本当に偉いって何でしょうか。これを読んでまた考えさせられます。
世の中には偉そうにしている人がいっぱいいます。いい服を着て、高級な車に乗って、高そうな食べ物毎日食べて、ブランドのバッグを持って、そして大勢の人に傅かれて、……そういう人がえらいと、綺麗事ではなしにそういうふうに思われるのが現実です。そして事実そうです。
友達がこんなことを言いました。その人の価値が本当に出るのは死んだ時だと。どんなに偉そうにしても死んだ時心から悲しむ人が何人いるか、跡継ぎの社長の義理で葬式には大勢来ても本当に泣いている人はどれだけいるか。
しかし世の中のこんな尺度は、ケンタのような、そしてトオルのような少年たちには通用はしない。彼らは自らの感性で本当にすごいと思った相手にしかその凄さからくる敬意を表すことはないだろう。
ぜひこの小説を読んで、本当に偉いとはどういうことなんだろうかと、一人ひとりの読者の方が考えてくれることが、とても素晴らしいその後の人生に与える影響も大きいと思います。少しでも、その偉さの実践に繋がる未来を、読者の方々に感じてほしいと思います。
主人公は小学2年生のケンタ君。
小生意気な感じと口の悪さが気になりますが、根は優しい子です。
彼の近所には、ボサボサの白髪頭に、白いチョビ髭を生やしているおじいさんが住んでいます。どうやら最近になって引っ越してきたようなのですが、両親はケンタ君に「その人に近づかないように」と言い聞かせます。得体の知れない人が住み始めたので警戒していたのです。
しかし、ケンタ君はある出来事をきっかけにおじいさんと話すようになります。するとおじいさんが只者ではないことが分かってきます。彼に疑問に思うことを尋ねると、雑草のことも、化石のことも、民族のことも、言語のことも教えてくれるのです。
ケンタ君は興味のままにおじいさんと話をするようになり、だんだん親しくなっていくのですが……、果たしてどんな結末が待っているのでしょうか。
私はこの作品を読んで、子どもの教育とはこうであると楽しいのではないかなと思いました。教育の理想を掲げるのは難しいですし、何が正しいということもないのかもしれませんが、子どもの興味があるものに対して、大人が寄り添い、時に共に考え、教えるということが、一番「学び」を楽しくさせてくれるのではないでしょうか。
タイトルの問いも含めて、色々と考えながら読んでみてほしいです。
ヒトの祖先も生まれていない時からずっといままで繋がり残される、
命は人ばかりでなく全部にあるんだよ、どれが偉いと言うものでもないんだよ。
-------------------※「『偉いってなんだ』著:@Teturo氏」より抜粋
主人公・小学二年生のケンタ君のようにありたいとおもいます
またその心を育てる周りの人物たちのように。
偉ぶることは偉くない、おそらくはたくさんの人が心地悪く感じている気持ちを
土が抱く花のような化石からも、やさしく深く伝え、ほぐしてくれる。
こどもたちへ、世界のなりたちを明るく面白く読ませてくれるこの小説を
おとなにこそ読んでほしいと思いました。
時をながく超えてその場所で、人を愛おしむ桜木の存在のように
見護られていると感じる、美しいメッセージを伝えてくれます。
「知る」というのは何だろう、それは情報を得ることなのか――。
「偉い」というのは何だろう、それは――「知る」という意味を、価値を、人に教えられるということではないだろうか――。
……そういうことを、つい考えてしまうお話です。
かーちゃんの下あごに梅干しが、みたいな、わかるわかると言いたくなる表現でつづられる、そのかーちゃんの息子視点のこのお話。
何となくノスタルジーを感じつつ、その「知る」を教えてくれるジーサンに「偉い」の意味を「知る」……そんなお話です。
誰もが直面する、「知る」って何だ、「偉い」って何だに、ひとつの答えを与えてくれるこのお話……あなたもぜひ読んで、「知る」や「偉い」って何かを、考えてみませんか?