【10】想いの行き先

 半夏生に茅の輪をくぐるのは、年が明けて半年、無事に過ごせたことを神様に報告してお礼を言い、また半年、無事に過ごせることを願うためだ。


 茅の輪をくぐることで穢れを払い、またひとつ寿命が伸びるそうだ。



 お参りしたあと、屋台で同級生と会った晴樹は、少しだけ、と言ってその子たちと射的をしに行った。その間、梓は航也と2人きりになった。隣合ってベンチに座り、照れくささと気まずさで、息をするのが辛い。ドキドキと脈打つ音を梓は身体中で感じた。



「あのさ」



 先に口を開いたのは航也だった。

「なんですか?」


 航也はポケットからスマホを出すと、梓のスマホに何かを送信した。


 梓のスマホの画面が光った。梓はそのサイトを開いてみて驚いた。


「大学のサークルですか?」


「部活もさ、最近、陸上部のない学校増えてて。それでも陸上やりたい子の為に大学がこんなの開いてるの」


 中高生のための陸上クラブ。


「中森にも、良さげだなって思って。ここなら気兼ねなく通えるだろ?」


 梓は顔を上げた。目頭が熱くなった。


「走るの辞めたら勿体ない」


 航也の言葉に、涙が溢れそうになって顔を隠した。


 何とか涙を抑えると、顔を上げた。


「ありがとうございます!私、走るの辞めません!」


「……おう、頑張れ、あ、あんま無理すんな」


 言い直した航也の、思いやりの気持ちを感じて、梓は嬉しくて仕方なかった。ふと、髪に何かが触れた。


 航也が頭を撫でたのだと気がつくまで数秒。顔をあげられなくなった。


「不思議だよな、なんか、中森って懐かしい感じがする」


 見上げた航也の顔に、なにかの映像がダブった。国民服を着た兵隊のような人が、こちらを見下ろしていた。



 誰なんだろう。



 梓はただ、その面影がとても恋しくて切ない気がする。


 少し離れたところから航也を呼ぶ声がした。


「遥人だ、行こう」

「はい」


 隣合って歩く、航也の横顔をそっと見上げ、見下ろしてきた航也と目が合っただけで心臓が熱く跳ねる。


 まだ片想いだけれど、いつかこの思いが届く日は来るのかな。


 梓は、手を伸ばせば届く距離に航也がいることが、嬉しくてもどかしくて、胸がきゅっとした。




 ***




 夏休みが終わって秋が深まった頃、入院していた晴樹が退院してきたと連絡があった。梓は遥人と航也の家へ、お見舞いにやってきた。


 出迎えてくれた航也達の母には、いつか遥人やおじいさんがお世話になって、と礼を言われて恐縮する。


「お、航也の彼女か?」


 などと軽口を叩く父親に真っ赤になり、航也が父親を叱りつけて、離へと案内された。


「勉強捗ってる?」

 廊下の先を歩きながらこちらを振り向いた航也に、ドキドキしながらも答えた。

「あ、はい」


「こないだ教えたとこクリア出来た?」

「バッチリです」

 笑顔で答える梓に、航也は微笑んだ。


 あれから、航也が部活のない水曜日は、図書館で勉強を教わっている。塾の方も母親が探してきてくれたふたつ向こうの駅前に通っているが、それとは別で航也との時間は、梓にとってご褒美タイムのようになっている。


「遥人君は?」


「もう帰ってくると思うよ、あいつ、野球始めたんだ」

「あ、こないだ言ってたやつですね」

「ああ」


 離の部屋の前で航也が中に声をかけると、返事がした。航也は梓に微笑むと、引戸を開けた。


「おお、梓さん、お久しぶり」

「こんにちは、お加減いかがですか?」


 梓は勧められた椅子に座ると、ベッドの横から、身体を起こそうとした晴樹を支えた。


「やあ、ありがとう」


「じいちゃん、中森が来るの楽しみにしてたんだよ」


「嬉しいです」


 航也と、梓を交互に見比べたあと、ベッドの枕元に置いてあった、白い封筒を手にした晴樹は、その手紙を梓に渡した。


「なんですか?」

「読んでみて」


 梓は怪訝な顔をして、その手紙をそっと封筒から取りだし、広げた。



 ── 拝啓、室井晴樹様。


 随分昔のことですので、お忘れかもしれませんが、旧姓を杉本茜と申します。急にお便りしたことを驚かれたと思います。ごめんくださいませ。


 終戦の翌年、あなたは私を訪ねてくれましたね。丸い大きな柿をカゴに沢山。今でも覚えています。あの時は親戚の子を預かっていたもので、どうしても手が離せず、あなたと話すことが出来ませんでした。

 本当にごめんなさい。そしてありがとうございました。


 私が雨宿りさせてもらった、夕方のことを覚えていますか?あの日、あなたのお父さんと話して、お願いされていたことがあります。


 大人になっても、あなたの友達でいてあげて欲しいと。あなたは人懐っこいようで、本当のことを打ち明けるのが苦手な人なので、姉のように懐いているあなたには、友達で居てやって欲しいと頼まれたんです。


 なのに、わたしはその約束を果たせませんでした。あなたは訪ねて来てくれたのに。


 初めて好きになった人の、たった1人の子供だった貴方を、これまで忘れた事はありませんよ。いつも家族のことを神仏にお願いする時は、あなたの事も心の隅っこでお願いしていました。幸せでいて欲しいと。


 私は、随分歳をとりました。もう先が長くありません。未練がましいとは思ったのですが、あの時のことを謝りたくて、筆を取った次第です。


 あなたのお父さんからの手紙を受け取った時、あなたのお祖母様から頂いた櫛を同封させてもらいます。今まで私を励まして慰めてくれたお守りです。私が持っていくには忍びなくて、本来の持ち主であった血族ヘ返そうと思い至ったのです。

 どうか、あなたを守ってくれますように。



 中森 茜




「これ……」


 梓は何かが繋がったような気がした。


 懐かしくて涙が込み上げてきた。


「これ、うちのおばあちゃんの……」



「え?じいちゃん、中森のおばあちゃんと知り合いなの?」



「じゃあ、水無月祭の時話してた、初恋の人って……」


 梓の問いかけに、晴樹は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。



「よく似てるはずだ、あなたは茜ちゃんの曾孫だったんだな」



 ──いつか、また会えるとしたら、その時は、平和な世の中であって欲しい──



 祖母が手紙を読んでいた時、そう聞いた気がする。



「これがうちの父なんだ」


 古い写真を見せられた。


 背広をキチンと着た、晴樹の父と、着物姿の女の人が、それが母親だろう。


「先輩にそっくりですね」


「だろう?我が父親ながら、なかなかいい男だったと思うんだよ、こんなにでかくは無かったけど」

 と航也を見る。


「茜ちゃんと恋仲なのかな?というのは子供だったけどわかってたんだ。時代柄、結婚はほとんど親が決めるものだったから、茜ちゃんに許嫁がいることも知ってたし、それでも、自分のお母さんになってくれないかな、なんて思ってたんだからね」



「それって初恋っていう?」


航也は首を傾げた。


「そんなもんだろ、幼い頃の無自覚な初恋なんて」


「中森に似てるなら、綺麗な人だったんだろうな」


 航也は何気なく言って、目の前の梓が真っ赤になってのを見て、素直に物を言いすぎたことに気がついて、瞬間湯沸かし器のように真っ赤になった。


「あ……いや、その……」


「そういうのは俺がいないとこでやれ」

 晴樹が笑いだした。



 つられて梓が笑った。



 晴樹はその笑い声に、懐かしい光景を思い出した。


 父と母と、祖父母と、ほんの小さい子供だった自分が暮らしていた事を。


 父と二人だけになって寂しかった頃、家に時折顔を出すようになった、茜の明るさに心が照らされたこと。



 その笑い声は、とても幸せな気持ちにさせた。



「航也、梓さんを泣かせたら許さんからな」



「ばっ……何言ってんだよ!じいちゃん!」

 慌てる航也と、何も言えずに頬を染めた梓の初々しさに目を細めた。


「せっかく平和な世の中に生まれたんだ、たくさん笑って生きていけ」


 二人はその言葉に真顔になった。


「俺はそれなりに、必死で生きてきたけど、それはそれで楽しかったよ。ここに、室井の家に来て良かったと思ってる」


 晴樹は、梓に手を出すように言うと、時を経て飴色になった、つげの櫛をそっと握らせた。


「君が持っていてくれるか」


「え?」


「まあ、なんだな、じじいの願いだ。このさきどうなろうと君らの勝手だ。ただ、みんな幸せになって欲しい」


 その時、にわかに玄関先が騒がしくなった。


「あ、遥人が帰ってきたな」


 航也が言う。梓は晴樹を見る。


 晴樹は、笑いながら片目をキュッと瞑って見せた。



 ***




 秋の長雨が、明け方ようやくあがった。

 坂をあがった所にある墓地の駐車場に停めた車から下りた途端、すっきりとした、秋の優しい風が吹いた。


「あ、きたきた!」


 駐車場の入口、梓の隣に立つ航也が、緩やかな坂を上がってくる高校の制服姿の弟へ手を振った。


「あいつ、すっかりデカくなっちゃって」

 笑うと、スーツのズボンを引っ張っられた。


「おう、抱っこか?」


 航也は、ニタッと笑った3つになる息子の脇の下に手を入れて抱き上げた。


「あ、赤とんぼ」


 梓が指さした先に、赤とんぼが飛んでいく。


「ママとって!」


たつき、捕まえたら可哀想よ」


 梓が、夫に抱かれた息子のほほを撫でた。


「もう、じいちゃん亡くなって10年か。そりゃ遥人もでかくなるわけだ」


 航也と梓は、目を合わせて微笑んだ。あれから、色々あった。


「お待たせー」



「遥人君、時間ピッタリよ」


「梓ちゃん、和服なんだ。似合うね」

「いいでしょ?お義母さんが貸してくださったの」

 淡い桃色の和服の袖をそっと撫でる。


 その髪に刺した、飴色のつげの櫛をみて、遥人は、目を細めた。


「茜さんが届けたかったのは、ここだったんだな」


 墓地へと歩きながら、遥人が言った。梓は不思議な顔をした。



「え?」



「ううん、なんでもないよ」



「ママー!お空!」


 先を歩いていた、航也に抱かれた樹が空を指さす。皆は空を見上げた。



「うわ、これは見事だな」

 航也は感嘆の声を上げた。


 空いっぱいに広がったうろこ雲は、遠い東の空へと続いていた。



「義姉さんの着物と同じ柄だね」

「ほんとだ」


「青海波、っていうんだって」


「うん?柄のこと?」


 航也が、樹を肩車しながら聞く。


「うん」


 先日、義母が着物を広げながら、話してくれた。



『穏やかな波のように、いつまでもその幸せがずっと続きますように』



 そんな願いが込められた柄なのだと。



「そっか」


 遥人は、にっと笑った。


 まるでそれは、故人達が空から見下ろしているようにも見えた。繋がって繋いできた命たちを。想いのその先を。



「パパ!ばあば達いるよ!」


 樹の指さす先に、義両親が手を振っていた。


「行こうか」

「うん」


 子を連れた三人は、待人へ向かって歩き出す。


 その後ろを、2匹の赤とんぼがすいっと通り過ぎる。


 秋風に、墓地のそばに植わった桃色のコスモスが、優しく揺れる。まだ残っていた、雨のつぶが、キラリと光った。







 雨あがり─想いが届く時─

 2022.07.03

 伊崎夕風いさきゆう (kanoko)









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