おるすばんのホームズ(下)
自ら導き出した真相に自ら衝撃を受け、君の思考は一時完全停止する。が、カチ、コチ、という時計の音を五つほど数えたところで、慌てて頭をブンブンと左右に振って、どうにか思考を取り戻した。
君のことならば、君が一番よく分かっている。君は無実だ。午後の陽気に誘われて気持ちよく眠りこけていた、ただそれだけなのである。
それが証拠に、君が寝ていたソファの上のクッションには、大量の涎の跡がべっとりと――君は慌ててクッションを裏返し、証拠隠滅を図る――残されている。
もしも君に病理の知識があれば、あるいは夢遊病を疑ったかもしれないが、君がその考えに辿り着くことは無かった。よって、「眠っていたのだからポスターを破れるはずがない」と、君は自信を持って結論付ける。
では一体誰が、と、推理が振り出しに戻ったところで――ふと、君の脳裏を疑問が掠めた。
ポスターは執拗なまでに小さく破られている。この分厚い紙を、何度も繰り返し破ったとすれば、紙が破れるビリビリという音が、長時間に渡って発生し続けたはずである。
君がどれだけ深い眠りについていたとしても、これだけ近くで紙を破られて、安穏と眠り続けられるものだろうか?
そこで、君は閃いた。
壁から剝がされたポスターは、このリビング内で破られたのではない。
犯人は、剥がしたポスターを一度どこか別の場所へ持ち去り、小さく破った上で、再びリビングに持ち込んで床にばら撒いたのだ。
――全ての罪を君に被せるために。
君はフローリングに這いつくばって、散らばる紙片に鼻先が付かんばかりに顔を寄せた。犯人も、その動機も、君にはすでに見当が付いている。あとは確証を得るのみ。
果たして、小さく破られた大量の紙の中に、予想どおりのものは紛れ込んでいた。
手で破ったものとは明らかに異なる、ハサミか何かで真っすぐに切り離された形跡が、一辺だけに残された紙片。
イラストが半端に切れてしまっている上、断ち切り線が歪なことからして、ポスターの四辺に当たる箇所ではない。さらに探し続けると、同様のものが二枚、三枚と見つかった。君が不器用に手繰り寄せて並べると、その端はジグソーパズルのようにぴたりと揃っていく。
そうして浮かび上がってきたのは、ポスターに描かれていた二十余名のキャラクターのうち、たった一人だけが切り取られてできた、人の形の空白だった。
謎は解けた。君は確信する。
真犯人は妹だ。
動機は姉に対する鬱憤ではなかった。ポスターを破ることは目的ではなかった。
アニメそのものを愛する姉と違って、妹が夢中になっているのは、ある特定のキャラ一名のみ。
彼女はただ、ポスターに描かれたうちのたった一人、贔屓のキャラクターのイラストだけを、どうしても自分のものにしたかったのである。
推察される妹の行動はこうだ。学校から帰宅した彼女は、君がソファでぐっすりと眠り込んでいることを知る。そこで、三人掛けのソファを踏み台にして、ポスターの下二か所のテープを剥がした。小さな彼女では手が届かない上方のテープを剥がすことは諦めて、ポスターを左右へ交互に引っ張って慎重に破り取る。もちろん、眠っている君を起こさないよう、音には最大限の注意を払って。
そうやって手に入れたポスターを二階の自室へ持ち込んで、一番のお気に入りであるキャラクターのみを、ハサミで綺麗に切り抜いた。そうして、人型の空白ができたポスターを、今度は素手でビリビリに破ったのだ。
大量に生まれた紙片は適当な箱か袋にでも入れてリビングへ持ち込み、呑気に眠っている君の足元にばら撒けば、偽装工作の完成である。
ポスターから一人のキャラクターを切り抜くだけでは、彼女の犯行であることはすぐに露見してしまう。だが、ポスターの残りを全て細かく破ってしまえば、キャラクターの一人だけが消えていることは気付かれにくい。
まして、その紙片が君の近くに散らばっていれば、姉の疑いの目を君へと向けられる、というわけだ。
あとは玄関を施錠して遊びに出かけ、帰宅した姉が怒り狂って君を叱るだろう時間をやり過ごし、クールダウンした頃合いを見計らって帰ってくればいい。
きっと今頃、友達の家にでも上がり込んだ妹は、せっせと集めたお菓子のパッケージと同様、ポスターの切り抜きをスクラップブックに大事に貼り付けていることだろう。
君は最後にもう一度、時計を確認する。
十六時五十五分。
同時に、玄関で鍵が解錠され、扉が開く音がした。バタバタと騒々しい足音は、姉のものに相違ない。君の心臓がドキリと飛び跳ねる。
だが、君はやり遂げたのだ。
例え姉が一度は君を疑ったとしても、事情を説明し、のちに帰宅する妹の鞄からスクラップブックを取り出して中を見てもらえさえすれば、それが動かぬ証拠となる。君にかけられた嫌疑は晴れるだろう。
ただ、問題は。
リビングの入り口で立ち止まった姉が、床に散らばるポスターの残骸を見て、学生鞄をドサリと取り落す。わなわなと肩を震わせ、顔を真っ赤にした彼女は、人差し指を君に突き付けて絶叫した。
「ホームズ! あんた、なんてことしてくれたのーっ!」
君がどれだけ華麗な推理を披露してみせたところで、人間たる姉の耳には、「ワンワン」としか聞こえないのである。
Fin.
おるすばんのホームズ 秋待諷月 @akimachi_f
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