1・予知夢と呪い
今朝も機嫌悪く起きた。アラーム前に目が覚めることが習慣になっていたはずなのに、最近では日が昇ってから起きる日々が続いている。
小さく舌打ちをし、長いため息をつく。男は頭を掻き、一度枕に顔を埋めた。
マル暴――警察の仕事を停職になってから、機嫌良く目覚めたことなどない。
リビングの入り口に立つと、なにやら細い華奢なシルエットがごそごそ、うろうろと動き回っている。難しく眉をひそめて、少年とも見まごう童顔の青年は、餌にゆっくりと近づくカメレオンのようにフローリングを這っている。
全体的に白くて、生っちょろく細い。縄分にとっては頼りないクソガキとしか見えないが、世間の評判としては「見目がいい」らしい。
縄分は眉をひそめ、スマートフォンの時計を見る。依頼がなければいつもはまだ、さらに昼近くまで眠っているはずだ。
「……うーん」
青年は喉をしぼるようにして唸っている。虫を狙う、息を潜めた猫かそういう肉食獣にも似ている。
「なんだ、珍しく静かだな」
縄分は目つきの悪い目をさらに細め、その様子を怪訝に見る。手伝うこともせず、キッチンへ行き、コップに水を汲む。
「珍しくってなにさ、僕はいつだって深窓の美青年なんだけど~?」
青年は口を尖らせ、深窓の美少年とはほど遠い口ぶりでそう言った。
「フン、呪い屋が」
縄分は鼻で笑う。
このふざけた名前が目の前の青年の名である。縄分が「呪い屋」と呼ぶのは、名字の異様さだけではない。
「あのさあ、僕が呪術師ってことと僕の美しさは関係ないよねえ。いくら縄分さんの顔がつり目で地味でいかついからってさあ。何かにつけて僕のことバカにするのやめてよね」
四蓮は自分の耳たぶを触りながら、綺麗な形をした眉をつり上げる。
そうなのだ。この青年は呪術師である。嘘のような話だが、縄分は胡乱な事実を認めなければならない。何度もそういう場面を目にしている。
当人も常にヘラヘラとして掴み所のない性格をしているのだが、今朝は随分と苛立っているようだった。
「随分今日は機嫌が悪いな」
「まあね」
「依頼がないからか?」
「別にい。そういうんじゃない」
四蓮は眉を上げ、ごろりと寝転がってため息をついた。
「廃業しちまえ、やっぱり田舎のネズミに都会の探偵は無理な話だ」
縄分はコップをシンクに置き、また小さく馬鹿にする。
この青年は、呪術師を認めていながら、「探偵」であることを生業――としようとしている。居候の分際で、と縄分は思う。
何の縁だか、それこそ妙な呪いか、親戚でも何でもない年の離れた他人を家に置いている。勝手に助手と認定され、家を提供する羽目になった。ふと思い返せば異常だ。もう慣れてしまった自分が恐ろしい。縄分は遠くを見ていた。
「だから、ちがうって言ってんじゃん。縄分さんて本当に機微がわかんない人」四蓮はソファへ移動する縄分にクッションを投げつける。「それでよく警察やれてるよね。あ、もう辞めたんだっけ」
「辞めてねえ。ぶっ殺すぞクソガキ」
縄分はクッションを投げ返すが、四蓮は器用に両足でキャッチした。
「あーあー出てるよ、マル暴節。やめてよねそれ。うるさいし、物騒だし、通報されるよ? てか僕がするよ?」
四蓮は身体を勢いよく起こす。饒舌になりはじめた。ヒートアップしてきている。縄分は眉間の溝を深くした。このガキは喋り出すと人の癇に障ることしか言わない。そうなるととても面倒だ。イライラしてくる。暴力に訴えるのが手っ取り早い。
「この……」
縄分が四蓮の胸ぐらを掴もうとした瞬間、インターホンが鳴った。二人は顔を見合わせる。
「んん、何だろう」
「お前のウーバーじゃないのかよ」
「今日はまだ頼んでないよ。宅配便かな。縄分さん出てよ」
「てめえが出ろ」
しばらくにらみ合い、どちらともなく拳を振りかぶり、力強いじゃんけんが繰り広げられた。結果は四蓮が負けを引いた。
「はいはーい」しぶしぶといった様子で脱力した四蓮がインターホンの受信機に向かい、インターホンの映像を見る。そこに映る姿に四蓮は大げさに首を傾げた。
「え、誰?」
縄分さんの知り合い? と四蓮の声に、縄分も寄る。見知った顔ではなかった。警察の身内でも、過去出会った半グレや暴力団員でもない。どちらかといえば四蓮の知り合いではないか、と思える出で立ちの青年が立っている。つまりは縄分にとってみれば、「チャラくてナヨい若者」というタイプだ。改めて四蓮に目を向けるが、首を横に振るだけだった。
「……はい」
縄分は通話ボタンを押し、訝しげに声をかける。
「ここ、『呪術探偵』さんって、いらっしゃいます?」
青年はにこやかな笑みを崩さないまま話した。
四蓮と縄分は顔を見合わせる。
確かにここを事務所――拠点としてはいるものの、住所を公開したことはない。依頼を受けるときも、近所の図書館の休憩スペースを待ち合わせの場所にしている。
それなのにこの男は、顔も見ないうちに『呪術探偵』と言い放った。
「……あんた、誰だ」
縄分は低めた声で尋ねる。
「依頼人です」
「依頼なんて、何も連絡来てないけど?」
四蓮が口を挟む。
「ええ、アポなしで来ましたから。まずは直接会ってみたくて」
青年は当然というように微笑む。
再び、四蓮と縄分は目を合わせて小声で話す。
「尾行された?」
「何のために」
「さあ。縄分さん、因縁が多そうだし」
「お前もな。ネットの変なリンクに反応しまくりやがって。何で変なところでネットリテラシーがねえんだ」
「だってなんか依頼に繋がるかもじゃん?」
「その結果がこれか」
縄分は吐き捨てるように言う。休職中でも警察の人間としては、面倒ごとが犯罪に結びつくことこそ面倒だった。
「あの、違うなら帰りますけれど」
青年はまたインターホンを押した。
「いや、待ってよ。何でうちが探偵だって?」
四蓮が慌てて受話器に向かう。青年は少し面食らったように目を瞬かせ、逡巡した様子を見せてから人差し指を立てた。
「推理してみては?」
「…………」
四蓮はゆっくりと顔を縄分に向ける。さび付いたブリキのような大げさな動作とともに目も大きく見開いていく。
「こいつムカつく!」
「相当だな」
縄分は扉を開けた。あっと四蓮は声を上げ、扉の向こうで青年は少し目を見開き、微笑みを見せて会釈した。
「ラチがあかない。中にどうぞ」
「ありがとうございます」
青年はより深くお辞儀をし、狭い玄関に足を踏み入れた。
「名前は?」
「夢河といいます。夢河叶羽」
青年――夢河はまた軽く微笑んだ。その三日月に細めた目元に浮く涙袋は、うっすらと隈がかかっていた。
「本当にお前の知り合いじゃないのか。なんか似てるぞ」
縄分は簡素なキッチンでドリップのコーヒーを作りながら、リビングで待つ夢河を見やった。その視線をちらと追い、四蓮は不満げに頬杖をつく。いつもは依頼と聞けば前のめりのくせに、どうやら今回は乗り気ではないらしい。
「はあ……? どこが」
「全体的に。まあ彼の方が礼儀正しそうだが」
「そりゃ好きなブランドは一緒っぽいけど。てかそれあれじゃない、アイドルみんな同じに見えるおっさん現象じゃん」
「おっさんで悪かったな」
「ん? アイドル……?」
縄分の睨みを無視して、四蓮はスマートフォンのカメラを夢河に向けた。写真を撮ったかと思えば検索をかける。
「あんたどこかで見たと思ったら! それにその名前、夢河叶羽ってあのォ?」
「ああ、知ってますか? 光栄です」
「あのって、どのだ」
「YouTuberっていったらいいのかな? 『予知夢アイドル』っていう売り文句でやってんのよ。甘いマスクにおスピは映えるからね、結構登録者数いるよ。ムカつくからちゃんと見たことないけど」
「同業か、お前と」
「違うよ、僕は呪術師。でもまあ、そりゃすることもあるよ、予知夢も」
「呪井鴨さんは予知夢もなさるんですね。いつかコラボしたいなあ」
「あんたまさか、僕が呪術探偵だってわかったのも予知夢だっていうつもり?」
「ええ」
淀みのない返事だった。
「ふーん、じゃあ依頼ってのも自分で解決したらいいんじゃない?」
四蓮は素っ気なく、言い放ち、そっぽを向いた。
「おい、どうした。いつもは止めても依頼を受けるだろ」
縄分が咎めるように耳元で尋ねた。依頼のある人間に対して、最初からトゲのある態度を見せているのは見たことがない。
「詐欺師だったらヤだから。ヤラセに加担しろって依頼だったらお断りだぜ」
四蓮の呪術は本物である。だからこそ警戒をしているのだろうか。
にしては、単に「気に食わない」だけのようにも見えるが――縄分は半々で言い分に納得した。
「お見せしましょうか」ふっと四蓮の指先に触れ、夢河は瞬く。瞼にうっすらとラメを塗っているようだった。「――予知夢を」
三者の間にたっぷりとした沈黙が流れあと、四蓮は口を開いた。
「……そこまでいうならしてもらおうか」
夢河は笑みで答える。
「スプーンをお借りできますか? 少し重いものがいい」
*
うっすらと瞼を落とす。彼の視線の先には夢河の要望に応えた重いスプーン。指先で優しく挟むような、不安定な持ち方だ。カーテンは閉められ、隙間からのぞく薄い光が夢河の瞼のラメの粒を照らしている。
絵になる。縄分は腕を組み、距離を取って絵画のような――というよりもパントマイムのようにピッタリと動かなくなってしまったその姿を見つめていた。そして隣でむすりとしている、もう一人の美しい青年に目を向ける。しきりに耳を触る四蓮のその視線もまた、相手からぴくりともそらさない。
「なに」
「……いや」
勘が鋭いのか、視線は感じ取れるらしい。だがいつもの軽口は返ってこなかった。縄分はそれ以上会話を続けることもなく、再び意識を夢河に戻した。
予知夢――ということは、まず眠らなければならないはずだ。夢河の様子は眠っていると言えるのか。顔は伏せられ、すでに髪に隠れた瞳が閉じられているのかは、縄分の位置からは確認できない。
「あれが夢河のパフォーマンススタイルだよ」
ぼそりと四蓮が口にした。
四蓮の話によると、夢河叶羽が動画内で予知夢を行うルーティンらしい。
「ダリかよ」
四蓮は半笑いで口にした。
こいつの発言にいちいち疑問を持つと尽きない。縄分は無視をすることにした。
夢河はゆらり、ゆらりと頭を揺らし始めている。船を漕ぐ、というよりは、揺り戻されるヤジロベエのようだ。大丈夫だろうか、と縄分が近寄るべきか迷ううち、夢河の指先のスプーンが落ちた。
妙に緊張した空気が流れる。縄分は床に落ちたスプーンに目を向けて、少し四蓮を見た。彼は少しして、縄分を見返す。
「見えました」
夢河は浅くあくびをして、スプーンを拾い上げる。目覚めの顔はどこか神秘的にも思える面持ちで、スプーンの凸面を見つめている――ようで、どこも見ていない。
「何を?」
四蓮の問いかけに、夢河はスプーンを差し出し、口を開いた。
「虚空を開けた真鍮は柔らかな毛皮の波を通り抜け、綿の王冠に静かに眠っている」
沈黙が降りた。
長い、沈黙が続いた。それは驚嘆や畏怖ではない。珍妙と言えばいいのだろうか。
「………………は?」
随分と低い声を押し出し、疑問符が見えそうなほど顔をしかめる縄分が四蓮の方を見る。
「どういう意味だ」
「いやいやいや、わかんない、知らん」
四蓮は首を大きく振った。なんだこの謎ポエムは。いやなにかしら、予言だろうか。
「以上です」
夢河はスプーンを縄分に手渡して微笑む。
「お前が異常だよ。ああ、そういや切り抜きこんな感じだったなあ」
四蓮は耳たぶを触っていた手をそのまま頭に持って行き、厄介な……と髪を乱した。
「なんなんだ、結局」
スプーンを片付け、縄分は夢河の前に腰を下ろした。
「それはあれか、酒か薬をやってんのか」
「違います。シラフです」
「素面でそんなことやってんのか」
「やってます。特技ですし、仕事なので」
「仕事なのか。これが」
「配信者活動に理解ない父親?」
四蓮は思わず口を挟んだ。
「あはは。よかったら動画、見てください」
スマートフォンを差し出し、夢河は二次元コードの画面を見せる。
「いつでも連絡してください」そう微笑む。「探偵さん、あなたの夢にお邪魔しました。よく考えればわかるはずですよ」
「……はあ」
四蓮は不承不承といった様子でコードを読み取った。夢河のチャンネルと連絡先がまとめられたサイトが表示される。
「今日は帰ります。少し疲れました」
そう言い、彼は立ち上がる。
「顔色が悪いな」
「大丈夫です。今日はオフなので」
縄分が支えようとすると、夢河は手で制して玄関へ向かった。
「では探偵さん。また改めて」
夢河は彫像が笑ったような印象を残して去った。
再び沈黙が訪れた。探偵たちは互いに顔を合わせたが、言葉は発しなかった。何だったのか、と感情だけは揃っているだろう。
「ん。メッセきてる」
四蓮は端末の画面を見る。
「仕事か?」
「どうだろ。有子ちゃんだ」
願井有子――最近知り合った女子高生だ。「不幸の手紙事件」の依頼者だった。
「…………」
「スマホを見ながら歩き回るな」
ウロウロとする四蓮に、縄分は呆れたように声をかける。すぐに返事はなかった。
「毛皮の波」
四つん這いになり、四蓮は獲物を探す猫のように、カーペットの上を見渡す。彼の陣取っているスペースのものは少し厚手で、ふわふわとしたさわり心地だ。
「綿の王冠」
すうとカーペットを撫でる。そして、弾き飛ばされている彼の枕の下に手をやった。
思い当たったように目を見開き、四蓮は振り返った。
「……なんだよ」
「あいつ、マジで何?」
四蓮の指先持たれているものは、片方の耳についている真鍮のピアスと同じデザインのものだった。
縄分はようやく、彼がしきりに触っていた耳は、小さな穴が開いているだけだと気がついた。
「有子ちゃんの話を聞きに行こう」
四蓮は立ち上がり、いきおいそう口にした。
「は?」
「あいつと関係がありそうだ」
そう示したトーク画面の一文には、夢河叶羽の名前が入っていた。
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