生きる場所

 美乃梨が雨に打たれた次の日、美乃梨の両親から連絡を貰った凛音と明花音は、すぐに美乃梨の病室に来た。病室には変わり果てた美乃梨の姿があった。まだ顔の一部は樹木化してないものの、身体は完全に樹木になっていた。ベッドに横たわる美乃梨は誰が見ても、もう人間ではなかった。目は開けることができないし、耳も完全に木でふさがれている。

 雨に打たれただけで、美乃梨の病気はありえないくらいに進行してしまったのだ。

「申し訳ございません。美乃梨ちゃんが豪雨の中外に出たがるのを私が許してしまったせいで…。」

「優美さん、あなたは美乃梨の最後のわがままを叶えてくれたんですよね。むしろ私たち夫婦は優美さんに感謝します。私たちでさえ美乃梨の役に立てたかどうか曖昧なんですから。」

 美乃梨の両親はどこまでいっても穏やかだ。美乃梨はそんな環境で育ったからこそあんなに素直で強い子に育ったんだろう、と凛音は思った。

「それから凛音君、これは美乃梨からの手紙だ。きっと凛音君宛の手紙だから、読んであげて。」美乃梨のお父さんは凛音に手紙を渡した。

 凛音は手紙を受け取って静かに封を開けた。


『もしも私が完全に動けなくなったら、凛音と過ごした公園に連れて行ってほしいです。あの公園で私は生きていきたい。


大好きな人と過ごした場所だから。


楽しかったです。ありがとう。』


 美乃梨からの手紙はすごく短く、でもこの短い文章の中に美乃梨のたくさんの思いが込められていた。3歳児が書いたような文字は、美乃梨の手が不自由になった後に書かれた手紙だということを物語っていた。誰にも頼らず、動かない手を一生懸命動かして書いた手紙は美乃梨の思いそのものだった。


 凛音は何度も何度も読み返した。凛音の頬はいつの間にか濡れていた。

「俺も楽しかった。大好きだよ…。」凛音は寝ている美乃梨を抱きしめた。

 明花音は凛音の背中をさすりながら、声を押し殺して泣いた。美乃梨の両親も美乃梨を抱きしめて泣いた。

 みんな、美乃梨のことが大好きだった。これからもずっと美乃梨はみんなに愛されて生きていく。

「公園、行こう。」お父さんは静かに、いつもの落ち着いた声で言った。

「ご案内します。」


 その日、世界は雪で白く染まっていた。美乃梨のお父さんが運転する車で、雪が積もり続ける道を通りながら思い出の公園に向かった。

 車の中は鼻をすする音が鳴りやまなかった。ミニバンの後ろに横たわる美乃梨にたくさんの悲しみが覆う。

 凛音はずっと美乃梨からの手紙を読んでいる。すると手紙が入っていた封筒が凛音の手から滑り落ちた。凛音がそれを拾うと、ふと違和感を感じなんとなく封筒を覗いてみた。

 そこにはもう1枚便箋が入っていた。

 凛音はすぐにおぼついた手で便箋を取り出して目を通した。そこに書かれていたのは……。


『笑って。私はずっとみんなの隣にいるから。』


 凛音は声をあげて泣いた。そして涙を拭いながら上を向いて、微笑んだ。

 凛音はお父さんに一旦車を止めてもらうように頼み、みんなに手紙を見せた。明花音さんは「美乃梨ちゃんらしい」と涙を流しながらながら笑い、お母さんは手紙を抱きしめて「美乃梨、美乃梨」と何度も呟き嗚咽を漏らして泣いた。お父さんは何も言わず、ただ静かにお母さんを抱きしめた。

「美乃梨の為に笑わなくちゃね。」お母さんは涙を拭ってお父さんと一緒に微笑んだ。

 凛音がミニバンの後ろで寝ている美乃梨を見ると、美乃梨の顔が少しだけ幸せそうに笑ったような気がした。

 美乃梨はやっぱりどんな状況でもみんなを見てくれていると感じたとき、みんなの心に太陽が昇った。


 公園に到着した。

 みんなで公園の入り口に立ち、美乃梨がここで生きていくことを想像する。想像の中の美乃梨は台風に負けないくらい力強くそびえ立っていた。心が綺麗で逞しい美乃梨は、世界で一番美しい花を咲かせるだろう。

 美乃梨はみんなの手によって、公園で一番目立つ場所に立てかけられた。

「美乃梨がどんな花でも咲かせられるように、ネームプレートは『ミノリ』にしよう」お父さんは木材で作ったお手製のネームプレートを美乃梨の足元に添えた。

「美乃梨が花を咲かせたら、その時綺麗な名前をつけてあげよう。」お母さんは美乃梨の頭を撫でながら優しい声で言った。


 生まれてきてくれてありがとう。

 私たちの娘でいてくれてありがとう。

 美乃梨ちゃんのおかげでkomoriに花が咲いたよ。


 ずっと大好きです。


 *


 あれから1年と少し経った。

 桜が満開に咲く1年で最も美しい季節。小さな小屋と、ベンチがひとつ置かれた狭い公園で凛音は1本の桜の木を見上げる。木の根元には「ミノリ」と書かれた木製のネームプレートが添えてある。雨や風にさらされてぼろぼろになったネームプレートは目を離した隙に今にも吹き飛ばされそうで、ひやひやする。


「あぁ、そろそろプレート変えてやらないと美乃梨に怒られるな。」


 凛音は、美乃梨との2年間を思い出して微笑む。よく笑い、よく怒り、そしてよく泣く美乃梨は凛音の前ではいつも強がりだった。太陽のようで、それでいて嵐のような美乃梨は、凛音の幸せそのものだった。


「美乃梨、やっぱり君は綺麗な花を咲かせたね。俺、料理人になる美乃梨の夢を受け継ぐことにしたよ。だからこれからも見守っていてほしい。」

 凛音は桜の木を見上げて言った。


 するとどこからともなく強い風が吹き、凛音の視界は散りゆく桜の花びらに覆われた。強く逞しく咲いている桜は、季節が流れると瞬く間に枯れ木になる。美乃梨の面影をこの木に重ねた凛音の足元に、ひとつの花びらが落ちた。


 凛音は「ミノリザクラ」と書かれたネームプレートと、ピンクの宝石が輝く指輪を木の根元に添えた。


 なぜ豪雨の日、美乃梨は急に外に出たいと言ったのか、未だ本当の理由は誰も分かっていない。もしかしたらすべてを諦めて、誰も見ていないうちに木になろうとしたのかもしれない。もしかしたらこれ以上みんなの負担になりたくなかったのかもしれない。

 さまざまな憶測が飛び交う中、凛音は本当の理由を考えなかった。理由を考えても正解は美乃梨にしか分からない。いや、美乃梨でさえも分からないのかもしれない。

 ひとつだけ分かるのは、美乃梨は”木になるその瞬間まで、大好きな人たちと笑っていたい”というただひとつの願いを叶えることができたということだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミノリザクラ キクチシノ @papurico0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ