魔女とお菓子と砂時計

君塚つみき

1

「お待たせー!」

 校舎の昇降口で手持ち無沙汰に腕時計を眺めていた高滝たかたき冬樹ふゆきのもとに、一人の少女が駆け寄ってきた。

 毛先が軽やかに踊る外ハネのミディアムショートに、よく日に焼けた小麦色の肌。水泳で鍛えられた身体はしなやかに引き締まっており、学校指定の白ブラウスを腕まくりしたその出で立ちは、健康の権化と呼んで差し支えない眩しさを放っていた。

 文芸部所属でモヤシのような自分と真逆の幼馴染に、冬樹は片手を上げて応じる。

「シフトお疲れさん」

「えへへ、さんきゅ」

 労いの言葉を掛けると、彼女――浜名はまな深夏みなつはへらりと相好を崩した。

 からりと晴れた初秋の昼下がり。

 この日、冬樹たちの高校では学園祭の最終日を迎えていた。演劇や飲食店、お化け屋敷などといった学級ごとの出し物に加え、文化系の部活による公演・展示も豊富に催されており、校内は多くの来場者で賑わっている。

 在校生として初参加となる学園祭の終わりが近づく中、冬樹は深夏から一緒に校内を巡らないかと誘われた。かくして二人は待ち合わせをして落ち合ったのである。

「そうだ! お菓子の家の魔女の噂、聞いた⁉」

 挨拶もそこそこに、深夏が興奮気味に訊ねてきた。

「何それ、ヘンゼルとグレーテル?」

 幼い兄妹が魔女の住むお菓子の家を訪れる童話を想起して首を傾げる冬樹に、深夏が早口で説明する。

「えっとね、二年G組がやってるコスプレ喫茶のことなんだけど――」

 語られた詳細はこうだ。

 お菓子を作って提供する二年G組の模擬店『お菓子の家』では、店にいる魔女とあるゲームをすることができるという。

 客がゲームに勝ったら、報酬としてチョコバナナを二〇本獲得する。負けたら、もらえるチョコバナナは一本のみとなる。

 ゲームの参加料は一〇〇〇円。通常販売でのチョコバナナの価格は一本二〇〇円なので、ゲームに勝てば安く買い物ができるが、負ければ損をこうむるというわけだ。

 このサービスは校内で話題となり、これまで一〇名以上がゲームに挑んだらしいが、魔女に勝てた者は未だ一人もいないそうだ。

「――というわけで。一緒に魔女倒しに行こっ」

「待て待て待て」

 意気揚々と魔女狩りに乗り出そうとする深夏を、冬樹は引き留める。

「そんなにたくさん食べられるのか?」

 ゲームの勝利報酬のチョコバナナは二〇本だ。大人数の団体客向けに用意されたであろうそのサービスは、冬樹たち二人では持て余す代物に思えたのだが。

「まあいけるっしょ」

 深夏はけろりと言い放つ。彼女は昔から並外れた大食いだった。食べることが大好きで、特に甘いものに目がない。冬樹はその食べっぷりを目の当たりにするたび、ぺたんとしたお腹のどこに食べ物が収まるのか、いつも不思議に思っている。

「言っとくけど、僕は手伝えても五本だからな」

 冬樹が胃のキャパを伝えると、深夏はきょとんとした。

「え? 冬樹も食べるの?」

「お前、一人で全部食べる気だったのか」

 幼馴染の怪物じみた食欲に、冬樹は呆れ返るのであった。



 教室を利用して造られた『お菓子の家』は、模造紙を用いた装飾でカラフルかつメルヘンチックに仕上げられていた。お菓子の意匠が随所に散りばめられた店内では、様々な動物の仮装をした生徒たちが忙しなく働いている。

 お菓子の家に入店した冬樹たちは、魔女と勝負しに来た旨をスタッフに伝えた。応対に当たったニワトリの被り物をした男子生徒が、冬樹たちを教室の奥へ案内する。

 そして二人は魔女と対峙した。

 暗い紫色の布を敷いた机に着席している彼女は、異質な存在感を放っていた。レースとフリルをふんだんにあしらった黒のドレスに、鮮やかな青バラの髪飾り。濡れ羽色の長い髪はシルクのように艶めき、白皙はくせきの美貌には女子高生とは思えぬ妖艶さが漂っている。

 そんな魔女に、冬樹は戸惑い気味に問い掛ける。

「何してるんですか? 黒部くろべ先輩」

「やあ、いらっしゃい。高滝君」

 お菓子の家の魔女――黒部くろべ瑠奈るなは、黒革の手袋をめた手を振って冬樹たちを歓迎した。

 瑠奈は冬樹と同じ部の先輩だ。小説制作を主な活動とする文芸部において、最も精力的に執筆に取り組んでいる生徒である。得意ジャンルはミステリー。冬樹は瑠奈の作品をいくつか読んだことがあるが、いずれも素人離れした良作だった。

 冬樹の質問に、瑠奈が答える。

「見ての通り、魔女をやっているのさ。このゲーム企画は私が考えたのだが、言い出しっぺが実行役までやるべきだと皆に担ぎ上げられてしまってね」

「なるほど」

 押し付けられて仕方なくやっているという口ぶりだが、その割には格好が様になっているし、本人も満更じゃないように見受けられた。

「それより高滝君、やるじゃないか。君にこんな可愛らしい彼女がいたなんて」

「か、かのっ、彼女⁉」

 瑠奈に指を差された深夏が目を白黒させた。なぜか狼狽うろたえている深夏に代わって、冬樹が誤解を正す。

「彼女じゃないです。幼馴染です」

「そう? ふうん」

 訂正を受けた瑠奈は、どこか含みのある笑みを浮かべながら、初対面の深夏に向けて名乗る。

「文芸部の黒部だ。よろしく」

「は、浜名深夏です! 冬樹がいつもお世話になってます!」

「ふふ、元気なお嬢さんだ。とりあえず掛けたまえ」

 挨拶の後、深夏は瑠奈の対面に着席した。客用の椅子が一脚しかないので、ゲームに挑戦しない冬樹は深夏の傍に立つ。

「早速だが、ゲームのルールを説明しよう」

 瑠奈は引き出しから砂時計を四つ取り出して机に置いた。赤色・青色・黄色の砂が入った小さな砂時計が三本と、黒色の砂が入った他より二回り大きい砂時計が一本ある。

「今から挑戦してもらうのは、砂時計をひっくり返した回数を競うゲームだ。砂時計の操作にはクールタイムがあって、一度逆さにした砂時計は砂がすべて落ちるまで再度ひっくり返してはならない」

 瑠奈が赤い砂時計の上下を入れ替えた。砂が二~三秒で落ちきると、またひっくり返す。これでスコアは二点になるわけだ。

 続いて瑠奈は青と黄色の砂時計を手に取る。青の砂時計は砂が落ちるまでの時間が赤よりも長く、黄色はさらに時間がかかった。

「砂時計は色ごとに計れる時間が異なる。赤は三秒、青は五秒、黄色は七秒、黒は一五〇秒だ」

 黒の砂時計の挙動実演は時間の都合で省略となる。

「ゲームはターン制。片方が黒の砂時計を逆さにしてから砂が落ちきるまでの間、もう片方が赤・青・黄の砂時計をひたすらひっくり返し続ける。その後攻守を入れ替えて同じことをし、より多く砂時計を反転させた方が勝者となる。説明は以上だ。何か質問はあるかな?」

「大丈夫です!」

 説明を聴き終えた深夏が朗々と頷く。

 冬樹も不明点はなかったのだが、この時点でとある疑念をいだいた。


 恐らく、瑠奈はイカサマをしている。


 このゲームはさほど複雑ではなく、誰がやっても得点に大きな差は出ないはずだ。そんなゲームを一〇戦以上やって負けなしというのは少し不自然である。その上、ゲームの考案者は大のミステリー好きである瑠奈だ。この勝負、きっと何か裏があるに違いない。

 冬樹は人知れず期待に胸を躍らせた。これは瑠奈が用意したトリックを生で体験できる貴重な機会かもしれない。もしそうならば、ぜひイカサマを見破って先輩の鼻を明かしたいところだ。

 瑠奈がパンッ、と手を叩く。

「では始めようか。見本も兼ねて、先攻は私がもらおう」

「はい、よろしくお願いします!」

 机を挟んだ両者が、それぞれ砂時計を手元に置いて構えた。

「行きます」

 深夏が黒の砂時計を逆さにする。

 チョコバナナを懸けた戦いが今、幕を開けた。

 瑠奈はゲーム開始と同時に、赤・青・黄の順番で砂時計を反転させた。計測時間が短い砂時計ほどひっくり返せる回数が多いため、赤の砂時計から手を付けるのは合理的な選択だ。

 砂が落ちきった赤の砂時計を、瑠奈が右手でひっくり返す。続いて息つく間もなく左手で青の砂時計の上下を入れ替え。そして黄色の砂時計は、二度目のクールタイムが明けた赤色の砂時計とほぼ同時に操作する。瑠奈の得点はこれで七点だ。

 効率よく点を稼ぐ手順を覚えた上で練習も積んだのだろう、瑠奈の手捌てさばきは滑らかで迷いがない。黒手袋をした手がひるがえる様子は、まるで優雅に舞うクロアゲハのようだった。

 冬樹はいかなる不正も見逃すまいと、瑠奈の手元を注視する。ゲームの性質上、イカサマが可能だとしたら先攻の間だろう。そう考え集中力を研ぎ澄ます冬樹であったが。

 予想に反して瑠奈に不審な動きはなく、正攻法で着々とスコアを重ねていった。存在が定かでないイカサマの幻影に、冬樹はちりちりとした焦りを感じる。

「終了です」

 深夏がタイムアップを告げた。冬樹は腕時計を見る。勝敗に影響はないだろうが、黒の砂時計の砂はぴったり一五〇秒で落ちきった。

 瑠奈の番は、何事もなく終わった。得点は九六。この間、不正はどこにも見当たらなかった。見逃したのか、あるいはイカサマなどはなからないのか。手応えのない状況に冬樹はむず痒い心地になる。

「次は浜名さんの番だ。用意はいいかい?」

「はい!」

 砂時計を交換して、二人が再び睨み合う。

 寸秒の沈黙の後。瑠奈が左のてのひらに乗せた黒の砂時計を、上下逆さまに置く。そのまま砂時計の上で両手を組んだ彼女は、泰然とゲーム開始を宣言した。

「スタート」

 深夏が砂時計に手を伸ばし、赤・青・黄と瑠奈と同じ順番で反転させる。やがて次々とクールタイムが明けていく砂時計。深夏はそれらを、恐るべきスピードで捌き始めた。

 その俊敏さに冬樹は唸った。瑠奈と違って手付きは荒々しいが、とにかく速い。恐らく何の考えもなしに、砂が落ちたのを見届け次第、片っ端から砂時計をひっくり返しているのだろう。運動神経と反射神経に頼り切った力業だが、得点ペースは瑠奈と同等かそれ以上だ。

 これはいい勝負になりそうだ、と熱戦を予感した、そのとき。

 ふと、素朴な疑問が湧いた。

 冬樹は視線を、手前にいる深夏から向かいに座る瑠奈に移す。

「ん? どうしたんだい?」

 瑠奈が両手を組んだまま、上目遣いで問うてくる。

「いえ、別に」

 考え事を見透かしているかのような魔女の瞳から目を逸らしながら、泡のように浮上する閃きを必死に追いかける。

 なぜ砂時計なのだろうか? と。

 ゲームはやがて、佳境に差し掛かる。

 落下を待つ黒い砂は残り僅か。

 深夏の手が一段と速さを増し、ラストスパートをかけた。

 そして。

「そこまで」

 瑠奈が時間切れを宣言し、深夏はぴたりと動きを止めた。

 深夏の得点は九五。瑠奈にあと一歩及ばずだ。

「負け、ちゃった」

 深夏が悔しそうに俯く中、冬樹は腕時計を確認する。

 その瞬間。


 冬樹は勝機を見出した。


「先輩。勝負は、ですよね?」

 冬樹の問いに、瑠奈の柳眉がぴくりと動いた。

「その通りだ」

 瑠奈から言質げんちを取った冬樹は、深夏に指示を出す。

「深夏。砂時計をあと二つひっくり返せ」

「え? でも、」

「いいから」

 深夏は困惑しながら、赤と青の砂時計を逆さにした。それを見届けると、冬樹は不敵な笑みを瑠奈に向ける。

「これで九七対九六です。異論はありますか?」

 対する瑠奈は、大きく息を吐いて苦笑した。


「参ったな。私の負けだ」


「よし!」

 土壇場で掴み取った勝利に、冬樹は拳を握りしめる。瑠奈に勝てた嬉しさが間欠泉のごとくほどばしった。

「え? 何? どゆこと?」

 ただ一人状況を呑み込めていない深夏が、冬樹と瑠奈を交互に見遣みやっておろおろする。

 瑠奈は勝負に用いた砂時計を回収してから、手袋をしたを深夏に向けて差し出した。

「いい勝負だったよ」

「ありがと、ございま、す?」

 勝利を称えられた深夏は、混乱しながら魔女と握手を交わす。

 瑠奈はその後、冬樹にも握手を求めた。

「高滝君、見事だった」

 差し出されたを握った冬樹は、すべてを理解して頬を緩める。

「先輩こそ、お見事でした」

 かくして。お菓子の家の魔女のゲームは、深夏の勝利で幕を閉じた。



 戦利品のチョコバナナをテイクアウトして、屋外の休憩所に場所を移し、ベンチに二人で腰掛けた後。

「先輩はイカサマをしてたんだ」

「ええっ⁉」

 真相を教えられた深夏は大きく目をみはった。

「いつ⁉」

「先輩が後攻に回ってからずっとさ」

 冬樹は魔女との勝負を振り返る。

「あのゲーム、先輩の番は一五〇秒ぴったりで終わった。一方で、深夏の番は先輩より五秒短かったんだ」

 同じ砂時計で時間を管理したのに、なぜ差が生じたのか?

「先輩が深夏の番の終了を告げたとき、砂時計の上側にはまだ砂が残っていたんだよ。磁石に引き寄せられた砂、もとい砂鉄がね」

「磁石、砂鉄……あ!」

 仕掛けを理解した深夏が思わず声を上げる。

 黒の砂時計の中に入っていたのは恐らく砂鉄だ。その砂鉄の一部を、手袋の内側に仕込んだ磁石で引き寄せて、砂時計の上端に留める。瑠奈はそうして落下する砂の量を減らすことで、砂時計の計測時間、ひいては深夏の番を短くしたのだ。瑠奈が組んだ両手を黒の砂時計の上に置いていたのは、そのためだったのである。

 実のところ、深夏の番が短いと気付いた時点ではイカサマのタネに辿り着けていなかったので、カマかけで瑠奈が白旗を上げてくれたのは幸運だった。冬樹がトリックの全容を把握したのは、彼女との握手で掌に固い感触を感じたときである。

 砂時計の計測時間は普通は変化しないし、そもそも学園祭の模擬店でイカサマをされるなんて誰も思わないだろう。これは、瑠奈の人となりを知っていて始めから疑って掛かった冬樹だからこそ見破れたトリックだった。

「へえぇ、すっっごいね!」

 騙されていたにもかかわらず、深夏は瑠奈の巧妙な策に感心を示した。冬樹はそのお人好し加減に呆れながらも、自分も他人のことを言えないなと自嘲する。

 冬樹は瑠奈の不正を責めも晒しもしなかった。彼女があんなことをしたのは金欲しさではなく、自分の考案したトリックを試したかったという遊び心ゆえだろう。おかげで冬樹も楽しい五分間を過ごせたわけで、瑠奈を怒る気にはなれないのであった。

「それより、早く食べよっ」

 半透明のビニール袋に詰めてもらったチョコバナナを、深夏は二本取り出した。彼女はその片方を、冬樹の口元に差し出す。

「はい、あ~ん」

「いや普通に食わせろ」

「えー、つれないなあ」

 冬樹はむくれる深夏から串刺しのチョコバナナを奪い取って一口かじった。ねっとりと濃厚な甘みが口の中に広がる。素人が作ったものなので特別秀でているわけではないが、小腹が空いていたのもあって無難に美味かった。

「あま~い! 幸せ……!」

 深夏はとろけた表情を浮かべながら、目を疑うような速さでチョコバナナを平らげていく。相変わらずの超人的食べっぷりに唖然とする冬樹であったが、心底楽しそうに食事をする彼女のことは、嫌いじゃなかった。

「冬樹、ありがとねっ」

「……おう」

 笑顔を弾けさせる幼馴染に感謝を伝えられた冬樹は、照れ臭くなってそっぽを向いた。

 チョコバナナを再度頬張る。その味は、一口目よりも甘く感じたのであった。

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魔女とお菓子と砂時計 君塚つみき @Tsumiki_Kimitsuka

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