【8】託された手紙
里道を片方の不自由な足をびっこ引いて、走ってくる若い母親がいた。息を上げて、背中の赤子が揺れすぎないように小走りだが、道端のお地蔵の前に、ひとつのカゴを見つけて、息を整えるために膝に手を着いた。
上に被った布を避けると、カゴの中には柿が5つと、その隙間に、古ぼけた折り鶴が置いてあった。
「やっぱり……」
その折鶴を手にした茜は、その場に溜息をつきながらしゃがみこんだ。
晴樹だ、と茜は気がついた。懐かしさに胸が痛む。
嫁いで2年。ようやく泣くことを辞めた。背に背負った半年になる赤ん坊は男の子で、後継をよく産んでくれた、と家の一員として大事にしてもらっている。
折り鶴を見つめた途端、色んなことが胸に戻ってきた。
元治と、雨の中ひとつの傘で歩いたあの日のこと。家に着くと、晴樹が嬉しそうな顔で出迎えてくれたこと。食事の支度をしながら二人の楽しそうな声を聞いて、幸せな気持ちになったこと。
『ここ、難しいな』
『貸して』
『よく見ててね』
『うん』
晴樹が難しいといった折り鶴の羽を作る過程を、片側だけやって見せた。1度縦に折りジワをつけて、袋を開くと、そこまで難しくなく羽根が作れる。
『あー、そうしたらいいんだね』
晴樹は1度見せただけなのに、とても上手にそれを作りあげた。
『凄いね、上手!』
『任せてよ!僕天才!』
胸を張った晴樹に、茜は笑った。ふと、見ると、洗い物をし終わった元治が、目を細めてこちらを見ていた。目が合うと、その瞳が優しく揺れた。
あの時だったんじゃないか。それまで気が付かなかった自分の気持ちが表面に出てくるようになったのは。
そこまで思い巡らせて、鳥が飛び立った音にビクリとした。我に返ると、その柿のカゴをそっと持ち上げた。
「重かったでしょ?晴樹君」
涙が流れた。
「会いに来てくれたんだね」
『あの子は、茜ちゃんの事大好きだから、大きくなっても友達でいてあげて欲しいんだ』
元治はあの日、そう言った。いずれ自分が出征して帰らないこともちゃんと考えてたのだろう。
元治の実家に、せめてお礼の手紙を送りたかった。晴樹にありがとうと伝えたかった。だが、その後すぐ、2人目の子供を授かっていることに気が付き、1度目よりもずっと悪阻が酷く、起き上がれない日々が続いて、やがて年が明けてしまったのだ。
***
「本当にごめんなさいね」
茜は、長い昔話の後に、しわがれた声で言った。
──僕もあの後から、家にいる時は仕事を手伝ったり、なかなか遊んでも居られなかったから、忙しくてすぐに忘れたよ。だから気にしないで──
茜は手にした手紙とは別に、白い封筒に入った手紙を、遥人に渡した。
「中にね、晴樹君のお父さんから貰った櫛が入ってるの。色んな人の手を渡って私の所へ来たけど、最後は晴樹君が持つべきじゃないかな、と思って」
「沢山切手を貼ったけど、足りるかな?郵便局に行くのもむつかしくて何ヶ月もそのままなんだ。出来たらポストに入れてきてくれないかな?」
「室井の住所、よく知ってるね」
遥人が言うと、
「母にね、亡くなる前に預かってたからってこの手紙を貰ったけど、その時に住所もね聞いてたの」
茜はふう、とため息をついた。
「お願い出来るかな?」
「任せてください、必ずおじいちゃんに届けます」
「あら、あなたは晴樹君の?」
「曾孫です」
「まあ、嬉しい。頑張って生きてたらそんなこともあるのね。ハナちゃん」
「うん?」
「ありがとうね。未来の梓にも、よろしく伝えてくれる?」
「うん、わかった」
──茜ちゃん、ひとつ聞いていい?──
晴樹が言った。
「なあに?」
──幸せだった?──
晴樹があの日神社で願ったように。大好きだった人が、笑って生きていけるように。
「お陰様で、長く生きてきましたけど、とってもいい人生でしたよ」
──そうか、それなら良かった──
遥人とハナは、二人の会話をじっと聞いていた。
茜と別れて、2人は歩いて隣町の郵便局へと向かう。
「遥人、疲れてない?」
「疲れた」
「ごめんね、わたしもあんたから生気を貰ってるから」
座敷わらしは、家から離れると薄れるので、生身の人間から少しずつ生気を貰って保つらしい。
「ほえー、そんなことが出来るんだ」
もう、ハナが妖怪でも幽霊でも、どってことなかった。
郵便局に着くと、中に入って、重さを見てもらい、表に貼った切手で送料が足りることを確認すると、ポストに入れて、ミッション完了となった。
ハナと遥人は神社へ向かった。消防小屋のそばには変わらず水の貼ったバケツがある。
そこを覗き込んでビックリした。
「兄ちゃん!?」
「手を触れてみて」
ハナが言う。頷いて、ハナともう片方の手を繋ぐと、晴樹は、バケツの水へ手を伸ばした。気がついた航也が同じように手を伸ばして、水面に触れた。
水面に斑紋が広がる瞬間。
あの強い光が当たりを包んで、遥人は目をぎゅっと閉じた。
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