がある、ということだと思います。

作者様の言う「海外にルーツを持つ子ども」も、保育園に通っている頃から同じクラスにおり、交流がありました。保育園の頃から日本に居るからなのか、その子との日本語でのコミュニケーションで相互に意志疎通が難しかったという記憶はないです。

昨年末にした短期バイトでは、海外の言葉を使う同僚が多数いる職場にいました。バイリンガルなのか、海外の言葉を使う人と現場主任の日本語話者との通訳をこなすお姉さんがいて、素晴らしいと思いました。あの職場の雰囲気が特別良かったからなのか、海外ルーツの方にも日本語話者の方にも親切に仕事を教えていただきました。

そんなこんなで、自分と違う人(それは全ての人とも言えるけど)あえてなら障害だったり、海外の言葉を母国語とする人だったりとは、それほど大きくて困難な壁を感じることなく生きてきた私ですが、えりどらを読み、自分でも何かしらの先入観や色眼鏡で人を見ている可能性に気がつき、ドキッとしております。

作中で須藤さんが、障害の名前ではなくその子自身をみてみる(だいぶ原文から違っているかな)のようなことを言っていましたが、その言葉には救われました。
前の職場(障害者支援はない)で、障害の程度はどのくらい重いの?と上司に問われたことがあり、違和感を抱きました。
自分の中では、障害の等級は能力を測るものではないと思っています。それは適切な支援を得るためのものだと私は言って良かったのでしょうか。

私自身も自分の障害はいったい何なのか?と関連する本を数冊読んでみましたが、?のままで今まできています。以前は医師に全任せでしたが、最近は患者が自身で自分の治療を探っていってもいい風潮のようですね。


そして話は代わりますが、
この物語の中核はなんといっても二人のガールの成長です!

紬希ちゃんと優芽ちゃん。
ガールミーツガールから始まる物語です。
最初の紬希ちゃんは、自分の心をひたすら分析していたように思います。
自分の心の分析や周囲の状況との折り合いをつけられない葛藤で、非常に苦しかったと思います。
自分の今の心と真実に目を向けるという残酷で苦しい作業も必要だと思います。
しかし、物語終盤になってくるとその分析が優芽ちゃんや周囲の友人たちに向けられていくように感じました。
それは寛容な視点で、肯定的なものだと感じます。

作者様は、アサーションに触れたことのある人物なのでは?と思ってしまいました。
終盤の優芽ちゃんのドリームランドでの二人の会話から、紬希ちゃんが優芽ちゃんに傾聴し、尊重しながら、自分の心も尊重するという姿勢をみせているように思えたからです。

そして女子達の、時にすれ違いや誤解、葛藤を抱えながら共に生きていく、というキラキラの学生時代。
そんな体験したことがない自分は、素晴らしくときめきました!
ドキッ女子だらけの海水浴場とか、ドキッ女子だらけのゲレンデとかあっても良かったかもしれませんね(やっぱり下衆な表現になってしまいます)

作者様の問題意識、深い考察と探究心が素晴らしい物語になっていると思います。

私自身勉強になりましたし、この物語は当事者というより、障害や海外にルーツを持つ子どもや介護について自分はまだ関係ないかなと思っている人に読んでもらいたい物語です。

自分、コメントで空気読めない発言を繰り返していた自覚がありますが、ご容赦くださりありがとうございます。

時代が変化するなかで、これから作者様の問題意識や鋭い視点がどうなっていくのか興味があります。
また文章にしていただきたく思います!

素晴らしい小説をありがとうございました!

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