第2話 私と少女の出会い
タタンッタタンッとレールを通して微かに電車の走る音が伝わってくる。
私を包む大気はほんの少し冷たかったが、心地よい陽の光が降り注いでほどよく体を温めてくれた。
「ふあ……あ……」
ついつい大あくびをかましてしまい、慌てて口元を押さえて辺りを見回す。
幸いなことに閑散とした駅の構内にはほとんど人がおらず、くたびれたサラリーマンの怠惰な姿を注意する奇特な人物は居なかった。
「……ん?」
ずれてしまったマスクを戻しながら、ふと視線を斜め前方に集中させる。
そこには学生服を身にまとった、高校生くらいに見えるひとりの少女が立っていた。
こんなご時世だというのにマスクを着けず、深刻な表情で前方を睨みつけている。
いや、マスクは手に持っているが何かやるせないことでもあったのか、形が崩れるのもいとわず握りしめてしまっていた。
「…………」
ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。
現在は平日の十一時半。学生が居るような場所と時間帯ではなかった。
平日。
学生。
深刻な表情。
レール。
様々な要素があらぬ妄想を生みだし、要らぬ不安をかき立てる。
そんなはずはない。
そんな非日常、起こるはずがないんだ。
少女はなにか用事があるから焦っているだけかもしれない。
むしろその可能性の方が大きいだろう。
「そうだ、ただ急いでるだけかもしれないだろ」
声に出して否定したところで、胸のざわつきは治まらなかった。
『まもなく、1番線を電車が通過します。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください』
機械音声によるアナウンスが聞こえて来て、レールから響く規則的な物音も大きくなってくる。
――――少女が顔を、あげた。
「あ……」
一歩前に進み出たことで、わずかに見えていた彼女の横顔が見えなくなってしまう。
けれど、一瞬だけ垣間見えた感情。
あれは決意ではなかっただろうか。
「……っ」
どうするべきか悩む。
人気のないホームで女子高生にサラリーマンが声をかけるなんて、傍から見たら完全に事案でしかない。
下手に警察を呼ばれでもしたら、私の人生は終わりだろう。
関わらない。
それが一番のはずだ。
でも……どうしても後ろ髪を引かれてしまうのだ。
「そうか、同じくらいか……」
目の前の少女は離婚した元妻が引き取った娘の
十五年間一度も会えていない娘なのに、まだ私は未練があるのだろう。
見ず知らずの他人に面影を探してしまう程度には。
「さ、さて、と。もうそろそろかな?」
言い訳がましく意味のない独り言をつぶやきながら少女へと近づいていく。
後ろに並ぶくらいならば問題はないだろう。
恐らく……。
さすがに見るハラなんてもので警察も動きはしないはずだ。
「三十五分……」
少女まであと一歩というところで立ち止まる。
時間を確認したスマホをポケットにしまい、かばんは左手で持つ。
重心を気持ち前に倒し、何があってもすぐさま反応できるようにしておく。
「…………」
何をしているんだ、私は。
これは十二分に怪しい行為だ。
馬鹿らしい。
でも、もしかしたら。
なんて相反する思考がグルグルと頭の中を駆け巡る。
そうしている内に再びアナウンスが流れ、猛スピードでこちらに向かってくる電車が姿を表した。
「――はっ」
後ろに居ても聞き取れるほどの呼気が少女から漏れ出てきて――。
「――っ!?」
少女が白線を跨ぐ。
あと一歩前に進めば、彼女の足は何もない虚空を踏み抜くだろう。
そうなれば、死、あるのみ。
「危ないっ!!」
もう、無我夢中だった。
必死になって手を伸ばし、少女の腕を掴む。
あれほど心配していたセクハラなどの問題は、すっかり消えてしまっていた。
ガタンガタンッッ! という、なじみ深い死の音が全てを支配する。
緊張で跳ね上がった鼓動も聞こえない。
浅く、荒くなった自らの呼吸すらも。
私も少女も、ただただ掴み掴まれた姿勢のまま、彫像のようにその場で固まっていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
どれだけそうしていただろうか。
いつの間にか電車は過ぎ去っていた。
あるのは静寂の世界。
その中で、私と少女は無言のまま見つめ合っていた。
「…………あ」
突然、鈴のように綺麗な声が唇の隙間からまろび出る。
声と同時に瞳からは真珠のような涙の粒がこぼれ落ちた。
それらが合図であったかのように、少女の体に魂が意思が戻ってくる。
そして、私たちの間に時が戻って来た。
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