エピローグ

 停戦が実現して、鈴木少佐の身の上にも変化があった。和田廠長があちこち手を尽くして、お見合いの話を持ってきた。実際に会ってみて、一目で気に入ったのでそれを相手に伝えた。トントン拍子で話が進んで結婚することになったのだ。これで未来の子孫にも、糸がつながったことになる。


 ……


 鈴木靖雄は工学部を卒業して、なんとか人気の高い日本航空宇宙局(JASA)に就職できた。今日は、そんな新人にとって初めてのJASA本部への出勤だった。高層ビルの大理石が光ったエントランスを抜けてゆくと、JASAの成果を展示しているフロアーがある。日本が開発した航空機やロケット、宇宙船などの実物や模型が展示してある。展示室の壁には、JASAの今までの活動に貢献した人物の写真がずらりと掲げられていた。


 日本で最初に地球を周回した宇宙飛行士や月着陸船の日本人船長などの写真が、フロアーの周囲を囲むように飾られている。その中には、彼の曽祖父の写真も含まれていた。


 アメリカに亡命したフォン・ブラウンと協力して、日米合同のロケット開発を推進した技術者との位置づけだ。日米共同開発のジュピターロケット(日本名、木星ロケット)により、世界で最初の人工衛星を打ち上げた男である。そして、米国がアポロロケットにより月への司令船を打ち上げた時には、日本からはアマテラスロケットで月着陸船を軌道に乗せてみせた。司令船と着陸船が地球軌道でドッキングして人類初の月着陸を成功させたのだ。そんな日米合同の人工衛星と月着陸を成功させた人物として、鈴木芳夫の写真も目立つところに掲げられていた。


 JASAの職員だったら、もぐりでもない限り鈴木芳夫の名前を知らない人間はいないであろう。彼の第二次大戦中の活動については、戦記にもあまり登場しないので、ミリタリーマニアでなければ詳しくないかもしれない。しかし、戦後の宇宙開発への貢献は誰でも知っている。感慨深く写真を眺めていると、一緒に来ていた友人が話しかけてきた。


「鈴木芳夫先生は君の曽祖父だったね。そういえば、君の父君が書き始めた先生の伝記は順調に進んでいるのかい?」


「ああ、自分のご先祖様の活動を記録に残すんだと言い出して、おやじが50を過ぎてから突然書き始めたんだ。伝記というか回顧録というか、小説のような物語を今も一生懸命書いているよ。なんでも『蒼穹の裏方』というタイトルにするそうだ」


 了

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蒼穹の裏方 @Flight_kj

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