あと半年

 凛音と店長とのパーティーを開いた日から1か月、美乃梨の身体にあるほくろのような斑点は親指の爪サイズになっていた。斑点の数も増えてきて、茶色く変色してる部分はざらざらとした木の触感を感じる。

 蒸し暑い季節になって美乃梨の額には暑さの汗なのか、恐怖の汗なのか分からないけど、嫌な汗が流れていた。

 あぁ…私はもう、私じゃなくなるんだ。


 美乃梨は定期検診のため病院に来ていた。

「美乃梨ちゃん、病気の進行を止める方法があるということは前に話したよね?」

 担当の先生は美乃梨に優しく語りかけた。

「水分を摂取しない、日光を浴びない…でしたっけ。」

「この病気になった人が一度はこの方法を試すんだ。でもやっぱり人間だから水分がないと生きられないし、日光に当たらないと免疫力が下がって他の病気にかかる可能性だってある。美乃梨ちゃんが今後樹木化していく中で、もしこの方法を試したくなるときが来たら先生に相談してほしい。美乃梨ちゃんの健康も守りたいからね。」

「わかりました。」

 きっと大丈夫。また別の病気にかかって両親に迷惑かけるより、元気に樹木化していく方がいいに決まってる。

「あともうひとつ、樹木化が進行して動けなくなる前に、根を張る場所を決めておくとのを忘れずにね。思い出の場所とか学校のグラウンドとか、どこでもいい。好きな場所を選ぶといいよ。」

 根を張る場所…。私は本当に植物になるんだな。


 美乃梨は病院からの帰り道、お気に入りの場所を考えた。家族と初めて行った海、小学校の校庭、初恋の人に告白した場所(振られちゃったけど)、いっぱいあるな。でもなんだかどこもしっくりこない。まだ時間はあるしゆっくり考えよう。

「あ!凛音!」

 前から凛音が歩いてくるのが見える。

「美乃梨!今帰り?どこ行ってたの?」

「ちょっとそこまで散歩!凛音は?」

 凛音に嘘つく心苦しかったけど仕方ない。心配かけたくないもん。

「散歩っておばあちゃんかよ。俺はkomoriからの帰り。今日暇だったし、明日テストだから早くあがらせてもらったんだ。」

「あ!明日テスト…。忘れてたああああ!凛音様、一生のお願い!勉強教えて…?」

「仕方ないな。あ、じゃあ俺のおすすめの勉強スポット行こう。」


 凛音は美乃梨を連れて公園にやってきた。ほとんどのお店がシャッターで閉じられた商店街を抜けて、木が生い茂った細道に入ったところにこの公園はある。周りが木に囲まれた公園だから、普段誰も来ない場所らしい。この公園の一角には木造の建物があり、その近くにひとつだけベンチが置かれている。小屋は、よくある壁がない柱だけの建物じゃなくて、1泊くらいなら人が泊まれそうな建物になっている。

「何ここ!すごーい!こんなところに公園あったんだ。」

 小屋の中には折り畳みの机と椅子が置いてある。

「これ、凛音が持ってきたの?」

「うん。ここ見つけたとき俺だけの場所にしようと思って持ってきた。小屋の中も最初は埃とか枯葉とかで埋まってて汚かったんだけど、掃除してこれでもマシになったんだ。じゃあ勉強しようか。今日は鬼特訓コースだよ。」

「少し手加減し…」

「しません。」

 凛音の鬼特訓は夜遅くまで続いた。そのおかげで今回のテストは留年は免れる程度の点数を取ることができた。


 それから美乃梨と凛音は、学校の帰りやバイトの帰りに毎日この公園に来るようになった。小屋には美乃梨用の机と椅子も追加され、2人でおそろいのクッションも置くようになった。

 凛音と公園に来るようになって2度目の夏がやってきた。蝉の鳴き声が聞こえて本格的な夏を感じる。

「いよいよ家みたいになってきたな。」

「これじゃ、他の人が来たときにびっくりされちゃうね。」

「ここは二人だけの秘密の場所にしよう。そうだ!今月末美乃梨の誕生日だよね?予定ある?」

「お昼なら予定は何もないよ。」

「じゃあさ、ここで会えない?。」

「いいね、楽しみ!」

 美乃梨の身体にはもうすでに隠せないくらいの斑点が増えていた。ううん、もう斑点じゃない。右半身はほとんど樹木化してしまっている。顔にも、皴っぽく木の模様が刻まれている。真夏でも長袖を着て、顔にはマスクでは隠し切れないくらい木の模様がある美乃梨の変化に凛音と明花音は気付いているはず。なのに何も言わない。気遣ってくれているのだろう。

 以前、お客さまから気持ち悪がられてクレームが入ったとき明花音はお客さまに対して怒ってくれた。あの時は嬉しかったなぁ。それからあまり表には出ず、キッチンに入るようになった。店長は「専門学校に入る前の事前勉強だね!」と励ましてくれたけど、本当に専門学校に行けるのかな。

 あと半年…あと半年耐えたら卒業だ。




 誕生日当日、美乃梨は公園に来なかった。



「おはようございます。」

「おはよう凛音君。」

 komoriはここ最近空気が重い。美乃梨がいないからだ。あの日、美乃梨は公園に来なかった。それから1か月過ぎたが美乃梨からは何の連絡もない。

「凛音君、今日はお店閉めて少しお話したいことがあるんだけどいいかな?」

「はい、大丈夫です。ついでに俺も相談があります。」

 凛音は、お店の入り口にかけてある看板を『本日休業日』に変えてブラインドを閉めた。お店の外に出たとき、金木犀の香りがほのかに香った。

「明花音さん、話って…。」

「うん、美乃梨ちゃんのことなんだけどね。いなくなる前の美乃梨ちゃん、ひとりで何か抱えていたような気がするんだよね。」

「明花音さんも思ってましたか。美乃梨の顔にも怪我みたいなものができていましたよね。服で隠してたけど腕も茶色く変色してるように見えました。」

「去年、5日間入院したのも本当は貧血じゃなかったのかな。凛音君、少しの間このお店閉めようかと思ってるんだけどどうかな?というのも、凛音君と美乃梨ちゃんが働いてくれるようになってkomoriもだいぶ繁盛してきたし、最近は凛音君に1人でホール任せっきりだから凛音君の負担が大きくなるかなって。」

「お気遣いありがとうございます。でも俺は大丈夫です。美乃梨がいつでも戻ってこれるようにお店は開けておきたいです。接客の質は落とさないのでお願いします、明花音さん。」

「んー。わかった。じゃあせめて定休日を決めよう。2人じゃさすがに毎日営業はきついからね。月曜日と木曜日はどうかな?」

「わかりました。問題ないです。」

「凛音君の相談は?」

「俺も美乃梨のことで相談なんですけど、美乃梨が戻ってきたらみんなで誕生日パーティーしませんか?美乃梨がいなくなる前誕生日のお祝いしようって約束していたんですけど、その日会えずにいなくなっちゃったから。」

「いいわね。美味しい料理たくさん用意しよう!美乃梨ちゃんが帰ってくるまでに上達しておかないとね。」

 凛音は美乃梨の変化に気付いていた。なのに力になれなかった。誕生日に渡す予定だったネックレスは凛音の部屋に眠っている。シロクマのぬいぐるみに抱かれたネックレスの箱はどこか寂しそうだった。


 美乃梨に会いたい。


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