ミノリザクラ

キクチシノ

 あれから1年と少し経った。

 桜が満開に咲く1年で最も美しい季節。小さな小屋と、ベンチがひとつ置かれた狭い公園で凛音は1本の桜の木を見上げる。木の根元には「ミノリ」と書かれた木製のネームプレートが添えてある。雨や風にさらされてぼろぼろになったネームプレートは目を離した隙に今にも吹き飛ばされそうで、ひやひやする。


「あぁ、そろそろプレート変えてやらないと美乃梨に怒られるな。」


 凛音は、美乃梨との2年間を思い出して微笑む。よく笑い、よく怒り、そしてよく泣く美乃梨は凛音の前ではいつも強がりだった。太陽のようで、それでいて嵐のような美乃梨は、凛音の幸せそのものだった。


「美乃梨、やっぱり君は綺麗な花を咲かせたね。俺、料理人になる美乃梨の夢を受け継ぐことにしたよ。だからこれからも見守っていてほしい。」

 凛音は桜の木を見上げて言った。


 するとどこからともなく強い風が吹き、凛音の視界は散りゆく桜の花びらに覆われた。強く逞しく咲いている桜は、季節が流れると瞬く間に枯れ木になる。美乃梨の面影をこの木に重ねた凛音の足元に、ひとつの花びらが落ちた。


 *


「美乃梨ちゃん、4番テーブルにAセットお願いね。」

 美乃梨は長い髪を後ろでひとつにまとめた、ぱっちり二重の女子高生だ。純白の肌に透明感をまとい、華奢な容姿は今までに数々の男の子を虜にしてきた。当の本人はほとんどその好意に気付いてないようだが。

「今日の紅茶、美乃梨ちゃんが淹れてくれたの?すごく美味しい!」

「ありがとうございます!真子さん最近お疲れのようでしたので疲労回復効果があるクミンを入れてみました。気に入っていただけて良かったです。」

 美乃梨が働くカフェ「komori」は10席しかない狭いお店だが、今日も満席が続き大繁盛。木に囲まれたそのカフェは、広島県の中心から外れた場所にあり、木材の温かい香りが漂うアットホームな空間がSMSで話題になっている。今はお店の周りに桜が咲いているので余計に、インスタ映えだと女子高生がたくさん来てくれる。

 komoriで働き始めて今年の春で2年目になる美乃梨のドリンク作りにはずいぶん磨きがかかってきた。真子さんというのは、komoriができた頃からの常連さんだ。美乃梨が初めて作ったドリンクを初めて提供したのも真子さんだ。美乃梨は、店長と真子さんにアドバイスを貰ってドリンクのスキルを上達させた。

 そんなkomoriは駅から徒歩30分というまあまあ不便な場所にある。komoriの由来は、「木に囲まれている場所で小鳥の子守唄を聴きながら籠るようにゆったりとした時間を過ごしてほしい」という意味らしい。美乃梨は店長にこの話を聞いて一瞬でkomoriの虜になった。


「美乃梨ちゃん、今日もお疲れ様。忙しかったわね~。」

 店長の明花音は現在26歳でモデル体型の綺麗な女性で、24歳の時にkomoriを開業して2年間ひとりで営業していたという。そこに美乃梨がアルバイトに応募した。だから今は美乃梨と明花音のふたり経営だ。とてもじゃないけど人手は足りてない。

「忙しかったけど皆さん笑顔で帰られたので私も嬉しかったです。」

「美乃梨ちゃんはやっぱり接客のプロだねぇ。あ、そういえば今日来てた男の子知り合い?」

 今日の15時頃、私が通う高校のクラスメイトの凛音がお店に食べに来てくれた。凛音は同じクラスだけど正直話したことはあまりない。だから話しかけようか少し迷ったけど学校で見ている限りいい人そうだし、ちょうどアイドルタイムだったこともあって少しお話をした。話によると凛音もここで働きたいと思っているらしくて、休日を使って偵察しにきたらちょうど美乃梨がいたからお話を聞いてみたかったらしい―

「……ということです。」

 明花音はじっくり考えたあと答えた。「うん。いいね!わざわざ食べに来たくらいだしやる気は本物だろうからね。それに美乃梨ちゃんのお友達だし。」

「まぁ、友達と言ってもクラスが同じだけであんまり話したことないんですけど。」

「あら、そうなの。じゃあこの機会に仲良くなれるといいわね。」


「美乃梨は高校卒業したら何するの?」

「私は料理の専門学校に行きたい。凛音は?」

 凛音がkomoriに来て2カ月が経った頃、凛音と美乃梨はお互い呼び捨てで呼びあうほど仲良くなっていた。学校でもそこそこ話すようになった。

 すでに桜が散って、太陽が出れば暖かい気温になるのだが今日は朝から雨が降り続いている。今はkomoriでバイト中だが雨が降っているせいで、お店の中は閑散としている。

 たまにはこんな日があってもいいと、明花音が珈琲を出してくれたので3人で談笑中だ。

「俺は何も決まってないなぁ。夢が無くて。美乃梨は料理が好きなんだ。確かにいつも作ってくれるまかないめちゃくちゃ美味しいよな。」

「美乃梨ちゃんが一流のシェフになったらここも卒業かー。寂しいな。」

「明花音さん、私ここをやめるつもりないですよ。専門学校で料理の知識を身に付けてkomoriの味を作れるようになるんです。そしたら接客だけじゃなくてキッチンもお手伝いできるようになります。」

「美乃梨ちゃん…。あんたって子は…。」ぐすっ。

「ははっ。明花音さん、感極まりましたね。」凛音は微笑みながら、店長をなだめるように背中をさする。

「そういえば美乃梨、そんなところにほくろなんてあったか?」

 明花音の背中をさすりながら凛音は自分の右頬をつついている。

「あ、ほくろと言えば最近増えてきてる気がするんだよね。腕にも足にも、前まで無かったところにたくさん…。顔にも…。」

 美乃梨は不安そうに腕を見た。

「美乃梨ちゃん、それ悪いほくろかもしれないから病院行ってみたら?怖かったら私もついて行くわよ?」

「俺もいつでも付き添うよ。」

「明花音さん、凛音、ありがとう。でもほくろくらいなら大丈夫だと思うし一人で行ってくるよ。」


 この時美乃梨はほくろのことなんてすっかり忘れて、3人で幸せなひと時を過ごした。雨が地面を叩きつける音が聞こえなくなるくらいのはしゃぐ声がkomoriの外まで響き渡る。

 今後に待ち受ける絶望を知る由もなく。


 

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