俺は今日も異世界で化け物を殺す

御角

俺は今日も異世界で化け物を殺す

 ガガガガガ——。ドリルの振動が俺の脳みそをかき回す。掘っても掘っても一向に仕事は終わらない。額からは滝のように汗が流れ落ち、そのうちの一滴が俺の目を潰した。

 痛い。脳が揺れる。視界が、弾ける。その瞬間、俺は全てを思い出した。


 かつて愛用していた剣と盾。風になびく血を吸ったように赤いマント。そして周囲をとどろかせるほどの化け物の咆哮ほうこう

 ああ、俺は前世で勇者だった。たしかに化け物を皆殺しにしようと奮闘し、人々に崇め奉られていた。異世界の救世主、それが俺だったのだ。

 なのに、今の俺はどうだ? 上司には平伏し、部下には見下され、情けないことこの上ない。必死で地面を穿うがち続け、木材を運び続け、そうして得たすずめの涙ほどの給与でかろうじて生き延びる日々。こんなの、勇者としてはあるまじき姿だ。

 こうしている間にも、化け物は人々を苦しめているというのに、俺は今まで何をやっていたのだろう。早く、はやく化け物を倒さなければ。それが勇者の、俺の使命なのだから。


 俺は仕事をほっぽりだして、工事現場の外へ向かう。しかし、あと一歩で出られるというところで思い切り肩を掴まれた。

「オイ」

 カビが生えそうなほどじっとりとした皮膚、落ち窪んだ目、血色の悪い顔。そいつは紛れもない、化け物だった。肩がぎりぎりと音を立てて今にも握りつぶされそうになっている。殺される。直感的にそう思った。

「グァッ!?」

 俺は咄嗟とっさにその化け物を殴った。そいつは顔を押さえながらよろめき、俺が掘った深い穴に頭から落ちていく。鈍い衝撃が地面を伝い、また俺の脳をかすかに震わせた。

 仲間の死に引き寄せられるように、次々と化け物たちが穴に群がる。俺は化け物が落としていったハンマーを手に、一匹ずつ確実にヒットポイントを削り、もれなく一緒に葬ってやった。梯子はしごを外して往生際の悪いやつには土をかけてやる。もう、何も聞こえはしない。

 ああ、やはりこの世界は化け物で満ちている。ぽっかりと空いた穴に積み上がるその死体が、俺の使命感を刺激する。もっと殺せ、もっと世間の役に立てと耳元でささやく。ああ、ああ。わかっているとも。これぐらいで満足していては勇者とは言えないよな。世間はもっと、化け物の死に飢えているよな。


 暗い夜道を、血塗られたハンマー片手に駆け抜けていく。昨日まで世界に怯えていたのが嘘のような爽快感。今の俺は勇者の生まれ変わりだ。俺は、もう一度勇者になる男なのだ。化け物を怖がっていた昔の自分は、今この瞬間死んだ。俺がやつらと一緒に殺してやった。もう恐れる必要はない。この世界も、前世と同じようにきっと救ってみせる。

「チョット、キミ」

 青いドロドロのスライムが一匹、走る俺の前に立ち塞がった。今にも俺を飲み込もうと、その両手を広げて襲いかかってくる。こざかしい。スライムのくせに、俺の行く手を阻むとは、なんと生意気な化け物なのだろう。

 俺はすれ違いざまに右手を振りかぶり、その後頭部にハンマーをめり込ませた。ぐにゃり。スライムが歪み、崩れ落ちる手応えがあった。

 まだだ。仲間を呼ばれては困る。俺は馬乗りになってひたすらに敵の体力を削る。ぐちゃり、ぐちゃり。化け物は完全に戦闘不能となった。これでまた一つ、勇者としての役目を果たせた。

 赤一色の路面に、きらりと光るドロップアイテムが見える。拾い上げるとずっしりと重く、その表面はスライムの粘液でぬらぬらとてかっていた。これは、間違いない。……銃だ。思わぬところでレアな武器が手に入ったことに、俺の心は浮き足立つ。

 ——カチリ。セーフティを外す音が、深夜の静寂に亀裂を走らせた。


 家に帰る道すがら、俺は何度も化け物に遭遇した。大きな蟲、踊る泥人形、腐臭を放つサキュバス、そのどれもをハンマーで殴りつけ、銃でとどめを刺していく。その度に、社会が浄化していくのを肌で感じる。

 俺はこんなにも強かったのに、どうして今まで貧しく苦しい生活を強いられていたのか。達成感とは裏腹に、引き金を引くたびにつのる疑問。その答えは、我が家の扉を開けた瞬間、すぐにわかった。

「ア……ア……」

 化け物だ。俺の家にもいつの間にか、化け物が住み着いていたのだ。すぐに気がつくべきだった。もっと早く自分の使命を自覚して、やつを殺しておくべきだった。

「ゴ……ハ、ン」

「うるさい」

 俺は銃をそのミイラの頭に突きつける。濁った瞳は、それが何なのか認識すら出来ていないようだった。

「ウ……ウァ……」

「うるさい!」

 引き金にかけた指を限界まで握り込む。撃鉄が火花を散らし、化け物の足元をわずかに照らした。

「チッ……外したか」

「アアアアアア!」

 あまりの衝撃音にパニックを起こしたのか、ミイラは手足をばたつかせ必死に抵抗しようとする。床に散乱したカップ麺の器、借金の催促状、母がかつて編んでいたマフラーの出来損ない、投擲とうてきされたゴミたちが俺のヒットポイントを確実に減らしていく。

 顔に張り付いた毛糸の束を引きはがし、もう一度撃鉄を起こしたその時だった。

「タクヤ……ドウシテ……」

 ミイラが俺の名を呼んだ。いや、ミイラじゃない。母だ。母の顔をした化け物が、母の声で俺に話しかけている。

 俺は激しく動揺した。何が起こっているのかわからない。手が震えて、上手く照準が定まらない。

「バ……バケ、モノ」

 その一言でハッと我に返る。母は、そんなことを言わない。俺の知る母はいつも笑顔で、優しくて、どんな時も温かい言葉をくれる。

 やはりこいつは化け物だ。俺に母の幻を見せ、こちらの戦意を喪失させる腹積もりなのだ。許せない。あまりにも卑劣で卑怯だ。この、偽物が。化け物は、お前のほうじゃないか。

 ——バン! 再び破裂音が耳をつん裂く。俺の放った弾丸は、ミイラの眉間を正確に貫いていた。


 荒れ果てた部屋で、俺は一人虚しくタバコを探す。ミイラの無駄な足掻きのせいで、もはやどこに何があるのか見当もつかない。

 机の上にようやくその箱があるのを見つけたところで、俺はパソコンの電源がつけっぱなしであることに気がついた。

 そういえば、昨日ゲームをクリアしてそのまま家を出たのをすっかり忘れていた。画面を閉じようとマウスを動かしモニターを覗き込む。

 その世界に、真ん中でたたずむ勇者の姿に、俺は見覚えがあった。ゲームとしてではなく、記憶として、俺はその世界をはっきりと憶えていたのだ。

 ああ、懐かしいこの景色。前世だ。そのゲームは、俺の前世を映していた。クリアしたはずなのに、勇者は、前世の俺は、血だまりのなかで安らかに眠っていた。

「そうだよな……俺は、転生したんだもんな」

 画面の中の亡骸なきがらをそっと撫でようとすると、ディスプレイは一瞬で黒い血に染まった。血の中に浮かび上がる、鏡合わせの影。目は血走り、体は返り血で燃え、両手には血塗られた武器をたずさえる悪魔の姿。

 ああ、こんなところに、見逃していた。まだいたのか、社会のゴミが、殺すべき化け物が。弾丸は、残り一発。

 俺は、まだ熱を持つ銃口を喉奥まで咥えこみ、口腔がただれてしまう前に、その化け物の脳天に風穴を開けた。ゲーム、オーバー。でも、これで終わりじゃない。転生したその先できっと、俺は再び勇者になれる。




 なあ、もそう思うだろう? 終わっていく俺を見つめるも、今この瞬間に全てを思い出しただろう?

 そう、お前だよ。画面の前でつまらなそうに人生を消費し続けているお前。自分の前世を傍観者気取りで眺めていたお前。

 これは、お前の物語だ。お前が勇者になるための、いわばプロローグのようなもの。


 さあ勇者よ、早く使命を果たして、俺を本物の勇者にさせてくれ。早く、今すぐ外に出て世界の役に立て。それが出来ないというならば、もう一度、異世界へ転生すればいい。なに、簡単なことだ。

 さあ、一刻も早く、化け物どもを殺せ。




「次のニュースです。昨夜起きた発砲事件で八人の男女が死亡、二人の男性が意識不明の重体となっています。警察の調べによりますと、犯人は鈍器で同僚を殴り逃走、その時に巡回中であった警官を殺し、銃を奪ったとのことです。その後犯人は、犯人の母親を含む計四人に発砲し自殺したとみて、引き続き調査を続けています。現場では……」


「ねぇ、知ってる? 最近話題になってる、呪いのゲームの話」

「何だっけ……。たしか、クリアしちゃいけないゲーム、みたいなやつだよね?」

「そうそう、正確には敵をやっつけちゃいけないゲーム。なんでも、やっつけてクリアすると、プレイヤーが狂っちゃうって話らしいよ」

「嘘だぁ、そんなゲームあるわけないじゃん。そういう商法でしょ? 煽り文句みたいな……。ち、ちなみにだけど、なんていうゲーム?」

「キャハハ! なんだ、滅茶苦茶信じてるじゃん! えっとねぇ……あ、あった。これこれ」


『俺は今日も異世界で化け物を殺す』

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