第4話 たった一つのおねだりと過ち
「な――!? は? え?」
パパ活といえば聞こえはいいが、体の関係を持つ以上は当然犯罪である。
しかも少女はまだ未成年。
聞き逃していい話ではなかった。
「そんなの、今すぐ警察に……!」
「言えるはずないじゃないですか。私には中学生の妹が居るんですよ。家庭が壊れたら、私たちは生きていけないんです」
「ならせめて児童相談所に話したら!」
「話しました。でも私、もう十八歳ですから」
児童相談所はそもそも手一杯でパンクしている状態なのだと聞く。
だから、既に十六を過ぎていたら自分で解決してくれと断られることが多いらしい。
もっと幼くて自分では解決できない子どもを救うために。
「……母親を止めることはできないのかな」
「無理です。少しですけど母もそういう関係で働いているので、私は母を責められません」
娘に肉体関係を伴うパパ活をやらせるなんて、ロクな母親と思えない。
けれど、自分がしていることだからそもそも抵抗がないのだろう。
彼女たちはそういう世界で生きているのだ。
「君が働くのは――」
「これ以上アルバイトを増やさないといけませんか? 妹も新聞配達をしてくれているんですよ」
「…………」
「簡単に思いつくような手は、もう試しました。その上での話なんです」
一番かんたんな解決方法は、ある。
パパ活ということは生活費が必要なのだろう。
つまり、私が出せばいい。
けれど私にはそれが難しい理由があった。
「月に一、二万くらいなら何とかなるとは思うけど……足りないよね」
「なにを言っているんですか?」
「パパ活は嫌なんだよね?」
一瞬、互いにきょとんとした顔で見つめ合う。
そのまましばらく時間が流れ、
「あぁ……!」
突然、少女がぷっと吹き出した。
なぜだろう。私は笑う様な話はしていないはずだが、と首を傾げたのだがすぐに疑問は氷解する。
「なんでおじさんがお金を出す話になっているのか分かりませんでした。一応確認しますけど、おじさんがパパになりたいってわけではないのですよね」
どうやら私が支援の申し出をしたのがそれほど意外だったらしい。
「もちろんだよっ。警察に通報しようと言った口で私が出来るはずがないだろうっ」
「ですよね」
よほどツボにハマったのか、少女は口元を押さえて肩を大きく震わせる。
泣いているよりよほど良いことなのだが、なんとなく複雑な気持ちだ。
時計の長針が一周以上するくらいの時間が経ってから、ようやく少女の笑いは治まったのだった。
「あー……」
にじみ出た涙を軽く指先でふき取り、何度か深呼吸をする。
それでも少しだけ笑いがぶり返して来る当たり、相当おもしろかったのだろう。
これで問題が解決してくれればよかったのだが……。
「ごめんなさい。申し出は嬉しいんですけど、それだとだいぶ足りないです」
当然、そんなはずもなかった。
「すまない。私も苦しくてね」
「分かってますよ。だいたい私なんか助ける義理はありませんから、おじさんはおじさんの家族を守ってあげてください」
「――――っ!」
「どうしましたか?」
私の家族という単語を聞いて思わず顔面が引きつった所を見咎められてしまった。
「あー……」
彼女の事情だけ聞いて、私が話さないというのも失礼だろう。
重い口を無理やり動かして語り始める。
「妻とは離婚してね。十五万もの養育費を毎月支払っているんだ」
「…………」
「お金を払っているだけで守れているとは思わないけど、一応、ある程度は義務を果たせているんじゃないかとは思う。なにせ相場の倍だからね」
娘がどんなふうに成長したかを私は知らない。
今どこに住んでいて、何を考えているかも分からない。
好きな食べ物も、どんな顔をしているのかも、まったく娘のことを知らないのだ。
それでも私は毎月のように養育費を支払っている。
血の繋がっている唯一の家族が確かに生きてくれていることだけが、私の唯一の生きがいだった。
「……なんで離婚したんですか?」
「女の子にはあまり気持ちのいい話じゃないよ」
なにより私自身も思い出したくなかった。
「もしかして、浮気ですか?」
「…………」
離婚原因のほとんどが性格の不一致である。
浮気の類は一割以下だ。
理由としてはその実かなり珍しかったりする。
けれどそれがすぐさま少女の口を突いて出たということは、もしかしたら……。
「妻が浮気してね」
「……そちらは奥さんだったのですね」
私の予想は当たっていたらしい。
少女の言い方からすると、恐らくは父親の方が浮気をして出て行ったのだろう。
「ああ。家庭が壊れ、私の人生も壊された。挙句娘も妻に奪られて散々だったよ」
「分かります」
「慰謝料だって妻側が払うことになっていたんだけど、娘が、養育費がと踏み倒されてしまってね。妻の浮気相手も蒸発して、結局払っているのは私だけという状態だ」
「浮気する人なんてそんなものですよ。私たちのことなんてなんとも思っていないんです。ホント、最低……」
「そうだね……」
余分なことだとは分かっていたが、同じような迷惑を被ったという感情からついつい口が軽くなってしまう。
少女の問題を解決すべきなのに私の方が愚痴ってしまうなど、なんとも馬鹿なことをしたものだった。
「いや、すまない。私のことはどうでもいいんだ。今は君のことの方が大事だよ。どうしようか……」
「……おじさん」
少女の方へと顔を向けたところで――言葉を失った。
儚いものは、何故これほど美しく感じるのだろう。
泣きはらした赤い目で薄い微笑みを浮かべる少女から目が離せなかった。
「おじさんっていい人だとかお節介だと言われませんか?」
「……あ、ああ。昔妻から良い人だけどつまらないとは言われたよ」
「そういうのじゃありませんよ」
クスクス笑う少女を前に、自分でも分かるほど体温が上がってくる。
年甲斐もなく、感情が動き出すのを感じた。
「あ~あ、おじさんみたいな人がお父さんだったらよかったのに」
「わ、私は父親の真似事すら出来ていない身だよ。買いかぶらないでくれ」
もしこの子が私の娘だったら、なんて方向に思考が流れそうになるのを必死で止める。
もし、なんてことには何の意味もない。
目の前の現実を進むしかないのだから。
「そういう意味では私が君を気にかけるのは、代償行為なのかもしれないな」
「そうなんですか、お父さん」
「頼むから勘弁してくれ……」
半ば本気ではあるものの、やや大げさに顔をしかめてみせると、少女が嬉しそうにコロコロと笑う。
運命は理不尽だ。
なんでこんな良い子が辛い試練を受けなければならないのだろう。
ここまで苦労をしているのだから、もっと幸せになってもいいはずだ。
「……少し、元妻と相談してみるよ。やはり15万円の養育費は多すぎ――」
「ダメですよ、受け取れません」
少女は寂しそうに笑うと、首を左右に振る。
「私たちは偶然同じ時間に同じ駅を使っただけの、名前も知らない他人じゃないですか」
「分かってる。でも君はなんだか他人のような気がしないんだ」
同じ痛みを知っているから同情したんだ、とは言えない。
不幸な人間に、君は不幸だと告げるなんてありがた迷惑だ。
「優しすぎますよ……おじさんは」
あっと少女が小さく声をあげる。
「そういえば、ずっと私についててくれてるんですよね。時間はいいんですか?」
「ああ……っと何時だ?」
駅の電光掲示板で時間を確認すると、もうすぐ昼休みが終わる時間帯だ。
さすがに連絡の一本も入れなければマズい。
けれど、わざと余裕なふりをしてベンチに深く座りなおした。
「もう少し大丈夫だよ。出先から帰る途中に昼食ぐらいは食べる自由があるからね」
「そうですか……」
少女は微かに頷くと、缶コーヒーを傾ける。
私の手の中にある缶コーヒーは、すっかり冷めてしまっていた。
「そうだ。おじさんにひとつだけお願いがあるんですけど、そちらを叶えてもらえませんか?」
たぶん、このまま私たちは別れて一生涯会うこともないのだろう。
異なる世界に身を堕とす彼女を助けられなかったと悔やみながら生きて行くのだ。
悔しい話だが、他人の人生を背負ってあげられるほど、私は強くなかった。
「ああ、出来ることならなんでもさせてもらうよ。袖振り合うも他生の縁と言うだろう」
「よかった」
ならせめてほんの一時の願いくらいは叶えてあげたい。
野良猫に一度餌を与えて良いことをした気になるくらいの偽善的な行為だが、それでも私はそう思ったのだ。
それが過ちだと知らず。
「じゃあ、お願いします」
ひと息入れた少女の胸が大きく上下する。
そして――。
「おじさんが私の処女、もらってくれませんか?」
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