05/「僕の空腹が癒えるまで」(結)
あれから長い年月が経ち、ラーフェンは異界のダンジョン暮らしにもすっかり馴染んだ。
ときどきは故郷の砂漠にも帰る。次元を越えて距離を置いたとはいえ、魔女ムルの主人であることをやめてはいない。
ちなみに帰郷のタイミングは魔界のカレンダーに準じている。ダンジョンに住む以上そこの規則に従わねばならず、既定の長期休暇に合わせて帰ったほうが面倒も少ない。
ただ、たまに例外もある。
先日は年末年始の休みと大家夫妻の長期旅行が重なってしまい、ソルマが初めて大家代理を務めることになったので、心配になったラーフェンは帰省をやめてダンジョンに残った。
結論から言うと杞憂だったが、初めて彼女の血を味見させてもらう良い機会にもなった。肝心の味は、あの父親の娘だけある、といったところ。
その次は逆に向こうから呼び出された。すなわちムルや彼女の使い魔が、魔神の助けを借りねばならないと判断するような緊急事態だった。
事情は予めサルバトリアスにも伝えてあり、ラーフェンが空けた穴は他の三階のメンバーで補填する。もちろん後で何らかの埋め合わせをすることにはなるが。
……ところが思わぬトラブルの連続で、予定よりずいぶん長引いてしまった。
けれど収穫もいろいろあった。かねてから気にかけていた、使い魔の問題にも解決の兆しが見えてきたのだ。
どうなるかは新人の魔女見習い次第。彼女が上手くやってくれることを祈ろう。
とにかく、やっとまた、このダンジョンに帰ってきた。
グラズベル駅前ターミナルビル第一ダンジョン。前から気になっていたが「第二」があるわけではないのになぜ「第一」と名乗っているのだろう? ……まあどうでもいいか。
「あっ、ラーフェンさん、おかえりなさい!」
正面玄関に降り立った魔鳥を、箒を手にしたソルマが出迎える。どうやら掃除をしていたところらしい。
一度代理をやって以来、彼女は少しずつ大家業を手伝うようになっていた。とはいえ、地面には木の葉も土埃もほとんどなくて、清掃する必要があったとは思えない。
つまりこれはそういうことだろう、とラーフェンは人型に変身して微笑んだ。
「ただいま。もしかして僕を待っててくれたのかい?」
「えっ、あの、えと、……えへへ」
「長いこと空けてしまってごめんよ。僕が居ない間、何か変わったことはなかったかな」
「みんないつも通りですよー。あ、お父さんが、帰ったらまず顔見せろって言ってました」
「そうか」
ふむ。言葉どおりの意味ならいいが、ここにはたまによからぬことを吹き込んで事実を曲解させる輩もいるので気を付けたい。
何しろ大家の一人娘ゆえ、ソルマを溺愛する過保護オヤジどもは実父だけではないのだ。昔からここに住んでいる連中にとっても彼女は娘のような存在らしい。
……その気持ちはわからないでもないが。もしムルに浮ついた気持ちで近づく不埒な輩がいたら、ラーフェンもきっと迷わず雷を落とす。物理的に。
とはいえ、それはそれ、これはこれ。
こちらも真剣だ。一時の曖昧な気まぐれや、欲に任せた邪な感情とは違う。
少なくともラーフェン自身はそういうつもりでソルマと向き合っている。
今日まで律儀に指一本触れちゃいないのは、決してサルバトリアスの鉄拳が恐ろしいからではない。
……いや、それもまったくないわけではないけれども。さすがに命は惜しいので。
とりあえず言われたとおりに大家一家の住まう地下階に向かおうとして、ふと。
『ところでラーフェンさま、お相手にはいつ
『そーそー、ちゃんと好きだって言わなきゃダメですよ〜。両想いっぽいからこのままでいっか〜、なんて思ってたら他の人に取られちゃうんですよぉ、ちょっと前のアリヤみたいに!』
異界の女学生コンビに言われた言葉を思い出して、脚が止まった。
「ラーフェンさん? どうかしました?」
「いや……」
他の男に取られる可能性は早々ないだろう、ダンジョン最強の父親という高すぎる壁ゆえに。
けれど想いを明白に伝えていないのも事実。
人間の小娘たちに言われたことを気にするのも少々かなり癪ではあるが、確かに今までのラーフェンの態度はただ思わせぶりなだけで、ソルマに対して不誠実だったかもしれない。
――いい加減、腹を括るか。
ラーフェンはすばやく周囲を伺った。周りに誰の眼も耳もない(何しろ身体を分割する能力を持った魔物なども存在する世界なので、文字どおり目玉だけ転がっている可能性もないわけではない)ことを確かめてから告げる。
「ソルマ。サルバトリアスさんに挨拶する前に、ちょっと頼みたいことがある」
「なんですか?」
「あー……ここじゃなんだから僕の部屋に来てほしい」
ただ状況を整えたいだけにしては攻めた誘いになってしまったものの、ソルマもこくりと頷いた。
……ダメだろ。簡単に男の部屋について行ったら。
頼むから、ラーフェンが特別なのであって他の男にはそんなに無警戒ではないのだと言ってくれ。
道中も周囲の視線と聞耳を死ぬほど気にしながらも、なんとか三階に辿り着き、彼女を誰にも見つからずに自室に招き入れた。
初めてのことにちょっとそわそわしているふうのソルマに向かい、ラーフェンはらしくもなく深呼吸する。
用意なんかしていない。何を言えばいいかを今これから考える。
こんなに軽率で無計画な行動はこちらも初めてだ。上手に取り繕えるとも思えない。
だったらいっそ、かつて彼女がラーフェンにしてくれたように。
「……向こうでいろいろあって、またすごく渇いてるんだ。君の血が欲しい」
素直に己の性に従えば、そんな言葉がまろび出る。どんなに紳士ぶってもしょせん本性は魔物、血に餓えたけだものにすぎないのだから、飾っても仕方がない。
「わ、わかりました。……えーと、それって、どれくらい要ります?」
「わからない」
「え」
「僕の空腹が癒えるまで」
そして生まれて初めて、自分から望んで真向いの瞳を眼差した。
「……君に満たしてほしいんだ」
我ながら安っぽい科白だと思う。思わず溜息を続けてしまったけれど、
視線が泳ぎ始めたのを見とめ、白い頬に手を添えて囁く――目、逸らさないで。僕を見て。
あれほど魔眼が通じてほしくないと思いながら、今だけはその逆を考えてしまう。結局そういうところが浅ましい生きものだ。
そうしてソルマが観念したように見つめ返したのを確かめると、ラーフェンはそっと彼女のくちびるを食んだ。
【ダンジョンの大家さん。AFTER】おわり
ちなみにそのあとソルマがラーフェンの部屋から出たところがばっちり同フロアの住民に目撃され、即座に一階上の牛頭&馬頭魔人に情報共有がなされたことにより亜音速でサルバトリアスに報告が上がり、ラーフェンはもう一度死にかけることになったとか、ならないとか。
✴︎
見習い少女は傷だらけ 空烏 有架(カラクロアリカ) @nonentity
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