選択

 美乃梨は病院のベッドで放心状態だった。

 凛音と誕生日に会う約束をしてから1カ月が過ぎた。あの日、誕生日の前日に美乃梨は呼吸困難で倒れた。医者の話によると内臓まで樹木化が進んでいるらしい。

 

 病院に運ばれて意識を取り戻したあと、美乃梨とお母さんとお父さん、医者の4人で殺風景な診察室にいた。

「正直に申しますと、美乃梨さんの病気の進行は去年よりも早くなっています。このまま進行が進むと短くて3カ月後には人の姿ではいられないでしょう。」

「3か月…。美乃梨は高校を卒業できないんですか…?」

「あくまで可能性の話です。今服用している薬を飲み続ければ多少は進行を遅らせることはできるかもしれませんが……。」

 美乃梨はその言葉を聞いて、目の前にいる医者のことを信じられなくなった。今までこの薬を飲み続けたのに、病気は速度を止まることなく悪化し続けている。しかも今年になってさらに速度を上げている。

 美乃梨の中で何かが沸々と湧き上がってくる感じがした。同時に吐き気と頭痛に襲われた。

「薬だけですか!私は今後も意味のない薬を飲み続けて醜い木になっていくんですか!」突然の美乃梨の怒鳴り声でその場の空気は凍り付いた。

 もっと言いたいことがたくさんある。でも言葉が出てこない。冷静になれば言葉はたくさん出てくるのに、こういう時に限って言葉が喉に詰まる。美乃梨は涙を堪えながら部屋を出て行った。それから2週間、美乃梨は放心状態で動けなかった。看護師が毎日食事と水を持ってくるけど口に入れたくない。食欲もないし動けない。何もかもが面倒くさい。意味のない薬も飲んでない。

 夜な夜なすすり泣く美乃梨の声は病室の外まで聞こえていた。誰の前でも涙を見せたくないと決意する美乃梨が唯一思いっきり涙を流せる時間は、星が美しく輝く夜の時間しかなかった。


「美乃梨ちゃん、検査の時間よ。行こう。」最近美乃梨の担当になった看護師の優美が病室にやってきた。

 どうせ今回の検査も結果は同じだろう。

 そう思っていたから、今回の結果を医者から聞いたときは驚いた。前回の結果から何も変わってなかった。症状が止まっていたのだ。

「なんで…?」

「美乃梨ちゃん、最近昼食もお水も摂っていなかったそうだね。外にも出ていなかったと優美さんから聞いたよ。食欲がなかったのかな?」

「はい。食欲もなかったし、何をするにもやる気が起きませんでした。」

「今回病状が進行してなかったのはそれが要因かな。水分と日光、栄養で成長する樹木化のウイルスが繁殖しなかったんだ。」

 美乃梨は嬉しかった。今まで家族を困らせまいと避けていた病気の対処法がこんなにも効果的で嬉しいものだと知った。自分の腕を見るたびに茶色が増えていく嫌悪感が少しでもなくなることが何より嬉しかった。

「どんな道を選択するかは美乃梨さんの自由だよ。先生もご両親も、美乃梨さんが選んだ道を尊重する。私たちは美乃梨さんの足場になる。だからひとりで悩まないでね。」

 

 その日から本格的に何も飲まず食わずの生活が始まった。こんな状況でもお腹は空くし、喉が渇く。太陽を浴びてないせいで時間の感覚が麻痺する。点滴も栄養になるので、今は打っていない。

 週に一回の定期健診では毎回同じ結果だ。病状は悪化してないし、治ってもない。体重が減り、身体は衰弱し、唇はがさがさになる。でも、樹木化の進行が進まないことが何より嬉しい。どんなに辛くても樹木になっていく辛さに比べたら何てことない。女性として、醜い姿になる苦しみは計り知れないのだ。


「お母さん、見て!木になってる部分が1か月前から全然広がってないんだよ!」 

 飲まず食わずの生活を続けて1か月が経った頃、美乃梨はお母さんに自分の左腕を見せていた。美乃梨は満足げに笑っているが、お母さんの目には美乃梨が悪魔に憑りつかれた亡霊に見えた。頬は痩せこけ、顔色はすごく青白い。腕や足はほとんど骨と皮だけになっている。お母さんは、よかったねと一言だけ言って黙り込んだ。

「どうしたの?お母さん。」

「ううん、何でもないの。美乃梨が喜んでるいるならお母さんも嬉しいよ。」

「そうだ、私コンビニ行きたい!私の好きなお菓子の新しい味が出たってテレビでやってたんだ。」

 この病院には1階に有名なコンビニチェーンがある。美乃梨は入院したばかりの頃、甘いものが欲しくなった時はそのコンビニで大好きなお菓子をよく買いに行っていた。

 そう言って美乃梨がベッドから起き上がって地面に足を着いたその時、視界がぐらっと揺れた。天地が逆さまになってようやくわかった。

 足に力が入らない。

「美乃梨!」お母さんが叫んだ。

「お母さん、足に力が入らない。立てないよ。どうしよう。昨日までちゃんと歩けてたのに!」美乃梨は恐怖で叫んだ。

 騒ぎを聞きつけてすぐに医者と看護師が来た。

 診察が終わって医者からの診断結果によると、栄養を摂れてないことにより全身の筋肉が衰えているとのこと。現状、美乃梨の筋力と骨密度は60歳の老婆くらい酷い状態らしい。

 皮膚樹木化症候群に侵されている美乃梨の身体は、他の病原菌に抵抗する免疫力がなく、筋力の衰えもすごく早くなっている。かなり危険な状態だった。

 「美乃梨さんも分かっているとは思うけど、このまま何も飲まず食わずの生活を続けていると心臓を動かす筋力までも衰えていきます。美乃梨さんが決めたことなら私は何も言いませんが、これだけは知っておいてください。」

 医者は前置きをして、ゆっくり語った。

「美乃梨さんにはまだ選択肢がある。」


 先生との話が終わって、気持ちをある程度落ち着かせた美乃梨は、車椅子でコンビニに向かっている途中、見覚えのある顔を見つけた。その人も美乃梨に気付いたようで、こっちに向かって歩いてくる。美乃梨は咄嗟に逃げようとした。でも車椅子だから思うように動けない。急にUターンしようとした美乃梨をお母さんは不思議そうに見ている。

「お母さん、戻ろう!」

「どうしたの?」

「いいから戻ろう!」

「美乃梨?」間に合わなかった。今一番聞きたくない声が後ろから聞こえた。

「凛音……。」

 凛音は車椅子に座っている美乃梨を見て心配そうな顔をしている。

「美乃梨、なんで車椅子……?」

「あ、あの時はごめん。約束の日、会いに行けなくて……。これは…その…。」

 美乃梨は、誕生日の日に会いに行けなかったことを誤った。車椅子のことは、何も言えなかった。言いたくなかった。

「あ、言いたくなかったらこれ以上何も聞かないから無理しないで。それと誕生日の約束のことは大丈夫だよ。美乃梨さえよければまた公園で会おう。」

 凛音は本当にこれ以上何も聞かないでおいてくれた。美乃梨の痩せすぎた身体について、かなり驚いていたはずなのに何も触れてこなかった。そんな凛音の優しさに美乃梨は感謝で溢れた。

「じゃあ、私急いでるからまた。」

 美乃梨はコンビニに行かずにそのままお母さんと一緒に病室に戻った。

「そういえば凛音君なんでこの病院来てたのかな。」

 病室に戻ってきて落ち着いた後、お母さんが呟いた。

「確かに。どこか悪いのかな。」

 どちらにしても今後もこの病院で凛音に会う可能性は大いにある。それまでにこの身体の言い訳を考えなければ。


 美乃梨は油断していた。今、目の前に凛音がいる。

 最初にこの病院で凛音に会った日の翌日、美乃梨はどうしても昨日買えなかった新作のお菓子が食べたくてコンビニに来ていた。今日はお母さんもお父さんも来てないから、優美と一緒に。さすがに2日連続では会わないだろうという甘い考えだった。

「凛音、なんでこの病院に?」

「俺のおばあちゃんが入院してるんだ。昨日はお見舞いで来た。今日は、美乃梨に会えるかなって思って来た。」

 もし凛音にこの病気のことを話したらどう思うかな。理解してくれるかな。それとも気持ち悪がってもう会ってくれなくなるかな。

「美乃梨が苦しんでるなら、俺が力になりたい。役に立てないかもしれないけど話聞いたり、傍で美乃梨を支えることならできる。俺は美乃梨とずっと一緒にいたい。」

 凛音は真剣な顔をして美乃梨を抱きしめた。

「俺は、美乃梨がどんな状態でも傍にいたい。美乃梨に嫌われても傍にいる。あ、それはさすがに鬱陶しいかな。でも…ずっと傍にいたい。」

 美乃梨の視界は、ぼやけていて前が何も見えなかった。凛音の言葉が素直に嬉しかったんだ。

 美乃梨は決心した。嫌われる覚悟で。


「優美さん、凛音を私の病室に案内してください。」

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