7-1不幸
ついに七日目だ。寝なければ明日が来ない、なんて理屈は通じない。朝は来るし、学校はある。
有子は部屋のカーテンを開けて、よく晴れている空を見た。不幸など待ち受けてはいなそうだ。だがそんな因果関係は、フィクションの中の話で、現実はいつだって脈絡がないアクシデントが待っている。
学校を休む、という選択肢がちらりと浮かんだが、体調が悪いわけでもない。まさか「不幸が怖いから」なんて理由で休むことはできない。有子は微かな不安を抱えながらも、いつも通りに通学路を歩いた。
徹夜明けには厳しい日の光に晒されていると、やや具合が悪いような気がしなくもない。
「おはよう」
隣からした声に身を縮め、有子は振り返った。日差しの中に見る憧れのクラスメイトの姿は、さながら青春映画のワンシーンのようだ。
「大丈夫? 願井さん、顔色悪いよ」
「須藤くん……」
有子は目を擦り、うっすらクマの浮いた顔を伏せた。視界の端に、須藤が隣に並ぶのが見える。どぎまぎとしながら、有子はますます俯く。冷えていた頬が熱くなった。
「だ、大丈夫……ちょっと寝てなくて」
ぎこちなく答える。ちらりと横目に見ると、顔を覗きこむ須藤と目があって飛び退いた。彼は心配そうに眉根を下げていた。
「最近、元気ないから……それに昨日、変な人たちといたし」
「変な人っていうか……」
有子は視線を宙に上げ、曖昧に笑った。四蓮と縄分のことを言っているのだろう。確かに、改めて思い返してみると、「変な人」としか言えない。まさか探偵、とは思わないだろう。
「ていうか……昨日家の前に、いたんだけど、その、黒髪のでかい男の人」
有子の前に回り込み、須藤は真剣な面持ちでそう告げる。
「えっ」
「帰るの遅くなってさ、そしたら路上でばったり……すごい目があったんだけど怖すぎて、ごめん、注意も何も出来なくて」
おそらく縄分だろう。というか、なぜ家を知っているのか。いや……そう言えば、元警察なのだった。尾行をするにしろ、調べるにしろ、それが真骨頂だ。
「う、ううん、気にしないで。悪い人たちじゃないし」
「あの人たち、何?」
須藤は眉をひそめ、心配げに尋ねてきた。
「いやあ……ちょっとした、知り合いっていうか……」
依頼をしている探偵、ではあるのだが、出会いの経緯がSNSだ。有子は要領がよくない。順序通りに話さなければ、説明をするのが苦手だ。より怪しまれてしまうかもしれないし、それは依頼している側として、申し訳ない。
「何か困ってることがあったら、言ってよ」
須藤はじっと有子を見つめる。
「……う、うん」
有子は赤くなる顔をどうにか誤魔化したかった。須藤は近所のよしみで、ただ親切で気にかけてくれているだけなのだ。四蓮が言うような好意ではない。
——四蓮くんが変なこと言うから。
でも、と少し目を上げる。話す用事は終わったであろう須藤が、まだ隣で歩幅を合わせて歩いてくれている。それだけで少し、気も晴れた。
教室に足を踏み入れると、昨日ファストフード店で会ったクラスメイトの女子たちは、有子の姿を見るなり駆け寄った。
「ねえ、ねえ、四蓮くんって彼女いるかな?」
「え、ど、どうだろ」
女子たちから期待された目で見つめられ、囲まれた有子は戸惑う。四蓮のことは何も知らないし、勝手に答えることもできない。
「てかさあ、どういう知り合い? なんかヤクザみたいな人もいたじゃん」
「芸能人とマネージャーみたいな?」
「SPじゃね?」
「ええー? だったらめっちゃすごくない? 願井さん、すごい人と友達なの?」
「やばーい。あたし写真撮っちゃった」
何がやばいのかもすごいのかもよくわからない。いや、自分も二人の実情を知っていない場合、そんな憶測をしてしまったかもしれない。
「あはは……」
有子は曖昧に笑うしかなかった。話に混ざれてはいないものの、クラスメイトとこれほど近い距離で話すのは初めてだ。どぎまぎとしながら、皆の顔を見渡した。
「ねえ、アユも来ればよかったのに」
そう呼びかけられた方向を見た。教室と廊下をつなぐ窓から、アユと呼ばれた子——隣のクラスのジユウハラがいた。
彼女はじっと有子を見ている。まつ毛が長く、さらにマスカラをつけているのだろう。目力があって、とても可愛い。ただムスリとしたままだ。
「あ、ジユウハラ、さん……?」
有子は間が持たず、ペコリと頭を下げた。ジユウハラは少し目を見開いたが、すぐに目をそらし、踵を返して廊下を歩き出した。
「おい、アユ」
須藤は窓から、憤慨を少し滲ませてジユウハラに呼びかけた。
「興味なし」
彼女はそう口にして、一度も振り返らなかった。
「ごめん、願井さん……」
須藤はやや気まずそうに、有子に向き直る。有子は首を振り、小さく俯いた。
「アユ」と「願井さん」。その差が少しだけ、胸に棘となって刺さった。幼馴染とも言えないが、昔から知っている自分の方が、距離がある呼び方だ。
やっぱり、四蓮の言葉など真に受けるべきではない。自分を好きなどはあり得ないことだ。須藤くんには、ジユウハラさんみたいな人が似合う。
けれど——ちょっと話せる機会ができて嬉しかった。
「アユ、なんか機嫌悪いんかなー」
「いつもあんなんじゃね? 願井さん、気にしなくていいからね」
クラスメイトの女子は、ねー、と有子に笑いかけた。
有子は曖昧に頷き、赤らんだ頬のままはにかんだ。
……普通に、友達になりたい。
クラスメイトは普通に優しい。自分が勝手に壁を作っているだけなのだ。
でも、どう切り出せばいいのか……わからない。
「あ、あの……えっと……」
「願井さん」
須藤が背後から声をかけた。
「今日の放課後、みんなでどこか遊びに行こうよ」
「えっ」
目を白黒させていると、クラスメイトの女子の一人が楽しそうに手をあげる。
「いいじゃん。てか遊ぶったってカラオケくらい?」
「あはは、まあそうかな」
須藤は柔らかく笑む。
「願井さん、推しのアイドルとかいる? 何歌うの?」
「超興味ある。てかもしかしてV好きだよね? 昼休みとか、なんか配信見てたよね?」
あたしも好きー! と、女子が前のめりになる。
「えっ、好き、なの」
意外だった。配信の話を持ち出した彼女の見た目も、おしゃれで、垢抜けていて、何よりそんな話をしている様子は、まるで見たことがなかった。
「好き〜。だけどさー、マジでこの子らわかんないから! SNSとかでしか話せないんだよね」
「あ、わ、私も……」
「だよね! やっと話せた! 嬉しい」
彼女はにこりと笑う。有子は少し目を見開いた。これほどはっきり、同級生の顔を間近で見たのは初めてかもしれない。ずっと自分よりも大人に思えていた彼女は——年相応、と言っていいのか——同い年なのだと思えた。
有子は微笑みながら、鼻の奥がジンとした。クラスメイトの女子は推しのプレゼンを続けている。有子は頷き、少し目の下を擦る。こんなことで泣きそうになるなんて、どれだけ人見知りなのだ。
いや、もしかしたら——ほっとしたせいかもしれない。
不幸の手紙の効果なんて、ないのだ、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます