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 さて、“丁越市立第三小学校六年二組・出席番号2番の出雲ゆかり”として学校に通うようになって以来、彼女の毎日は大変充実していた。


 “33歳の縁”であった頃(正確には今でも身体的にはそのはずだが)は、今はその立場になっている由佳が推察していた通り、片田舎での専業主婦としての暮らしには正直退屈あきあきしていたのだ。


 これが以前いた場所と同様の都会なら、色々時間を有効利用するための方策もあったろう。

 逆にもっと田舎なら、濃厚かつお節介過剰な近所づきあいや、あるいは自分で裏庭を畑にして世話するといった事柄で、相応に暇をつぶすことができたかもしれない。


 しかし、大都市基準から優に10年以上発展の遅れた地方の小都市で、猫の額ほどの狭い庭付き一戸建て住宅(借家)に住む30代初めの主婦にとっては、あまりに日々の刺激が少なすぎた。


 だからこそ、あの日、神様の手違い(?)によって、娘と立場が入れ替わったことを、滅多にできないエキサイティングな体験として、積極的に受け入れる気になったのだ。

 そして、実際、20年ぶりに通う小学校は、思っていた以上に楽しい場所だった。


 「いってきまーす!」


 声質自体はともかく、まるっきり“元気な小学生の女の子”そのものな感じの明るく屈託のない声の調子で、“母”である由佳に挨拶すると、ゆかりはシタタッと速足で通学路を歩いて行く。


 白い半袖ブラウスに、グレーのボックスプリーツスカートを同色の吊紐で吊るし、足元は校章入りの黒いハイソックス──という小学校の制服を着ているが、羞恥や窮屈げな様子はまるでない。

 むしろ何年間もそれを着慣れたふうな印象だ。


 元々、本来の縁の小学生時代は私服で、かつ元の由佳よりも地味で味気ないな服装をしていた。

 その記憶がぼんやりとだがあるため、このなかなかにオシャレな第三小学校の制服が着られることが、どうやら嬉しいらしい。


 「あ! おはよー、ゆっこ、レミ」


 通学路を歩くこと2分ほどで、“待ち合わせ場所”に着き、そこにいる“親友”たちに声をかける。


 「あら、おはようございます、ゆかりちゃん。今朝はちょっぴり早いのですね」


 ふんわりと人のよさそうな笑みを浮かべているのが、“幼稚園時代からのゆかりの親友”である西園寺悠子(さいおんじ・ゆうこ)。大仰な名前通り、それなりの旧家のひとり娘だ。


 (さすがに縁ほどではないが)背が高く、12歳にしては随分と(胸や腰回りなどの)スタイルも良いが、本人は「ちょっぴり太めなのでは?」と気にしていたりする。

 おっとりした性格ながら頭は抜群に良く、学年でも1、2を争うほどだが、反面、運動能力は体格に比してあまりよくはない──とは言え、壊滅的というほどでもなく、まぁ“多少苦手”くらいのものだが。


 「やぁねぇ、午後から雨でも降るのかしら。あたし、今日は傘持ってきてないのよ?」


 何気にヒドいことを言ってるのが博来麗美(はくらい・れいみ)。こちらは、“3年生進級時のクラス替えで面識ができて以来の仲”だ。

 ズケズケとした物言いで敵も多いが、ゆかりは麗美のそんなところが気に入っている。


 5年生になった時のクラス替えで、麗美とは引き続き、悠子とは2年ぶりに同じクラスとなり、以来、自然と3人で過ごすことが多くなった──という風に、立場交換の結果、過去の状況が変化している。


 もっとも、今のゆかりにとっては、その仮初の記憶の方が“真実”だと感じられるのだが。


 「今日はクラブ活動の日だからねッ! 楽しみだなぁ」


 中学や高校の部活ほどキチンとしたものではないが、丁越市立第三小学校も、5、6年生には週に2日“クラブ活動”の日を設定し、スポーツや文化活動に費やさせている。


 クラブ活動に関しては、ゆかりたち3人は揃ってバドミントン部に所属している。ゆかりが積極的に興味を示し、他の親友ふたりも彼女に引きずられる形で入ったのだ。

 これは、“縁”が中学時代は卓球、高校ではテニス、短大ではラクロスをやっていた影響か、今のゆかりも“ラケットを使うスポーツ”に大いに興味を惹かれたからだ。


 ちなみに、由佳が本来の娘としての立場で小学生をやっていた時は図書クラブに所属し、適当な本を読んで感想文を書く──というのが活動の主体だった。悠子や麗美ともクラスメイトという以上の接点はなかった。


 「──そう言えば、ゆかりんとの前回の勝負は1勝2敗だったわね。今日こそ勝ち越すわよ!」

 「フッフッフッ、甘い。返討ちにしてくれるわ」


 バチバチッと視線で火花を散らすゆかりと麗美。


 「うーん、バトミントン勝負のことは6時間目のお楽しみとして、麗美ちゃんは日直だから、今朝は早めに登校したほうがいいんじゃないですか?」


 おっとり天然気味に見えて、悠子は案外しっかり者だ。この3人組のなかでは、おもしろそうなことに率先して飛びつくゆかりと彼女に引きずられがちな麗美のお調子者コンビに、きっちり釘を刺す係と言えよう。


 「あ、そうだった! じゃ、あたし、先に行くわね」


 バタバタと小走りに駆け出す麗美に「がんばってねー」と声援を送りつつ、ゆかりは悠子と仲良くおしゃべりしながら登校するのだった。


 大のおとなが六年生とは言え小学校に通って授業を受けるなんて退屈──かと思いきや、あにはからんや、“六年二組・出席番号2番の出雲ゆかり”という立場になっている彼女は意外なほど小学生ライフを満喫していた。


 本人は未だ気づいていないが、由佳との立場交換に伴い、30過ぎた成人女性として本来持っていたはずの知識の少なからぬ部分が消失していたため、担任教師による授業を新鮮な気持ちで聞くことができたのが理由のひとつ。


 そしてもうひとつは、ゆかりの本来の小学生時代である“八幡縁”(八幡は旧姓だ)に起因する。


 結婚してかわいい娘もできた現在の姿からは想像もつかないが、実は子供の頃の縁は、由佳以上に小柄でやせっぽち、かつ内気で地味な少女だったのだ。

 いじめられてこそいないものの、伸ばした前髪で目を隠し、うつむきがちで友達も非常に少なく、放課後もまっすぐ家に帰るような、さびしい小学生生活を送っていた。


 これではいけないと一念発起して、中学進学と同時に前髪を上げ、思い切って卓球部に入部し、体を鍛えつつ少しずつ社交性を磨いた結果、小学生時代とは別人のように明るくなれ、友達も増えた。


 その結果、高校でテニス部に入るころには、完全に「クラスの男子の憧れの美少女」と化し、イケイケ(死語)なハイスクールライフを送ることになる。


 で、短大進学後、夫となる藍一郎とコンパで出会い、つきあい始めて、卒業直前に妊娠が発覚、卒業後即ゴールイン──となるわけだ。


 話を元に戻すと、そういう過去があったため、縁は小学生時代の“八幡縁じぶん”があまり好きではなかった。


 しかし、今は、“出雲ゆかり”として、成長後の社交性や要領の良さを持った状態で楽しい小学校生活スクールライフを送れることに非常に満足し、本来の立場も忘れ気味なほどのめりこんでいるのだ。


 しかし、ゆかりは気づいているだろうか?


 「根暗だった小学生時代あのころ自分きおくなんか忘れたい」と無自覚に願うことで、現在の暮らしによる当時の記憶の上書きが起こり──それに伴って、精神面での小学生化が、より進行していることに。


 「あ、今日休んでる人の分のプリン、もーらいっと!」

 「こらぁ! ゆかりん、何勝手に持ってっちゃってるのよ!」

 「そうだ、ズルいぞ、出雲! ここは公平にジャンケンだろ!!」


 ──ぎゃあぎゃあ、わあわあ……と、麗美や他の男子生徒たちクラスメイトに混じって、たかだか給食のデザートのことで騒いでいる彼女は、たぶんまったく気付いていなさそうではあるが。

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