-06-

 「ごちそーさまぁ」

 「はい、お粗末さまでした」


 日曜の夜、一家の大黒柱が出張中ではあるが、母と娘ふたりだけの夕食が和やかに終わる。


 「あ、ママ、お皿洗い手伝おうか?」

 「うーん、今日は洗い物は少ないからいいですよ。その代わり、お風呂にお湯の入れてきてもらえるかしら」

 「はーい!」


 台詞だけ聞いていれば誠に平和で微笑ましい仲良し母娘の会話なのだが……。


 “母”である由佳の方が150センチにも満たぬ小柄な身長で、逆に“娘”のゆかりが160センチ近い長身なのは、昨今の子供の体格の良さからして、それほど不自然ではないだろう。

 また、母親が贔屓目に見てもかなり貧乳でスレンダーな体型なのに対し、小学生の(はずの)娘の方がグラビアモデルなみのプロポーションなのも、ふたりの体格を考えれば必ずしもあり得ないことではない。


 しかし、20歳のときに妊娠し、21歳で出産したはずの“母”の方がどう見ても童顔で幼く、対照的に“娘”のほうが成人女性と言って通用する風貌というのは、常識的に考えて無理があった。


 無論、この“異常事態”は、このふたりが早とちりな神の介入によって、立場を、周囲を取り巻く環境ごと交換されているからだ。

 不幸中の幸いは、周囲の人間は(ふたりがその立場に沿って行動する限り)立場交換していることを不自然に感じないことと、ひと月経てば元に戻ることが可能なことだろう。


 前者に関しては、現在の立場に必要とされる(記憶を含む)知識や(習慣的動作も含めた)身体的能力は、自然に現在の立場にふさわしいものがふたりに“インストール”されているので、大きな問題にはなるまい。


 後者については、1ヵ月以上経過した後、くだんの神が祭られている神社に行って由佳かゆかりのどちらかが願えば、それで元に戻れることにはなっている。


 しかし──事前に危惧に反して、自宅に帰ってみれば、ふたりはあまりに自然に“母”と“娘”の立場に適応して、行動してしまっていた。それはもはや適応というより“浸食”と言ってもよいレベルかもしれない。


 「ところでゆかりちゃん、もう宿題は済ませてあるんですか?」

 「ギクッ!」


 あからさまに視線が泳いでいる娘の顔を見て、由佳は溜息をつく。


 「もぅ、ダメですよ、学校のお勉強はキチンとやらないと」

 「わ、わかってるよぉ。だいたい、あたしはホントは大人なんだから、小学生の宿題くらい、その気になればラクショーだって!」


 恰好の言い訳を思いつき、口にするゆかり。


 「あ……そう言えばそうでしたね」


 本来は“母”である人にエラそうに説教してしまったことに今更ながら気付き、由佳はバツの悪そうな表情になった。


 「私、自分が本当はこの家の“娘”であることを、すっかり忘れてしまってたみたいです」

 「うんうん、あたしも。でも──それにしてもあの神様の“力”ってスゴいよねぇ。だって、由佳ママ、普通に美味しい晩御飯が作れてたし」

 「言われてみれば、そうですね」


 おそらく、由佳が“出雲家の主婦にして一児の母”という立場であるなら、料理などの家事は「巧くやれて当然」だからだろう。


 「ゆかりちゃんの方はどうなんですか? 学校の構造とか、お友達のこととか、キチンとわかります?」


 由佳にそう問われて、ゆかりもその辺りのことが気になった。

 最初はボンヤリと霞がかかったようにはっきりしなかったものの、改め意識を集中すると、“丁越市立第三小学校の六年二組に通う出雲ゆかり”としての記憶が次々と浮かんでくる。


 教室の席は窓際の前から三番目なこと。

 クラスでは保健委員をやってること。

 クラブは五年生のころからバトミントン部に入ってること。

 いちばんの親友は、ゆっことレミなこと。

 最近、同じバトミントン部の紺野くんがちょっと気に……。


 (──あわわわわ!)


 余計なコトまで“思い出し”かけてしまい、慌ててゆかりは意識を逸らした。


 (ちちち、違うモン! あたし、別に紺野くんのことが好きってワケじゃ……)


 「どうかしたんですか?」


 急に黙って百面相をし始めた娘を心配して、由佳が気づかわしげな声をかけてきたので、ゆかりは強引に思考を打ち切った。


 「え!? あ、ううん、なんでもないよ。うん、大丈夫、学校のことだって、バッチリ“思い出せる”みたい」

 「そうですか。それならいいんですけど」


 そう言いつつも、由佳は微妙に納得していないみたいだった。


 「あ、あたし、せっかくだから、おフロがわくまでの間に、宿題やってくるね!」


 けれどそれ以上追及されたくないゆかりは、勉強を口実たてに自室へと退避する。


 「あれ、あれれ……この宿題、けっこうむつかしくない?」


 とりあえず口実通り、宿題に手を付け始めたゆかりだったが、思いのほか苦戦してしまい、結局風呂が沸くまでには半分ほどしか済ませることができなかった。


 「やー、ゴメン、ちょっとナメてた。今の六年生の問題って、思ってた以上にむつかしいね」


 風呂から上がり、襟元や胸元、袖口などにヒラヒラとレース飾りのついた可愛らしい女児向けの白いパジャマに着替えた後、ダイニングでオレンジジュースを飲みながら、ゆかりはボヤく。


 「? そうでしたっけ? あまり苦労した記憶おぼえはないのですけれど……」


 そう言えば、元の由佳はかなりの優等生だ。学校のテストの過半数で100点をとるほどだから、宿題程度で苦戦することはなかったのだろう。

 もっとも、そのぶん体育は苦手で、5段階評価の2か、よくて3というていたらくだったが。


 逆に、縁の方は小中高通じてほとんど学校を休んだことのない健康優良児で、卓球部に入った中学以降は運動会でも大活躍だったが、勉強の方は平均点レベルだった──ような気がする。


 「もしよかったら、見てあげましょうか?」

 「! ホント!? 超たすかるぅ~」


 今は立場交換しているとは言え、神の視点で見れば、“いい歳した大人”が“小学生”に勉強を教わる形になるのだが、それでいいのだろうか?

 もっとも、ゆかりはまったく気にしておらず、リビングで和気あいあいと“母娘の勉強会”が開かれることになるのだった。


 由佳ははに教えを乞いつつ進めたことで、小一時間程度で宿題は終り、ゆかりは上機嫌で「おやすみなさーい」と挨拶して自室のベッドに入る。


 由佳の方は、現金な娘の態度に苦笑しつつ自分も風呂に入り、風呂から上がると、コーラルピンクの瀟洒なナイトドレスを身に着ける。

 しばらく長い髪を乾かしがてら、居間のテレビで古い洋画の再放送などを観賞し、その後、時計の短針が12の文字を指すころに、夫婦用寝室のベッドで眠りに就いた。


 そして、結局ふたりは気づかなかった。


 普通なら、いくらなんでも、短大まで出ているはずのいい年した成人おとなが、小学生レベルの問題でつまづくはずがないということに。


 優等生とは言え、決して天才肌というわけではない由佳が、懇切丁寧かつ手際よく“娘”に勉強を教えられることの不自然さに。


 どうやら、立場交換に伴う諸々の知識その他の入れ替わりは、本人達が理解している以上に進行しているようだった。

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