【6】茜と晴樹

「遥人くーん!」

 辺りが薄暗くなってきた時刻、梓は遥人を探すために社務所を飛び出した。屋台の明かりなどで、まだ比較的明るいと思っていたが、一本道を外れると、既に青みがかった空間に、木の影が黒く影になって映っている。


「も、戻ろう」


 薄暗さに不安になって、明かりのあるほうに引き返そうとした視界の端に、なにか白いものが見えた。


 目をこらすと、消防小屋のそばに袋が2つ置いてある。梓はそっとそれに向かって歩き出した。用水桶の蓋の上に置かれた袋には、みなづきのパックが3つずつ入っていて、片方の袋の1番上のパックに、ひとつだけみなづきの入ったものがあり、バランスを崩して袋から崩れてパックが袋の外に落ちていた。それに手を伸ばしかけた時、


「中森!」


 林の入口から航也が追いかけてきた。


「先輩!おじいさんは!」


「呼吸安定し始めたんだよ、紗栄ばあちゃんが、女の子1人じゃ心配だからいってこいって……」


 言いながら、梓の側までやってきて、みなづきの袋を見下ろす。


「これ……」


「さっき、遥人君がおじいさんにお使い頼まれてたの。五つ買ってきてって言われてたから……」


「さっき屋台行ったら、おまけも渡したっておばさんが言ってた」


「じゃあ、やっぱりこれって」

「ああ、遥人のだろ」

 2人は周りを見回す。



 そばには、赤い消火用のバケツに水が張っているだけだった。その桶を覗き込んで、梓はハッと息を飲んだ。


「どうした?」


 水に映るのは自分の顔ではなく、知っている人物の顔だった。


「……ハナちゃん!」


ハナは父の実家の家に住み着いていた、座敷わらしだった。子供の頃とこの春先と、二度、梓はハナと会っている。そのハナは、その家の建て替えの際、梓の目の前で居なくなった。もう会えないと思っていた相手だった。


「何だこの水……」

 航也がバケツをまじまじと見つめた。ハナの隣には遥人が居る。そしてもう1人、遥人と似た子がいる。


「遥人!」

「遥人くん!ハナちゃん!」


 遥人ともう1人の男の子は手を繋いだ。ハナが間に入って三人は輪になり手を繋いだ。


 ハナの身体から桃色の気炎が立ちのぼる。三人の姿がふ、と消えた。



「どこ……どこいったんだよ!」


 航也の額に脂汗が浮かんだ。


「遥人!戻ってこい!」



 ***




 ハナと繋いだ手は暖かく、晴樹の手はひんやりしていた。

 強い光に包まれる瞬間、航也が自分を呼んだ気がした。体がふわりと浮いたかと思うと、今度はずんっと重たくなった。


 辺りの風景が変わった。午前中の柔らかい光が畳の上に差していた。セミが鳴く声がする。風鈴の音と、仏間の線香の匂い。


「大丈夫?気分悪くない?」

 座り込んだ遥人を引っ張りあげようと手を伸ばしたのはハナ。遥人はその手を取りながら、立ち上がった。


「ここはどこなの?」

 窓の外をそっと見た。庭の日当たりがいい所に梅干しが干してある。


「さっき見てたお部屋、茜さんの」


「ああ!手紙の?引き出しは?」

「ああ、勝手に持ってくのはダメ。ちゃんと本人と話さなきゃ」

「でも知らない人だよ?」


 言った自分の中から、何かが聞こえた。


 ─遥人、大丈夫だよ。私はお前と同じ歳の頃までは茜さんとよく会ってた。きっとお前の姿を見れば……─


「うん、そこが頼みの綱だよね」


「え?さっきの子は?おじいちゃんは?」

「あんたの中にいるの。言ったでしょ?魂が弱まってるって」

 ハナと押し問答してると、隣の部屋の障子が開いた。遥人はビクッとした。


(どうしよう!不審者って思われないかな!?警察呼ばれたらどーすんの!?)


 慌てふためく遥人の肩を、ハナがそっと触れた。

「大丈夫」

 小声でそういってる間に、隣の部屋との間の襖が開いた。


「あら、ハナちゃん、久しぶりね」


「おばあちゃん、久しぶり」



「え?」



「その子は?また違う座敷わらしが来たの?」


「ざしきわらし!?」


 遥人はハナを見た。そういえば、だ。ハナの服装は最近の子達が着ているような量販店の洋服ではなく、どこか手縫いのような開襟シャツに、スカートもよく見れば夏物では無い。


 なにか違和感を感じていたが、そういう事か!いやいや、ざしきわらしって、妖怪だろ!?なんでこのおばあさんには見えるの!?こんなことってある!?



 遥人の中で押し問答が溢れそうになる。


「あれ?あんた……」


 茜さんは、ふと遥人に気がついた。そして遥人を見つめながらこっちに来ると、ハナに向き直った。


「いつかみたいに、つれて来てくれたの?ハナちゃん」


 遥人を見下ろす、茜のシワの深い目が、キラッと光った。


「誰だかわかるの?茜さん」



「忘れるわけないだろう?大切な人の子供だもん」


 茜は、そばの1人用のソファの肘掛に手を着くと、そっと座った。


「ごめんね、最近長く立って居られなくてね。そろそろお迎えかもね」


 遥人とハナは顔を見合わせる。


「晴樹君、だよね?」


 ──茜ちゃん──


「ごめんね、晴樹くん。私、あの人に頼まれていた約束を、守れなかったの」



「約束?」



 そばの机の引き出しを開けた茜は茶色く変色した封筒を引っ張り出した。



「これはね、出生前にあの人が書いて、戦死したあと、戦友の方が実家に届けてくれたものを、晴樹君のおばあさんから私の母へ、そして私へと届いた手紙なんだよ」


 ──うん、戦友の人が来た時に、茜という人に、って持ってきてたの、知ってるよ──


「終戦の次の年だった。田舎だから食べるものはそこまで苦労しなくて済んだけど……治安の悪い時でね、親戚のやんちゃな男の子を子守りしてたから、目を離せなくてね」


 茜の目は遠くを見ている。



「まあ、ちょっと、お話、聞いてくれるかな?」



 ──ああ、私の話も聞いてもらいたい──



 晴樹が言うと、茜は頷く。



 ──あの日は、もう秋が深まった頃で、刈り入れが済んで冬の支度に入る頃だった──


 晴樹の記憶の景色が、遥人の脳裏に浮かんだ。


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