【9】座敷わらしと母と

「じゃあみんな、ありがとうね」

 紗栄子が救急車に乗り込んだ。晴樹の容態はすっかり安定しているが、念の為病院へと運ばれる事になる。


「紗栄ばあちゃん、これ、おじいちゃんに頼まれたやつ」


 みなづきの袋を渡すと、2パックだけを自分のカバンに入れて、あとはこちらに手渡してきた。


「あんた達が持って帰りなさい、うちのはこれで足りるから」


「え?でも」

「あなたも遥人を見つけてくれたんでしょ?一緒に食べてね」

 遥人のそばにいるハナに紗栄子が言うと、ハナはペコっと頭を下げた。


(座敷わらしって結構色んな人に見えるんだな)


 遥人は苦笑いだ。



 救急車を見送って、一同は、顔を見合せた。


「なあ、さっきの、誰のこと言ってたの?」

 航也が遥人に聞く。梓を見上げた遥人は、梓にはハナが見えているのに、航也にはハナが見えないことに気がついた。

「ああ、うん、まあ、いいじゃん。それより、お参り行こ?その後たこ焼き!」


 遥人は努めて明るく言って、みなづきの袋を梓に渡す。目が合うと片目を瞑って合図した。

「兄ちゃんと先に並んでるからさ、梓ちゃんゆっくり来なよ!足痛いでしょ?」

「お前っ押すなよ!」

「いいからいいから!」

 兄の背中をを押しながら、お参りの参道へ向かう兄弟を、梓はハナと見送りつつ、顔を見合せた。


「久しぶり」


 ハナが言った。7歳くらいの女の子の声で。


「うん、元気だった?」


「妖怪に元気はおかしいけどね、まあ、それなりに楽しくやってるよ」


「今どこにいるの?」


「内緒。ねえ、それよりそれ、食べたいな」

 ハナが指さしたみなづきの袋。


 おまけの、ひとつだけ入ったパックを、ハナに渡す。


 近くのベンチに腰掛けて、ハナはパックから出したみなづきを食べた。白い外郎に、柔らかく炊いた小豆が点々と入っていて、まるで雨粒のようだ。



「恥ずかしいな、私。あれから結局なんにも変わってなくてさ」


 梓は、脱いだ下駄の上に、そっと足を置いた。鼻緒が当たるところが痛む。少しずつ学校へ戻ろうと、部活に行き始めたのは春休みのことだ。だが、いろいろあってそれは上手くいかなかったのだ。


「そんなこと、気にしなくていいんだよ。あんたが案外元気そうで、私は安心した」


「……うん」


「お母さんとは?上手くいってる?」


 言われて、ハナを見ると、口のそばに外郎の欠片をつけたまま、もう一口みなづきを頬張った。


「うん、この浴衣もね、お母さんが買ってくれたの、着付けも髪もやってくれた」


「へぇ」



 梓は先日、平日の昼間から、この浴衣を母と買いに出かけた。みんなが学校で勉強してるのに、自分はこんなことをしていていいのかな?と不安な気持ちになった。


 母の車でやってきたのは、インター近くのショッピングモール。


「ここなら誰も会わないでしょ?」

 母の弾む声を聞いても、まだ罪悪感が消えない梓だった。


 浴衣を買って、髪飾りを選んで、だんだん気が晴れてきた梓に、母は言った。


「みんなが、そうしてるからって、どうして嫌だと思ってるのに合わせないといけないんだろうね」


 休憩に入ったカフェで、ソイラテを飲みながら、母が言った。梓はレモンスカッシュの気泡がプツプツと上に上がるのを見ていた目線を、母へと移した。



「母さんの学校はね、田舎で、すごく人数が少なくて、周りと仲良くして、みんなについていけないと、そこでは生きていけないっていうくらい、とにかく仲間意識の強い学校だったの」


「……うん」


「その頃のことが身に染みてるからかな。同じことがあなたも出来ないと、あなたが仲間外れになって、しんどい思いするって、ずっと怖かった」


 母はストローでグラスの中身を混ぜる。カラン、と氷の音がした。


「でもね、時代も人々の考え方も随分変わったのね。当たり前だと思ってた事にも、おかしなことって沢山あって、お母さん気がついて、ちょっと見方が変わったの」


 梓は、最近思い当たることがあった。


 進路説明会や、合唱コンクールの参加などを決める際、担任の先生が熱心に勧めてくれるのを一緒に聞いていて、母が言った。


「今はネットでも色々調べられますし、練習に出られていない合唱コンクールの方も、無理して出ることもないと思いますので、持ち帰って本人に決めさせますね」



 あの時が、あれ?と思った初めだった気がする。母の考え方が、何となく柔らかくなったような気がしたのを。



「あなた、部活でなんかあったよね?」


 そうだ、春休みから参加し始めた部活でも、ちょっと色々あったのだ。


『学校に来ないでレギュラーなんかおかしいでしょ?』


 新学期が始まっても、相変わらず部活にしか出られなかった梓は、部活だけは、とがんばっていたのだが、春季大会の、部内選考会を通って、100mの3枠に梓が入った。それをよく思わない子達にやっかみを言われたのだ。


 その次の日から、梓はストンと部活にすら行けなくなった。3年の担任からは、週に1度は放課後面談というかたちで登校しましょうということで、落ち着いている。


『理解のない人なんて絶対にいる。でもね、自分の出来る範囲で頑張ってる人に、負けたからってそんなこと言うのおかあさん許せなくてね。事情聞きに行ったの。部活の前田先生はね、集団生活なので、そう言う子はやっぱり出てくる。気にするなというのも難しいのはわかってるけれど、特別扱いも出来ないから、それは指導ではどうにもできないって』


 そんなことがあったとは知らなかった。


『でもね、誰に言われるわけでもなく、梓が前向こうとした時、お母さんうれしかった。だからさ、梓は大丈夫って思ったの。きっと自分のことは自分で決めていける時が来るって今なら信じられるよ』


 梓はハッとした。母は梓をみて頷いた。


『うん、あんたは大丈夫、いつかきっと自分で動き出す。急がなくてもいい。お母さん待ってるよ』


 泣きそうになった梓は、レモンスカッシュを一気に飲み干そうとして噎せた。


『やだっあんた何してんの!?』

 母に背中をさすられて、噎せながら、泣いた。


『あなたは大丈夫』


 母に、そう言って欲しかったんだと、その時わかったのだ。



「良かったね」


 ハナは、すっかりみなづきを食べ終わって、ニコッと笑った。


「うん」



「ああ、そろそろ遥人達のとこ行きなよ」

 茅の輪をくぐる順番がそろそろ来そうだ。


「あ、ほんとだね」


「遥人によろしくね。ありがとうって伝えて」


「もう、行くの?」


「うん。ここで見てるから、梓が行って」

「……わかった」


「じゃあね、梓。元気でね」

「うん、バイバイ、ハナちゃん」


 2人は手を振り会うと、梓は背を向けて参道へと歩いた。途中振り向くと、ハナがまだこちらを見送ってくれていて、大きく手を振った。


 同じように大きく手を振り返しながら、梓は思った。



 もう、ハナとは本当のお別れだ、と。




 何故か、それがわかった。航也にハナが見えなかったように、自分も、もしかするとそうなるのかもしれない。


 それは寂しいけれど、必要なことなのかもしれない。


 梓は、じわりと込み上げてくるものをぐっと耐えて、ハナにもう一度大きく手を振ると、思い切って背を向けた。参道の方へと歩き出し、もう、振り返らなかった。

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