第50話  瞬きの終わる前に(最終話)


「大ちゃん。これ」


 僕からのメールを受けて、萌がやって来た。

 そして、僕に一通の手紙を差し出した。

「麻さんから。口述筆記やから、字は私のやけど」


「え? ……なんで?」

「麻さんに頼まれてた。自分がいなくなったら、大ちゃんに渡して、て」

 手紙を手渡しながら萌がうつむいて言った。

「ごめん。大ちゃん。私、知ってた。もうすぐ、麻さんいなくなるかもって」

「そうか。―――僕に黙ってんの、しんどかったやろ。ごめんな」

 僕は、萌の頭をくしゃっとなでる。

 萌の頬を、涙のしずくが転がり落ちた。



 萌の話によると―――。

 しばらく前から、麻ちゃんは、いつもと同じ風景の中に、1つ違和感を感じるようになったのだという。

 視線の先にいつも、小さな扉のようなものがあって、それが、少しずつ自分に近づいてくるようになったのだと。

 始めはごく小さな扉だったものが、少しずつ大きくなって、その扉に描かれた模様まで見えるようになってきたと。そして、麻ちゃんは、扉を眺めているうちに、その重厚な扉の模様のなかに、埋め込まれるようにして、文字が書かれていることに気づいた。


 日本語でもなく英語でもない。

 文字はアルファベットのようなのに、意味がよくわからない。知ってる英単語と似ているものもあるけど、どうもよくわからない。

 そこで、麻ちゃんは、ちょうど遊びに来ていた萌の協力を得て、それが、どうやらラテン語であることを知った。そして、2人で、個々の単語の意味を調べて、訳すことにした。

 言葉は、2カ所に書かれていた。 扉の左上には、単語らしきものが一つ。右下には、少し長く、いくつかの単語が連なった文らしきもの。

 右下の方に、書かれた文を、どうにかこうにか訳してみると


『汝の傍らにいる者が目を閉じた一瞬だけ、その者に対して起こせる』

 という意味のようで。

 扉の左上の言葉は、『奇跡』という意味だった。

「なんでラテン語やねんな。ここは日本や。日本語で書いたらええのに」

 ぼやく萌に、麻ちゃんは笑って、

「たぶん、私が外国語が好きやから、最後に解読して楽しめってことかな?」

 と言ったのだとか。

 麻ちゃんらしい。

 でも確かに、萌も、麻ちゃんと2人で、何が書いてあるのかを解読するのは

楽しかったと言った。


 そして、麻ちゃんは気づいた。


 そのときはぴたりと固く閉ざされていて、開く気配のなかった扉。

 でも、それが開いたときが、おそらく、自分がこの世界を離れるときなのだ、と。

 そして、それはもうそんなに遠いことではないと。


 そして――あの日。

 麻ちゃんが、『生きていたかった』と泣いたあの日あたりから、扉は、少しずつ開き始めた。といっても、その時点では、まだわずかに、隙間からその向こうの光がもれてくるだけだった。



 涙を拭いながら、一生懸命話す萌が、

「ここからは、手紙読んで」と言った。

「ほんまは、声を録音できるかな、って何回も試してんけど、あかんかった。それで、口述筆記にした」


 僕は、手紙の封を開け、便箋を開いた。


『大ちゃんへ


とうとう、この日が来てしまいました。

声でメッセージ残せたらよかったんだけど。

できなくて。萌ちゃんに手伝ってもらっています。


扉のこと、大ちゃんに内緒にしてて、ごめんね。

怒るかな?怒らないでね。

扉の開く日を、2人で、カウントダウンしたくはなかったんだ。

最後のその瞬間まで、普段通りに過ごせたら、て思ってたから。


私、最後の『奇跡』、うまく起こせたかな?


声をだすことしかできなくて、

それも、私の声を聞いてくれる人は限られてて、

何かに触れることも、ものを動かすことも、何一つできなくて

ずっともどかしかった。


だから、最後に、一度でいいから大ちゃんに触れたいと思った。

一度でいいから。

なので、扉の言葉の、『奇跡』に賭けようと思って。


最後に、大ちゃんが目をつぶった一瞬だけ。


きっと、ウィンクして、とかって、急にヘンなこと言うなあって

思ったでしょう?

へたな口実だよね。……へへ。』


 1枚目を読んで、僕は心の中で、麻ちゃんにつっこむ。

(ほんまや、へたすぎやで。唐突に何言うねん、て思ったわ。

 目つぶってほしかったら、目つぶってって言えばええだけやのに)


 1枚目を後ろに回して、2枚目の便箋を見る。


『大ちゃん。

今、目つぶってほしかったら、目つぶって、て言えばいいだけやとか

思ったでしょう。』


 1行目にそう書いてあった。お見通しか。僕は、苦笑いする。


『そうなんだけど、大ちゃんのウィンクも可愛くてカッコよくて、

好きなんだもん。最後に見たいと思ってもいいでしょう?


もっといっぱい、我儘も言って、

もっといっぱい、困らせて、

もっといっぱい、甘えたかったな……

でも、そんなことしたら、きらわれてたかな?』


(きらわへんよ。きらうわけないやん。もっと我儘も言うて、

もっと困らせて、もっと甘えてくれて、よかったのに。

僕の方が、甘えて困らせてた……)


 3枚目の便箋を見る。


『大ちゃん。

この扉の向こうに行ったら、自分がどうなるのか、

私には何一つわかりません。

生まれ変わって帰ってこられるのか、

全然別の世界に行ってしまうのか。

ほんと不親切よね。

ちゃんとどこかに案内所みたいなのがあって、行くべき場所に

ちゃんと連れてってくれるのかな、って思ってたのに、

何にもないんだよ。

この扉だって、ぼんやり見てたら、文字に気がつかなかったかも。

パッと見、模様にまぎれてるんやもん。

しかも、この扉の向こうにいっていいのかどうかも、わからないの。

ちょっと戸惑うよね。

でも、なんだか入るしかなさそうで。

……扉の向こうに行ったら、案内所とかあるのかな?

もし、向こうに行って、クレーム言う機会があったら、

もっと、親切に案内板とか出すべきです、って意見しとくわ』


(麻ちゃんてば……)僕は吹き出す。

 そして、4枚目、最後の便箋を見る。


『でも、確かなことが一つあります。

一緒に過ごした時間、私はとてもとても幸せだったよ。

大ちゃんに出会えてほんとによかったよ。


ありがとう。

全世界で一番

全宇宙で一番

大好きな、大ちゃんへ


追記 大ちゃんのおかげで、私の一番好きな漢字は、『大』になりました』



 泣きながら、つっこみながら、吹き出しながら、僕は、最後まで読んだ。



 そして、そっと右頬に手をあてる。

 あの一瞬感じた、柔らかで優しい温もりが、よみがえる。

 麻ちゃんが、最後に、精一杯起こした奇跡。

 麻ちゃんの言う『ダブルウィンク』、『瞬き』の終わる前に、ほんのつかのま、彼女が僕に触れた、あの一瞬を、僕は、きっと忘れない。


(麻ちゃん。なんでほっぺたなん? 唇でもよかってんで)

 僕は、心の中で、麻ちゃんにささやかな苦情を言う。


 そして、今頃、もしかしたら、向こうで、『天国こちら』って案内板を、せっせと作ってるかもしれない彼女を思い浮かべて、思わず笑ってしまう。


(大好きやで。麻ちゃん。

 僕たちが、もう一度会えるのかどうか、先のことは、何にもわからへんけど。

 でも、大好きやで。

 今の、この想いを大切に、僕は、ちゃんと生きていくから。


 ありがとう。

 ―――会えてよかった、麻ちゃん)



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瞬きの終わる前に 原田楓香 @harada_f

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画