雨あがり ─想いの行方─

伊崎 夕風

【1】星屑柄の傘

 その道を1人で歩くのは、初めてだった。


 遥人はムシムシとした空気を吸い込み、どんよりした空を見上げた。赤い塗装の施された歩道は、駅からスーパーの横を通り過ぎて、真っ直ぐに図書館へと続いている。開けた芝生の公園の横を通り過ぎ、母が通っていたという中学のそばを過ぎると、右手には市のグラウンドがあって、左側には体育館が新しく建設されている。その奥に、小さな森がある。そこを通り抜けると、三角屋根の素敵な建物が見えてくる。


 その庭には、銅像の小人や、可愛いフォルムの鳥などがあちこちに設置されていて、小川が流れる森の雰囲気と良くマッチしていて、遥人のお気に入りの図書館なのだ。


 春にはシロツメクサが沢山咲き、小高い丘の上には立派な桜の木が。近くに川が流れていて、昔は農作業に使っていたらしい水車が復元されて、石臼を回す細工が小屋の中に設置されている。その傍には小さな店があって、蕎麦を食べられるようになっている。


 この図書館は、戦後に私財を投げ打って、日本の教育を憂えていた立派な人が建ててくれたそうだ。


 今は市が大切に管理しているのだが、来年、リフォームする事になったようで、古さが気に入っていた遥人は、少しだけ残念な気持ちだ。


「アルミのサッシなんかが入ったら、雰囲気変わっちゃうだろうな」


 曽祖父が残念そうに言っていた。ここに通い始めたのは、曽祖父が毎週日曜になると通っていたからだ。

 今は足が悪くなって、時々叔母の都合のつく時だけ、連れてきてもらってる。遥人は今日、初めて自分一人で電車に乗り、曽祖父のお使いでやってきたのだ。


 図書館に入る前、鉛色の雲が分厚くなってきたような気がした。早く用事を済ませて帰ろう、遥人は心に決めて図書館のドアを開けた。



 図書館は二階建てだけど、全部がそうではなく、建物の半分のスペースが2階になっていて、オープンな造りになって、階段の踊り場からも下の階が見下ろせるようになっていた。


 遥人はまず図書館にくると、その開けた図書館の全貌をぐるりと見ることにしてる。

 たまに、前の学校の友達に会ったりとかするからだ。そんな時は、まず返す本をカウンターに預けて、書庫に入っているであろう本のメモを司書さんに渡して、後で取りに来ることを伝えてから、友達に声をかけに行く。


 大抵、会うのは、子供の頃から本が好きな彩ちゃんや、図鑑の新しいのをチェックしに来る、とても物知りな拓也君、その二人に会うことが多い。


 だけど今日は誰もいなかった。今日は延ばし延ばしになっていた家庭訪問がある日で、まだ2時過ぎなのだ。別の学校に通う2人に、会うことはまずない。


 人もいつもよりずっと少なくて、小さな子を連れたお母さんと、おばあちゃんが1人、おじさんが1人。本当に少ない。すると奥のテーブルのある部屋から、微かな笑い声が聞こえた。もう2人くらいいるのかも、とそちらをちらりと見て、書庫から戻ってきた司書さんから、曾祖父に頼まれた本を借りた。


 自分が読む童話を探したくて、背の低い本棚が並ぶ児童書のコーナーを物色していると、その小さな本棚の間に、座り込んだ制服の女子中学生がいた。

 思わずビクッと肩が跳ねた。

 まさか誰か居るとは思わなかったからだ。


 その黒い髪を、片耳の上でピンでとめた、ほっそりしたお姉さんは、こっちに気がつくと数冊の本を持って立ち上がり、カウンターへと歩いていった。


 遥人は目当ての本を2冊手に取ると、カウンターで借りて、リュックに3冊の本を入れた。


「重……」


 背中に背負うと、ぐんと後ろに倒れそうになった。


 玄関のドアを開けると、さっきのお姉さんが、屋根のある所から空を仰いでいた。

「あ、雨」

 声に出して言った、その時だった。先程、本を入れたリュックの中に、いつも入ってる折りたたみ傘がなかったことに気がついた。

 もう一度リュックの中を覗くが、やはり忘れてきている。梅雨時はいつ降るか分からないから、折りたたみ傘は常に持ってなさい、と母に言われたのに。面倒がって後回しにした。玄関の下駄箱の中だ、とため息をついた。


「傘、持ってないの?」


 不意に隣から声をかけられた。さっきのお姉さんだ。

「うん、忘れちゃった」

 すると目の前に、お姉さんが傘を差し出してきた。


「……え?」


「貸してあげる。私折りたたみも持ってるから」


 お姉さんは、遥人の手に傘を持たせると、背負っていたリュックから、折りたたみ傘を出した。ファスナーをじゃっと閉めて、キーホルダーのちりりという音をさせてそれを背負い直したお姉さんは、傘を広げながらこちらを見た。


「図書館のカウンターに預けておいて、私もここはよく来るから」


 軽く首を傾げて、微笑んだお姉さんは、さっさと雨の中を帰ってしまった。


「は!名前!」


 名前すら聞くのを忘れた。傘にはテープが貼ってあり、A.Nとイニシャルが入っていた。


 その時、子供用ケータイが鳴る。


 普段滅多にかかって来ないケータイに出ると、


『お前、何してんの?傘持ってって無いんだって?』


 兄だ。母が兄に連絡したらしい、傘を持っていってないらしいから、図書館まで迎えに行ってやって欲しいと。


『そこで待っとけよ?今駅着いたから』


「大丈夫、俺、傘貸してもらったから、駅まで行くからそこで待ってて」


 言うと兄は少し迷って、わかった、と言った。


 電話を切って、カバンにしまうと、薄い白っぽい傘の止め具を外した。ボタンのところが星の形をしている。女の子の傘だなぁ、と思いながら、バサリと広がった傘の取っ手の上のボタンを押した。


 ボン!


 いい音を立てて広がった傘は乳白色の半透明で、小さな、よく見たら、色のついた星が沢山ちりばめられたような柄だった。ピンク、オレンジ、青緑、黄色、ホシが小さいので、よく見ないと分からない程度の色の入り方に、その傘のセンスの良さを感じる。


「わぁ、綺麗だな」


 遥人は、初めて1人でやってきた図書館で、とてもいい出会いをした、と嬉しくなった。


 お姉さんの着ていたあの制服は、そこの中学のものではなく、自分の住んでる地域の中学のものだ。どこに住んでるんだろう。

 雨が降っているのを見上げていた、あのほっそりした姿を思い出して、遥人は微笑んだ。綺麗なお姉さんだな、と思った。可愛い感じではなくてどこか落ち着いた所があるのに、本棚の間に座り込んで本を読んだり、そんな子供っぽさもある。


 もう一度会ってみたい、と思った。








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