3-「依頼者」
3 依頼者
図書館の隣のカフェスペースの角席で、願井有子は俯いて、DMをした相手を待っていた。
カフェと言っても、コーヒー専用の自販機がある、少しおしゃれな共有スペースのようなもので、あくまで公共施設の延長だ。それでも私語禁止の図書館と雰囲気はうって変わり、周りの客たちは和やかな会話を行っていたり、仕事や勉強をしているであろう利用者もいた。
有子はテーブルに置いたスマートフォンに視線を落としたまま、じっとしていた。もしも相手が危ない人間だったら、コーヒーなど置いてくつろいでいては逃げ時を失ってしまう。いつでも席を立てるようにしよう。鞄の取っ手をぎゅっと握り、身体の緊張を強めた。
「どうも〜」
若い男の声がふってきた。ふっと目線だけを上げると、目の前の席に誰かが腰を下ろしているのが見える。白いピーコートが目に入り、その隣に、黒い服——スーツの男が腰を下ろした。そろそろと顔を上げると、目の前には——映画の主役俳優のような、華やいだプラチナ髪の男が笑っていた。
四蓮は目の前の制服の少女が目を瞬かせているのを見て、紙垂風のピアスをゆらし、首をかしげてより笑みを深める。
「願井有子さん? DMありがとね。僕が探偵の呪井鴨四蓮です」
「の、のろいかも、さん……」
有子は裏返りながら、なんだか突拍子もない美少年の名前を繰り返した。予想外の出立の人間が現れたため、きょどきょどと視線を泳がせてまた肩を縮める。
ちらりと、四蓮の横に隣の男を見た。上背のある、まるでこの美少年のSPのようだ。まだ若くも見えるが、愛想のなさが「怒」の表情差分しかないほど染みついている。今時2Dでももっと動く。この男も「探偵」なのだろうか。いや、隣の華やかな男もそうは見えないが。
有子は忙しなく、交互に正反対の男たちの顔に視線を向ける。
縄分は、怯える目の前の少女を見下ろした。きっちりと制服を着こみ、染めたことのななさそうな黒髪が艶やかな——言ってしまえば、地味な少女だ。
名乗らない訳にもいかず、縄分は癖で懐に手を入れたが、取りやめる。
「縄分です。このクソガキの保護者です。お気になさらず」
「助手ね。そんなかしこまらないでよ。もっと気軽に、そうだな、探偵さーんとか、四蓮くーんとかでいいよ」
「いや、そんな……」
にこやかな顔を向ける四蓮に、有子は少し飛び退いた。こっちは表情差分とエフェクトが多すぎる。そして距離が近い。四蓮は前のめりに詰めて来た。陽キャのクラスメイトと同じにおいがする。有子はやや身を引きながら、はじめに聞こうと思っていたことを、意を決して尋ねた。
「あの、あの……本当に……呪いってあるんですか」
「あ、そっちが気になる系?」
「アカウントにその、じゅ、呪術、って書いてあったので。その、子供っぽい、ですよね……」
慌てて言葉を紡ぎ、自分の早口に気づいて徐々に途切れて俯いた。耳が熱い。首筋に汗が浮いた。
「いやいや、僕、元々そっちのプロだし。なんで気になるか聞いていいかな」
四蓮はピアスを触り、首を傾げて有子の顔を覗きこんだ。有子はますます頬を熱くしたが、鞄に視線を落としてすぐ、その熱は冷めてしまった。
蓋を開き、一封の黒い封筒をテーブルの上に滑らせた。一度開けた形跡がある、艶のある黒いシーリングスタンプがされている。
「これ、なんですけど」
有子は少し震える声で、おずおずと二人の表情を窺った。
「不幸の手紙、ってご存知ですか」
「ああ、昔あったな、そんな噂」縄分はうなずいた。「決められた期間以内に誰か別の人間に回さないと、不幸になるっていうふざけた悪戯だな」
「実は、それが私の下駄箱に入っていて……七日以内に回さないとって書いてあるのにもう、六日も持っていて」
「はあ」
縄分は内心、下らない、と唾棄していた。どうせ子供同士の悪戯にすぎない話ではないか。
有子は不安げに眉根を寄せる。
「いたずらかな、って思うんですけど、こんないたずらする意味がわからないんです。私、友達はいないけど、こういういじりみたいなこと、今までされたことないんです。今更いじめるのも、意味わからなくないですか」
「……そうだね?」
知らん。
若い子の事情はわからない。縄分は無表情に瞬いた。
「友達がいないなら、むしろ押しつけ放題では」
「……そしたら、それこそ後ろ指刺されるんじゃないですか。誰が首謀者かもわからないのに」
なるほど。縄分はうつむきがちな彼女をじっと見つめる。友達はいない程度に性格は拗れているが、他人には遠慮をする、内向型の人間のようだ。だからこそ、さしずめイタズラの「アンカー」とされたのだろう。
「元々は『幸福の手紙』と言われていたらしいね」四蓮は手紙を指差した。「それがその現物ってこと?」
こくんと有子はうなずく。
「中身は見た?」
「一応……でも……ネットで見た文面と同じです」
ふうん、と四蓮は手紙を開いて目を通した。
「しかし、今時不幸の手紙が流行るとは」
縄分は封を手に取り、裏表を見る。厚手の質の良い紙と、シーリングスタンプにも何か螺旋の模様が描かれていて、恐いと言うよりも洒落ているように思える。
「今時手紙だから、無視できないんだ。DMだったら迷惑メールだと思うし、即スルーできちゃうでしょ」
四蓮は封筒に手紙を差し戻す。
確かに電子メールで届く文面よりも、張り紙や、手紙など実物のある方がいい気はしない。
「それにしたって有子ちゃん、友達いないって勿体無いね。可愛いのに」
両頬をついて、四蓮は頬笑みかけた。目を細めると、長いまつ毛がより際立つ。少女漫画の登場人物か。一瞬にしてそんな感想が駆け巡っていたが、有子は慣れない言葉に頭が真っ白になっていた。
「かっ、かわ……」
「ビクビクしてて反応面白いし、声も可愛いし。ヘロヘロの笛みたいで」
「へっ」
「全然褒めてないぞ」
縄分は湧いた虫でも見るような目を、唇を尖らせる四蓮に向けた。四蓮はきょとんと目を瞬かせ「なんでさ」と有子に向き直る。
「有子ちゃん、安心しなよ。僕も友達いないから。ていうか、周りに同い年がいて友達ができないって、どうやったらそんなことできるの? 僕なんかいたらすぐ話しかけちゃうけどな」
「申し訳ない。悪気がある訳じゃない。常識がないんだ」
「は、はあ……」
ひどい言われようだ。有子は羞恥と、少しばかりのショックに徐々に心が蝕まれていた。そりゃあ、彼のように自信があって、見目が良くて、明るくて、人好きをする性格ならば、輪に入ることは容易だろう。それが有子には、一番難しいことだった。
クラスの誰とも話が合わない。でも、みんなの話すトレンドには、こっちも興味はまるでないし。だから、交わらないと決めたのに、それなのに、どうして急に。それに、この手紙は、回ってきたものじゃない——。有子はそう確信があった。
「で、有子ちゃんはどうしたいわけ?」
「え?」
はっとして、有子は顔を上げた。四蓮は色素の薄い、琥珀糖のような瞳を向けている。吸い寄せられ、その視線から目を離せなくなる。
「不幸の手紙だよ。呪いを祓いたいってこと?」
「お、お祓いができるんですか」
「まあね。ただ、君に払えるかは別問題だけど」
「え?」
「言っただろ。こっちは元々プロだって。だから呪術も扱ってはいるけれど、僕の力だってただじゃあない」
四蓮はスマートフォンで電卓を打ち出し、テーブルに差し出す。そこに示された金額は、冗談のような、とても高校生に支払えるものではなかった。
「そ、そんなに……」
「ま、呪術ってな、特殊中の特殊、オーダーメイドなもんだからね。でーもー」
まじまじと有子が見つめるスマートフォンを奪い、
「誰がこれを送ったのかを見つけたい、だったら、探偵業の初期相談料ってことで、まけといてあげてもいいかな」
四蓮はパチンとウインクをした。
「気になってるんだろ。なら気を晴らさないと、君の呪いはとけないよ」
「や、やっぱり呪われてるんですか? わかるんですか?」
有子は身を乗り出す。四蓮は答えずに、ただ猫のようにニンマリと口端を上げて、答えを待っていた。
任せていい、のだろうか? からかわれているのかもしれない。
揺らいだ。このまま立って、帰ってしまうこともできる。
でも——。
鬼が出るか、蛇が出るか、だ。
「……お願いします。誰が、この手紙を送ったのか、教えてください」
有子は、姿勢を正して小さく頭を下げる。
呪井鴨四蓮はにんまり笑み、一拍、手を打ち、大袈裟に広げる。
「では。事解ぎ、承りました」
ことほぎ。有子はその言葉に、聞き覚えがあった。だが、意味は思い出せない。
……アカウントにも書いてあったけれど、「事解ぎ」とは、なんだろうか?
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