【4】水無月祭 2

「もうすぐおじいちゃんは順番くるね、向こうまで一緒に行ってあげる」


 晴樹は、 遥人に手を引かれて立ち上がると、娘の待つ所までやってきた。


「あら、はるちゃん、来てたの?おじいちゃん連れてきてくれたんだ。ありがとうね。お兄ちゃんと来てるの?」

 娘、紗栄子は遥人の大叔母にあたる。親族の中で1番年少の遥人は、皆に可愛がられている。紗栄子にしても同じだ。自分の孫は既に高学年になっているので、まだ小さな遥人が可愛くて仕方ないらしい。


「うん!紗栄ばあちゃん、おじいちゃん、またね!」


 遥人は走って、航也達の元へ戻っていく。


「あらあら、女の子?はるちゃんはお邪魔じゃないの?」

 航也の隣の梓をみて、紗栄子は眉を八の字にした。


「まだ恋人じゃないらしいよ?誘ったのは遥人なんだと」


 曽祖父は、後ろを振り向いて3人を目を細めて見た。

 列がまた前に動いて、紗栄子と共に前に進む。


「さ、順番ね。お参りしたらみんなの分、みなづき買わなきゃ」


 もう60になる娘は、近くに嫁いで、既に姑達を見送っていた。自分の面倒を見に、時間を見て帰ってきては連れ出してくれてる。


 ありがたいことだ。


 一礼して、1度目の茅ノ輪をくぐった時だった。晴樹は周りの様子がおかしい事に気がついた。さっきまで夕暮れ時だったのに、あんなに沢山いた人はおらず、蝉が鳴く昼間の神社にいた。


「紗栄子?」


 呼ぶがそばにいた娘がいない。後ろに長く並んでいた人々もいない。


 ふと神社の入口に目を移すと、ひと組の親子がいた。男は国民服を着て、男の子は白いシャツに短パン。すぐに背が伸びるから、と大きめの服を着せられているのが遠目にも分かる。


『ねえ、どうして茜ちゃんと一緒に来たらダメなの?』


 男の子が、父親を見上げて言った。晴樹はそれを信じられない気持ちで見ていた。


『言ったろ?茜ちゃんは、もうすぐお嫁に行くのが決まってるんだ。許嫁以外の男の人と仲良くするもんじゃないんだ』


『男の人って、お父さんのこと?子供がいても?』

『そう』


『なんだ、残念。3人で、来たかったな、お母さんがいた時みたいに』


『いつか、晴樹がそうするんだよ。自分がお嫁さん貰って、その子供と一緒に』


 父は寂しそうに笑った。あと2週間もすれば、自分は父の実家に疎開させられる。


 父は、息子である自分の命を守るために、そう決めたのだ。



『父さんは、一人になるね』


『いいんだ』

 そう言って胸を押えた。


『大事な人はみんなここにいる。お母さんも、亡くなったじいちゃん達も』


『……茜ちゃんも?』


 なぜ、そう言ったのだろう。一瞬、父の表情がとても切ない歪み方をした。


 子供がいても、妻に先立たれても、人は誰かを愛そうとするのだろうか。


 幼い心に、その疑問が浮かんだ。



「お父さん、お父さん、しっかりして」


 身体をゆすられて、目を覚ました。


 耳に喧騒が戻ってきた。自分をのぞき込む人々の顔がいくつか。その中にひときわ心配そうな紗栄子の顔があった。亡くなった妻によく似てきたな、とぼんやりと思う。


「じいちゃん!」


 後ろに並んでた航也が、前で誰かが倒れたことを聞き、もしやと思い走ってきた。


「ああ、航也もいたか。すまんな、ふっと気が遠のいた」


「大丈夫ですか?気分は悪くありませんか?社務所でどうぞ休んでください」


 お祭りの責任者のおじさんが駆け寄ってきた。


「じいちゃん、俺におぶさって」


 航也がしゃがんで背を向けた。


「いいよ、歩ける、せっかく3人で来てるのに、お嬢さん待たせたらダメだろ」


 そうは言ったが、足に力が入らない。仕方なく社務所まで、曾孫におぶって運んでもらうはめになった。


 紗栄子は、車を近くまで乗り付けてくるから、と遠くにとめた車を取りに行った。


 航也は、みんなの飲み物を買ってくる、と外に出ていき、晴樹のそばには遥人と、連れの梓のみが残った。


「梓さん、と言ったかな?」


「はい、中森梓と言います」



「中森……中森と言うんだね?」

 なにか引っかかったが、それがなんなのか、頭がぼうとして上手く思い出せない。


「悪かったね、せっかくお祭りを楽しみに来てたのに」

 老人は、カバンから財布を出し、お札を数枚孫に渡した。

「遥人、悪いけど、このお金で水無月を5つ買ってきてくれるか?紗栄子、それどころじゃなくなっちゃったから」


「わかった!」


 遥人は立ち上がると、社務所の上がり口のところで草履を履いた。


「1人で行ける?」

 と梓が尋ねる。遥人は、梓に構われるのが嬉しくて仕方ないのだろう。笑顔で頷く頬が、はち切れそうだった。


 草履を履いて社務所を出ていった遥人の後ろ姿を、みて、先程見た不思議な夢を思い出した。


「ああ、ちょうど遥人位のときだったな、あれは」

「はい?」

 振り向いて聞き返した梓が、また近くまで来て、そばに座った。


「うん?いや、まあ、いいか」


 晴樹は、少し恥ずかしそうに俯いて笑った。


「わしのな、初恋のことだよ」


 と、梓に片目をつむって見せた。



 戦中、祖父母と母親を亡くして、父親と二人暮しだった晴樹の家に、時々届け物をもって、近くに住んでいた遠縁のお姉さんが来てくれた。晴樹はそのお姉さんが大好きだった。


 時折、お姉さんが笑い声をあげた時、その声が亡くなった母親に似ていて、それを見つめていた父の目が優しく細まったのを見た。父もきっと同じことを思っていたはずだと思っていた。


 そのお姉さんは既に結婚が決まっていて、ある日を境に家に来なくなってしまった。親父さんに止められたのだろ、と父は言った。


 父がそれ以来、何となく元気がなくて、心配していた頃、ちょうど水無月祭がある事を知った。


『茜ちゃんを誘ってもいい?』

 晴樹がそういうのを、父は頑として許さなかった。


「結局それが叶わなくて、父と二人で詣でたのだがな」


 その時の夢をさっき見たのだ、と晴樹は言った。


「航也は父と少し似ててな、ときどき錯覚するよ。だからあんたと遥人と三人が並んでるのを見て、そんな夢を見たのかもしれん」


「初恋、だったんですか?」


「ああ、あの頃はそんなこと気が付かなかったけど。

 父と茜さんが結婚してくれたらな、なんて思ってたくらいで。ただ近くにいてほしかった。そんなもんだよ、あの頃の初恋なんて」


 遠くを見つめるような目で、老人は笑った。


「あんたは、航也とは?」


「あ、私、航也さんの中学の陸上部の後輩なんです。実は高校も同じところを受けるつもりで……」


 ほんのり赤くなった梓に、老人はにっと笑った。

 視界の端に、戸口に立つ航也を確認した時、ほんの少し悪戯心が起きた。


「梓さんは、航也の事、好いてくれてるんだな」


 梓の目が見開かれた。その後ろで航也がハッとして居心地悪そうに目を逸らした。


「あ……あの……私は」


 パクパクと口を開け閉めした梓は、次の言葉を紡ごうとした。


「お待たせっ!」


 後ろから航也が声をかけた。振り返った梓は真っ赤になった。その顔を見た航也も耳が赤い。



「どれがいい?」

「じゃあ、お茶で。ありがと……ございます」

「……おう」


 航也はジロっと曾祖父を睨んだ。余計なことするなよ!というような目で。


「あ、開かない……」

 キャップが固くて開けられない梓に、航也はふっと表情を和らげた。


「貸してみ」


 梓は申し訳なさそうに、そして少し嬉しそうに、ペットボトルを航也に渡す。ギリっと音を立てて蓋が開いた。


「ありがとうございます、先輩」


「どういたしまして」


 ここに老人がいること、忘れてるな?晴樹は2人のやり取りに当てられた。たどたどしく、初々しい。若いとは眩しいものだ、と。


 どうやら、お互いが満更でもないのだな、と老人は2人を見つめて目を細めた。

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