第5話

 その男の姿を思い返してみると彼が店に入った時、奥に座っていた男だった。

 山口が座っている位置からは柱の陰に隠れて見えていなかったのだ。

 だから閉店時間を過ぎて自分以外に客が他にいるとは思っていなかった。


「修二まだ居たのか。もう十分食って満足したんだろう。今日はもう帰りなさい」

 康太が男に向かって言う。それはいつもの彼に似つかわしくない険のあるものに聞こえた。


「コウさん。この人は? 」

 山口は康太に尋ねようとしたが、機先を制して本人が言葉を返す。


「ああ、ご挨拶が遅れました。ワタクシ、鎌池修二と申します。兄がお世話になっているようで……」


「兄っていうことは、コウさんの? 」


「ああ、こいつは確かに実の弟だよ」


 康太は口調は変えず顎をしゃくって指して見せる。


「そうでしたか。私は山口誠一といいます。こちらこそお兄さんには学生時代からお世話になっております」


 そうだ。どこかで見たと想ったら面差しが康太に似ているのだ。


「山さん、こいつのことは気にしなくていいよ。今日だって客として来たんじゃなくて、タダ飯たかりにきただけなんだから」


 修二は月に数回、店にやってきては飯をたかりに来る。身内の気安さから食べ終わって挨拶せずに出て行ってしまうことも多かった。その為に康太は彼が既に帰ったのかと思っていたのだ。


「まあまあ、兄貴は黙ってておくれよ。店の締め作業があるんだろ」


「言われなくてもやってるよ。いいかお前も余計な事を言わずに早く帰りなさい」


 康太は修二に向かって言ったが、それに対して気を使ったのか山口が、


「ああ、すみません。すっかり長居してしまいました。お勘定お願いします」 

 と言って会計を申し出る。

「いや、山さんにいったつもりはないんだけど。まあ、時間も時間だしね」

 言って康太は伝票を確認してレジ打ちを行う。そしてそれが終わると、

「ありがとうございました。俺、ゴミ片付けてくるわ。バタバタして申し訳ない」

 言って裏口へ消えていったので店内には修二と山口の二人きりになる。


 一瞬の沈黙が訪れた後、口火を切ったのは修二の方だった。


「で、先ほどの話なんですがね。聞くともなく耳に入ってしまいまして」


「ああ、そうでしたか、申し訳ない。勝手に話をしておいてなんですが、何分この件はご内密にお願いします」


「ええ、ええ。ワタクシ口の堅さには自信がありますので、そこはご安心を。それより、先ほどお尋ねした通り、お困りごとなら是非ともお力添えしたいんですが」


 そうだ。そもそもこの男の方から「お困りでしょう」と声をかけてきたのだった。

 しかし、意図が今一読めない。戸惑いを隠せないまま山口は尋ねる。


「力添えというと? 」


「ワタクシが聞いていた範囲での判断ですが、やはりその部屋は尋常じゃありませんな」

 彼が話題にしているのはやはり例の部屋の件だった。それは困っている。困っているが、それがどうかしたというのか。


「そうですよね。普通ではないということは分かっているんです。人も入れてしまいましたし手を打たねばとは思うんです」


 しかし、その手の打ち方をどうすればいいのか皆目見当がついていないのも事実だった。


「なるほど、そこでですね。いかがでしょう。お父様は嫌がられたとのことですが、お祓い等を試してみるというのは」


 事ここに至っても、山口は霊的な現象に懐疑的だった。が、父親ほどそれに忌避感があるわけでもない。問題解決手段として試せるならそれも有りだと思う。


「正直な所それも一つの手段とは考えているんですが、誰を頼っていいやらわかりませんし」


 当ても伝手もない。誰かに仲介を頼むにしても事が事だ。トラブルになってもいけない。


「確かに、そうした中にはインチキ霊能者による詐欺などもありますし、怪しげな宗教の勧誘だったりもしますからな。本当に頼れる能力者か見極めが難しい」


「そうですよね。それ以前にそもそも、そんな人いるのかもわかりませんし」


「いや、おりますよ。ワタクシには当てがあります。よろしければご紹介させて頂こうと思いましてね」


 修二の言葉は自信に満ち溢れやけに断定的だった。


「本当ですか」

 山口とてその言葉を100%信じられるわけではない。


「はい、山口さん。あなたもこの町に昔から住んでいるんでしょう」


「ええ。生まれも育ちもこの藤浜です」


 家業から離れて他所の会社へ行っていた時期に離れていたことはあるが、子供の頃から成人するまで長く住んでいた土地だ。


「では、金鞠多津乃って名前聞いたことありませんか? 」


「金鞠多津乃……。ああ、そうですね。名前くらいなら」


 金鞠多津乃というのはこの地域で名の知れた女性だ。町の顔役だったといってもいい。山口も中学生の頃だったか商店街で何度か見かけたことがある。あちこちの店から親し気に声をかけられて場合によっては相談事なども引き受けていたという。仕事は拝み屋。いわゆる霊能者のようなことをやっていると噂で聞いた。


 が、そんな仕事をしていると聞いても度々目にした姿からは胡散臭さも感じなかった。寧ろだからこそ様々な人に頼られていたのだろうと想っていた。


「知ってるなら話が早い。ワタクシ、彼女を良く知ってるんです。こういっちゃなんですが、凄腕の霊能者でした」


「はあ、それはそうなのかもしれませんが。多津乃さんは確か亡くなってますよね」


 丁度、彼が家を離れていた時期になるか。誰かにきいたのだ。そうだ、情報源は他でもない修二の兄康太からだ。多津乃と同じ共同住宅に住んでいたんじゃなかったっけ。だから修二とも親交がある訳だと納得した。


「ええ。5年程前にね。そもそも仕事自体が10年程前から半隠居状態でした。元々目が良くなかったんですが、亡くなる前には完全失明状態でね」


「はあ。じゃあ、何にしても多津乃さんは頼れませんよね」


「ええ。本人にはね。ただ、孫がいるんです」


 そうだ多津乃は娘夫婦と住んでいるという話は聞いたことがあった。孫がいてもおかしくはないか。


「それは、知りませんでした。では、そのお孫さんが後を継いでいると? 」


「いや。正式な生業としてる訳ではないんです。何しろまだ中学生でしてね。あ、いやもうすぐ高校に上がるのかな? 」


「ちゅ、中学生? それは大丈夫なんですか」


 想ったよりも若い。ならば仕事としていないのも当然だ。が、それで頼りになるのだろうか。


「御心配には及びません。あの金鞠多津乃の孫ですよ。力の保証は折り紙付きです」


「いやしかし生業としてないなら、依頼しようがないのでは? 」


「だからこそ、ワタクシの出番なんです。金鞠多津乃の孫、あゆみとは家族同然の付き合いなんです。彼からは兄の様に慕われてましてね。ワタクシのいう事なら喜んで聞いてくれますよ。彼もワタクシ同様に人助けが大好きですしね。いかがです? よろしければ今日中にも本人に渡りをつけてみせますが」


 山口の心配を感じ取ったのだろう。修二はまくしたてるように言葉をぶつけてくる。


「う~ん…………」


 対して山口は暫し黙考する。


 このままでは何も解決しないし、今の所当てはないのだ。とそこへ康太が戻ってきて声をかけてきた。

「なんだ、二人ともまだ残ってたのか。気にしないで帰ってくれてよかったのに。山さん、また話は聞かせてもらうよ。今日は時間も時間だ」

 それに対して返事はせず、山口はこう尋ねた。


「あの、コウさん」


「なんだい? 」


「金鞠あゆみさんって方はお知り合いなんですか? 」


 鎌池兄弟と金鞠多津乃に親交があったことは間違いないようだ。であれば、兄の康太は孫の事も知っているのではないか。修二を信じていない訳ではないが、康太からの意見も知りたかった。


が、

「あゆみ? ああ、知ってるよ」


 康太はこともなげに答える。その語尾に被せるように修二が続けた。


「いいやつだよな。中学生にしちゃしっかりしてるしさ」


 その口調には平静を装いながらも少し慌てた様子が見て取れた。


 そこへ山口は更に康太に尋ねる。


「ど、どういう人ですか」


「どうって、まあ、確かにいいやつだよ。ガキの頃からしってるけど、最近は随分しっかりしてきたといえば、まあそうだな。次で高校生にもなるし。でもそれがどうかしたのかい? 」


 康太の言葉に嘘はないようだった。


「いえ、ありがとうございます。それが聞ければ十分です。そろそろ、お暇しますね。ごちそうさまでした」


 ここで彼は腹を決めた。他に当てがあるわけじゃない。とりあえずここはすがってみてもいいんじゃないかと。


「そうかい。今度は家の店じゃなくて他所でゆっくりやろうや」


 康太はそんな胸の内どころか、それまでのやり取りもしらず言葉を返し、


「はい、お願いします。今度こそごちそうさまでした」


「あいよ。ありがとうございました。また~」


 山口の言葉を聞くとまだ片付け物が残っているらしく裏へ消えた。


 その姿を横目に山口は修二に向かって決意した様に言葉を向ける。


「修二さん。ご紹介お願いできますか? 」


「紹介だけなんて水臭いですね。交渉からアテンドまで全てお引き受けしますよ」


 修二はその言葉に満面の笑みで答える。


「そうですか、何から何までありがとうございます」


「いえいえ。ワタクシ、人助けが大好きなものでね。ただ……」

 と、そこで修二は笑顔を張り付けながら、糸のように細い目を精一杯見開いた。


「はい? 」


「相手は中学生とはいえ無償というのはいかがなものかと」


 ある種、凄みのある表情で言う修二だったが、山口は事もなげに答える。


「ああ、勿論必要な費用はお支払いしますよ」


「さようでございますか。いや、話が早くて助かります。お任せください。必ずや解決して

御覧にいれますよ」


 自分がする訳でもないのに修二は絶対的自信があると言うように胸を叩いた。


「ありがとうございます。あ、遅くなりましたがこれ私の名刺です」


「これはこれはご丁寧に。ではこちらからご連絡いたしますので。お待ちください」


「はい、失礼いたします」


 商談は無事成立し、山口は頭を下げる。

 そして既に電源の落ちた自動扉を手動で開けて表へ出ていった。


 後に残った修二は開けた細い目を最大限に細めた。更に裂けるような口を思いっきりニンマリとさせた。その口はまるで半月の様で不気味だった。そして、


 「ふっふっふっ……ひっとだすけ~、ひっとだすけ~。俺は大好き、ひっとだ~すけ~。お金貰って、ひっとだすけ~」


 歌うような節回しで言いながら厨房に勝手に入りうろつきだす。

 兄が戻ってこないのを良いことに持って返れそうな残り物がないか意地汚くあさるのが目的だった。

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