【2】傘が繋いだ縁

 翌日の放課後。

 『せっかく早く帰れるんだから、校庭で遊ぼうぜ!』

学校が早く終わるのが嬉しくて仕方ない様子のゴウくんが誘ってくれたけど、遥人は断った。


 学校が終わると、遥人は例の傘を持って図書館へと向かった。昨日借りた本を、入口近くの席に座って読見ながら、昨日会ったお姉さんを待っていた。だが、本が読み終わっても、お姉さんは現れなかった。


 閉館時間は6時なのだけど、家には5時半には帰る約束を親としている。5時を指した時計の文字盤を恨めしく睨みつけ、遥人は仕方なく、星くず柄の傘を持って、図書館を後にした。


 次の日も、遥人は図書館へと向かった。その日はもう家庭訪問期間も終わっていたので、図書館に着いたのは4時頃になった。昨日と同じ席に座って、新たに借りた本を読んで待っていたが、その日もお姉さんは来なかった。


 さらに翌日。昨日までと同じように、入口近くの席でお姉さんを待っていた俺の目の前に、立ち止まる影があった。


「やっぱりここか」


 兄の航也がいた。夏用のスラックスに、襟に黒い縁模様と、学校のイニシャルが胸に入った、白いポロシャツ。スッキリと短く切った髪は黒くつややかだ。そばを通った、2人組の女子高生がチラチラ見ていくほど、兄は弟の遥人から見てもイケメンである。


「なんで兄ちゃんがいるの?」



「今日、部活休みだし。あと母さんが毎日お前がここに来てること心配してた」



 兄はそう言いながら遥人の隣の席に立て掛けられた星屑柄の傘をチラッとみて、弟の向かい側の椅子を引いて腰掛けた。せっかくの部活休みなのに、自分のためにここへ寄ってくれたのだ、と遥人はなんとなく面白くない気持ちだった。


「いいのに」


 本当は少し心細かった。傘の持ち主は現れないし。


「明日は雨だもんな」


 そうなのだ。天気予報によると明日は確実に雨が降る。もう一度会いたいが、今日会えなければ、カウンターに傘を預けて帰る必要がある。そうなればもう、あの人に会えない気がした。


「仕方ないな、俺も一緒に待ってるよ、そしたら6時までいても大丈夫だろ?」


「ほんとに!?」



 遥人は思わず大きくなった声に、口を手で抑えつつ、目を細めて笑う兄を見上げて笑った。


「そんなに綺麗な子だったの?その子」


「兄ちゃんも見たらわかる、俺ら好み一緒だろ?」


「生意気だな、小2のくせに」


 笑いながら兄は遥人のおでこを指で軽く押す。


 ふと、視線を感じてそちらを見ると、私服姿の黒髪の女の子が、こちらに背を向けて棚の向こうに消えた。


「あ!いた!」


 遥人は、隣に置いてあった傘を手に、小走りに追いかけた。後ろから慌てた兄が追いかけてくる。



「あ、あの!」


 なるべく小声で呼び止めると、そのお姉さんは振り返った。そして目を丸くした。

 後ろから兄が追いついた気配がした。そちらに目を移したお姉さんは、もっと驚いた顔をした。


 遥人は、思わず兄の方を見た。兄も狐につままれたような顔をしていた。


「中森……」

「室井先輩、……こんにちは」


 お姉さんと兄は知り合いのようだ。


「え?知り合いなの?」


 遥人は少し大きめの声を出してしまい、ようやく2人は遥人に目を移した。


「ああ、陸上部の後輩。俺、今日は部活休みなんだ。中森は?」


「ちょっと。……その、今日、学校休んでて」


 小さくなる声に、遥人が尋ねた。


「風邪?」


「ううん、ちょっと……」


 中森は首を横に振った。困ったように笑おうとしているが、あやふやな顔だった。



「あー、中森、この後ヒマ?」


 兄がなにかに気がついたように話を切りかえた。


「え?」


「傘、弟に貸してくれたの、中森だよね?こいつにお礼させてやって」


 ポン、と遥人の頭に骨ばった手が載せられた。遥人は傘を握った自分の、まだ小さい手と、自分の頭から肩に載せ替えた兄の手を見比べた。


「いや、そんな、大したことじゃ……」


 遠慮するお姉さんをみて、兄と目が合うと、お互いがにっと笑った。


「あのっ、おれ、中森さんともう少しお話したいです。ここじゃなんだし、そこの蕎麦屋で甘いもの食べませんか?」



 ***




 3人は図書館を出て、水車小屋のそばにある蕎麦屋へと向かった。そばだけではなく、甘味も置いているので、図書館に来ては、曽祖父とあんみつやところてんを食べたものだ。


 だが……


「あー、」

「あらあら」

「お休み、みたいですね」


 店のドアにあるプレートには臨時休業と書いてあった。3人は並んでため息をついた。お姉さんと兄の少し後ろから二人を見あげた。ほんのり頬を染めているお姉さんをみて、遥人はピンときた。


 コレは、あれだな。



 遥人は、年の離れた兄と、大人たちの中で育った事もあり、最近では少し難しい本も読むほどの読書家であるので、世の中の物事を、同年代よりもよく知っている。


 当然、色恋に関しても、多少は鼻が効くようになっている。兄と中森がお互いを何となく意識しているのは、直ぐにわかった。


「久々にここのあんみつ食いたかったな、残念」


「先輩、相変わらず甘いもの好きなんですね」


 少し緊張の解けた中森さんがくすくすと笑った。遥人は、中森の横にはられていたポスターに目がついた。


「じゃあ、今度これに一緒に行きませんか?」


 遥人は神社の水無月祭のポスターを指をさして言った。


 2人は遥人をみて、ポスターを見る。


「いやー、これさぁ」

 兄が少し乗り気では無さそうだ。


「中森、誰かと行く約束してるんじゃないの?」


「そうなの?」


「中学の子は大抵みんな行くだろ。……あ、でもあれか、隣町のビンゴ大会のある祭りが同じ日だよな?」


「去年から随分そっちに流れてますね、みんな」


 中森が言った。


「なら、どう?一緒に行ってくれる?」

 兄がそういった時の、お姉さんの目が潤んで揺れた。


「はい、私で良かったら」


 遥人は心の中でガッツポーズした。


「俺のケータイ、電話しかできないので、兄ちゃんとメールの交換をしてください」


 遥人が言うと、二人は照れくさそうに笑いながら、アドレスの交換を始めた。やはり兄も満更でもないのだろう、度々、お姉さんの顔をチラチラと見ている。兄がスマホを操作してる時は、逆も同じで、遥人はニヤニヤとした。


「中森さん」

 遥人は改まって背筋を伸ばした。


「カサを貸してくれてありがとうございました。とってもたすかりました」


 そう言って傘を差し出すと、中森は微笑んでそれを受け取った。


「お役に立てたなら良かった」


 その笑顔は優しくて、遥人は嬉しくなった。


「おれ、室井遥人と言います」


「私は、中森梓あずさ


「可愛い名前だね!梓ちゃんって呼んでいい?」

「うん、いいよ」

「やった!」


「じゃあ、中森、30日な」

 はしゃぐ遥人に目を細めて、兄は言った。

「はい」




 二人は、梓とそこで別れた。


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